マジかコイツら by周囲
俺達が乗った馬車は非常に速いスピードで走っていたため、普段使っている馬車よりも早く着き、昼過ぎには隣町に着いた。
俺は隣町に来たついでに、ここの領主と会い挨拶と情報共有を行う。その間に少しの間ではあるが皆と離れていた。
「お待たせしました」
首都に行くための他に別の場所に行く者達が集まる空間歪曲石の待合室に俺が来た事に、早く行きたい気持ちを隠しきれていないグレイが背筋をピンと伸ばして反応し、その様子をアプリコットが微笑ましく見ていた。バーントさんはその挙動に頬を緩ませないように必死だった。
「いや、大丈夫だ。こちらも空間歪曲石を早く使用する申請が出来たからな。もう少し時間はかかるが」
俺が来た事にヴァイオレットさんがそう返答し、駆け寄ってくる。
ここの領主との会話はどうであったかと軽く会話をする。その会話で俺達から意識が逸れて各々が身近にいる者達と首都での事を談笑を再開していた。
「ヴァイオレットさん」
「どうした?」
俺は傍に居るヴァイオレットさんを見て、俺達に意識があまり向いていない事を確認してから、何気ないかのようにヴァイオレットさんの名を呼ぶ。
「なにかあったら俺を頼ってくださいね」
ヴァイオレットさんも何気ないかのように返答するので、俺も出来るだけその平静を乱さないように言葉を続けた。
別にヴァイオレットさんが弱い存在と思っている訳ではないが、どうしても心配はしてしまう。ヴァイオレットさんの夫という以上敵意か憐憫かは分からないが、以前シキの調査の時のような視線を向けられるのは確かだろう。
俺も首都には明確にこちらを敵視しているのがいるし、それが原因でヴァイオレットさんにも累が及ぶかもしれない。
だからこそ俺が守らなければならないと思ったのだが。
「……ふふ。ああ、そうさせてもらおう。だからなにかあったら私を頼りにしてくれ」
だけど余裕をもって微笑まれながらそう答えられて、つい面を喰らってしまった。
……いけない、少し落ち着こう。どうも久々の首都という事やロボとかにしっかりしろと言われて気が動転していたようだ。
そもそも身体能力を除けば情けないが俺より遥かに優れている方であり、俺なんかよりも長く陰謀詭計が渦巻く貴族の社会に身を置き、近付く者の殆どが立場を狙った接触であった他者との関係性の中生きて来た方だ。
シキに来た頃や調査でアゼリア学園の生徒が来た時は特に弱っていた所を付かれただけで、基本強い女性なのだから、常に守り続けなければならない弱者という訳ではないんだ。
今世の母は父や子供に対して我が儘しか言わずに、息子達に一方的な自己愛を押し付けていたのですっかり忘れていたが、夫婦というモノはお互い支え合って家族となるべきであり、常にどちらかが守り続けるわけではないのであった。
……以前偉そうに見捨てたかったら見捨てて良いとか偉そうに説教していながら、俺が全然周りを見えていなかった。
まずはその事に気付かせてもらったお礼になにかしようと思ったが、生憎持ち物は着替えとかシキの領民へのお土産を買う用の鞄とかしかない。これではお礼に物をあげるという行為は出来なさそうだ。
いや、そもそも気付かせてくれたお礼に物をあげるという行為はどうなのだろうか。
おかしくはないかもしれないが、今回はヴァイオレットさんの言葉と表情によって気付かせてもらったお礼なんだ。せっかくなら行動には言葉で返そう。
「ヴァイオレットさん、キスをしませんか」
「ぶっ!?」
なので思い切ってキスを提案してみた。
「な、ななななな突然なにを!?」
思い返せば俺とヴァイオレットさんは夫婦であるのにキスすらしていない。これではお互いの左薬指に輝く金の指輪が泣くというモノだ。
別に身体的接触や性的接触を過多にすることのみが愛の証とか言うつもりはないが、親愛の唇同士が触れ合うキスは愛の証の代表の一つと言ってもいいだろう。
「俺は恥じ入りました。無意識の内にヴァイオレットさんを下に見ていたのではないかと。守るべき存在であるのだと」
「あ、ああ、守ろうとしてくれるのは嬉しいが、それとキスになんの関係性が……」
「だからこそ対等であることを示すためにキスをしようと」
「クロ殿、首都に行くストレスで壊れてしまったのか?」
いつも凛々しいと思っていたヴァイオレットさんだが、何故かは分からないが今は唇が色っぽく見える。恐らく唇では誰にも触れさせたことは無いだろう蠱惑的なあの唇を今すぐ奪ってしまいたい。
美少女ゲームや乙女ゲームのテキストとかで何度か見た事はあったが、本当にそのように思うのかと思っていた状況が今まさに目の前にある。
「そ、それにいまは他者の目もある。今ここでではなく、もっと別な場所で」
「俺とするのは嫌ですか」
「………………それを言うのはズルいぞ、クロ殿」
ズルくてもなんでもいい。
そして他者の目? なんのことかよく分からないがとりあえず今はヴァイオレットさんしか見えない。不思議だ。
俺はヴァイオレットさんに向かって一歩近づき、顔も近付ける。するとヴァイオレットさんは顔を赤くして半歩下がったので、俺はさらに一歩近付く。
「ヴァイオレットさん……」
「クロ殿……」
好きな女性とのキスというのは俺は初体験だ。
前世では働いていた会社の社長兼友人にそのことをよく揶揄われてはいたが、元々キスとかにあまり良いイメージは無かったし、付き合った女性も居なかったのでまさに未知なる存在だった。
だがキスが今まさに既知へと変わる。
その初めて知るための行動がヴァイオレットさんであるということに喜びを覚えつつ。
「おいコラ。私達が居る前で堂々とイチャコラしようとしてるんじゃない。祝福はしたいけど、こんな雰囲気もなんもない上に知らない他者もいる所じゃなくて別の所でやれ」
そしてシアンに怒られた。
後から思い返すと俺はなにをやっていたんだろうと思う。
……もう少し雰囲気のあるところでやろう。隣町の移動者がいる待機室がファーストキスとかなんか嫌だ。
「……ねぇ、グレイくん、聞いていいかな?」
「はい、どうされましたかバーント様」
「お嬢様とクロ様って……普段からあんな感じなの? キス一つで照れて大慌てになるような」
「ええと……申し訳ございません、分かりませんね」
「そっか。そうだよね。いや、人前でするものじゃないからね。やけに初々しいなーって思って。あまりしていないのかな、って」
「いえ、あまりしていないもなにも、恐らくクロ様……父と母はまだ一度もキスをしていないかと」
「………………えっ。マジで?」
「マジでです」




