赤、独り言、はじめて
「お土産」
そういって、出張帰りの母が少女に差し出したのは、一つのりんごだった。
少女は青りんごというものを初めてみた。青とはいうものの、その色は緑色に近い。どうして青りんごなんていうの、と母に聞いてみると「昔の人はそう呼んだのよ」と返された。全然答えになっていない。不思議だった。
あんまりおいしそうには見えなかった。りんごというものは赤いものだと思っていたし、少女が見たことがあるのはそういうものばかりだったから。つやつやの、丸いりんご。それだけ見れば普通なのに、色がおかしい。緑なのに青なんて名前がついているし、どうにも気に入らない。
こいつを赤く変えてやれないのかしら。
少女はそう思った。
私ならできる。
少女はそうも思った。なぜなら彼女は魔女の卵だったから。少女の母は腕の良い魔女だった。自分は魔法を使ったことなんてないけれど、その血を引く自分ならきっとできるに違いないと、少女は訳もなく確信した。
「しかし、どうやって赤に変えればいいのかしら」
どうせなら母に内緒で色を変えてびっくりさせてやろうと思って、少女は母が目を離したすきを見計らって母の書斎に入った。たくさんの本棚で埋め尽くされて、紙の匂いがむっと詰まった素敵な古い部屋だった。数えきれないくらいの本があるこの部屋なら、きっとりんごの色を変える魔法だってあるはずだ。
片っ端から本を漁る。難しすぎて読めない本もあったが、気にせずにどんどん探した。少女の「けんきゅう」によれば、色を変えるにはいくつか方法があるらしい。
ひとつ、表面の組織の形を変える。
ふたつ、上から色を重ねる。
みっつ、別の色に見せかける。
一つ目はよく意味が分からなかったのでやめることにした。二つ目もなんだか気に入らない。せっかく赤くなったと思ったのに、皮を剥いたら元通り、なんて面白くない。それなら残る方法は一つだけ。
「別の色に見せかける……」
母の言葉を思い出す。
『魔法を使うのに必要なのは、たっぷりの想像力と強い心。難しい呪文も複雑な理論もいらないの。そういうのが好きな人もいるけれど、我が家の魔女が代々得意なのはなんといっても空想の魔法』
歌うようにそう教えてくれた母。あちこちから引っ張りだこの売れっ子魔女の母。少女はその母の娘だった。
「想像すればいいの、とびっきり赤くて、つやつやで、ぴかぴかで、おいしそうなりんご」
呟きながら、憎い青りんごをじっと見つめる。お前は赤りんごだと念じながら。
何も変わらない。
「変わるわ、すぐに変わるから。真っ赤になっちゃうの。恥ずかしがり屋のりんごさん」
むっつり黙ったままの青りんご。
「大丈夫。私はお母さんの娘なんだから。さあ、変わって!」
ひときわ大きな声で叫ぶと、少女の手からふわり、ふわりと光が零れた。キラキラと輝く粉を空気に撒いたみたいな光。その光がりんごを包んで、包んで包んで包んで、ついにりんごが見えなくなった。
これで変わったのかしら。しばらくおずおずと見ていると、ゆっくりと霧が晴れるように、光に包まれたりんごが露わになっていく。霧の向こうに透ける丸いかたち。目が離せない。
「……!」
少女がぱっと顔を上げた。きれいに晴れた光の霧の向こう側には、真っ赤なりんごが座っていた。
「やったあ!」
大成功だった。少女は飛び上がってりんごを手に取った。間違いない、真っ赤で丸くて、つやつやのりんご。
「お母さんに見せなくちゃ」
両手で大事なりんごを捧げ持って、リビングでくつろぐ母のもとへ。書斎を出て、長い螺旋階段を降り、蜘蛛の巣のような廊下をかけて、飛ぶように走る、走る。リビングへ駆け込むと、テレビの前で紅茶を飲んでいた母がのんびりと振り向いた。
「あら、どうしたの。そんなに急いで」
「みて、お母さん」
少女は自信たっぷりにりんごを差し出した。母は首をかしげて、にっこり微笑んだ。
「おいしそうでしょう、その青りんご」
「え?」
そう言われて手の中のりんごを見る。さっきは確かに赤かったりんご。
「緑色……」
少女は泣きたい気持ちになった。
「どうしたの?」
「魔法で赤くしたの、りんご。でも……」
少女は悲しくなってしょぼくれた。母にうそつきだと思われたかもしれない。本当に赤くなったのに。母は少女の頭をゆっくり撫でて微笑んだ。
「……嘘じゃないの」
「もちろんそんなこと思ってませんとも。あなたは立派にりんごの色を変えたのよね。きっと幻覚魔法を使ったんでしょう」
母の言うことはよくわからなかった。
「幻覚魔法っていうのはね、本当はそうじゃないものをそう見せかけるための魔法なの。だから魔法が解ければ元に戻ってしまう。こんな風にね」
母が指を振ると、さっきと同じ光があふれ、青りんごがぱっと赤くなる。それから光がすうっと消えると、一緒にりんごも元に戻った。
「本当だ……!」
俄かに笑顔になった少女を見て、母もにこりと優しい顔をした。
「あなたはもう立派な魔女ね。初めての魔法を使いこなした、私の自慢の小さな魔女」
嬉しくて顔がにやけてしまう。ぴょんぴょんと飛び跳ねていると、母が紅茶を置いて立ち上がった。
「さあ、お祝いをしましょう。あなたがはじめて魔法を使ったお祝い。真っ赤なりんごのアップルパイを作りましょう」
さあ手伝って、と歌うような声に誘われて、ぱっと赤く染まるりんご。今度は幻覚なんかじゃない。
少女はにっこりして、赤いりんごと一緒に母に着いていった。