少し変な奴らの滞在_4(:琥珀_妹)
View.アンバー
私ことアンバー・ブルストロードはまだクロ・ハートフィールドという男を信用していない。
「あの、働いてもらうのはありがたいのですが、本当によろしいのですか?」
「クロ様、私達は貴方様よりも遥かに身分が下の者です。敬語など不要です。私達の主人である以上は命令を下さればあらゆる対応を致しましょう」
そもそも会って日数の経っていない男をいきなり信用しろという方が無理がある。確かに始め会った時はこの地に住む住民で、話しかけても問題なさそうな善人に見えはしたが警戒を緩めて良い理由にはならない。
彼は暴力的で色欲に溺れ多くの女性と関係を持ち、虚栄心に溢れ、傲慢で嫉妬深いと噂が流れるような男だ。噂なんて参考程度に留めるものだとお嬢様も言っているが、噂が流れる原因がある以上警戒はするべきだろう。
以前よりは棘も無くなったものの毅然と振舞っているお嬢様であるが、私達に心配を掛けさせまいと平然としている可能性もあるし、裏で精神関与の催眠にかかっている可能性もある。もしそうだとしたら私と兄さんで守らなければならない。
「分かりました。敬語に関しては徐々に慣れて頂く他ありませんが、私の命令よりはヴァイオレットさんのお世話かグレイの手伝いをしてください。そちらの方が気楽でしょうから」
……と、意気込んでみたは良いのだが、どうもクロ・ハートフィールドという男は私が今まで仕えて来た貴族とはタイプが違う。どちらかと言うと少し裕福な家に住んでいるだけの家族想いの平民と言った方がしっくりくる気がする。
ともかく今はそのことを置いておくとして、久方ぶりのお嬢様のお世話が出来る。
お嬢様、ヴァイオレット・バレンタイン様――もといハートフィールド様。凛々しく、気高く、美しさと才能に溢れた国母として相応しいと言える私と兄の元御主人様。正しくはヴァイオレット様の父君に仕えているのだが、そんなことはどうでも良い。あのお嬢様に再び仕えることが出来たのだ。これ以上の喜びは無い。
ハッキリ言うならばこの数日で今のハートフィールド家の状況を把握し、バレンタイン家を辞めてここに来るつもりである。その時クロ・ハートフィールドも主人として仕えるのか、お嬢様を連れ出すかはまだ分からないがまずは喜びを享受するとしよう。
まずは屋敷の掃除からだ。
公爵邸と比べれば小さいが、三人で掃除をするには広いと言えるだろう。秘書という扱いのグレイくんが優秀なのか思いの外隅々まで手入れが行き届いてはいたが、甘い部分もある。私と兄と協力してお嬢様が過ごすのに相応しい空間にしなくてはならない。
私と兄さんは綺麗好きだ。何故なら私の場合は清掃の行き届いた空間では余計な臭いはしないからだ。私が好きな香りを楽しむためにも空気・埃・湿度は万全に整えなければならない。
「おお、バーント様もアンバー様も素晴らしい清掃をなさるのですね! 私めではまったく及ばない程に綺麗な仕上がりです!」
グレイくんは随分と褒め上手だ。計算や利用の為に褒めていない、裏表のない純粋な賞賛。そして褒めるだけではなく知識を習得しようという気概も見える。
彼も貴族ではあるらしいのだが、やはり貴族らしくは無い。若い時に奉公させる貴族も居るにはいるが、グレイくんの場合は貴族というよりは私達と同じ本当のただの従者という感じだ。
そしてグレイくんからは常にやや甘い香りがする。少年期特有の未発達なフェロモンによるものと清潔を心掛けた甘美と言える香りだ。後で掃除の仕方を教える時に身体を近付けて、その身体から直接出る香りを堪能した後で彼が身に着けているモノから発せられる時間経過に伴う香りの違いを楽しむとしよう。
次に料理。
お嬢様が自ら作っていたというのも驚きだが、どうやらここではクロ・ハートフィールドですら料理をするという。
料理をする者は身分が高くない者がすると相場が決まっているのに、自らするとは驚きだ。ただ全員が並程度の腕前らしい。
しかし料理に関しては私と兄さんの手にかかれば最高級のモノを用意できる。
ふふ、久しぶりにお嬢様が食べる姿を見ることが出来た。
次に洗濯。
ハートフィールド邸では当番制で下着は各自、というよりは異性の下着を洗わないように回しているという感じだ。
基本的に私は汗の香りも好みではあるが、どちらかと言うと洗濯してお日様の香りと融合した服の香りが好きだ。それを堪能するためにも個別に適した洗濯をしなくてはならない。……しかし、高そうではないが随分と仕立てが良い服が多い気がする。
クロ・ハートフィールドとグレイくんの服を次々と洗って行く。貯めるタイプではないようなので数はあまり多くなく、あっさりと終わってしまう。
そして最後にお嬢様の服だ。
なんということだろう、数ヵ月触れなかっただけでこんなにも愛おしく感じるとは。
元よりお嬢様が学園に通った時にしばらく会えない事は覚悟していたが、気が付くと嫁いでしまい嫁ぎ先も分からないまましばらく経った事で新しいお嬢様成分を摂取する事が出来なくなりお嬢様欠乏症にかかってしまっていた。
「はぁ、はぁ、久しぶりのお嬢様の着ていた服……はぁ、はぁ……!」
だが今どうだ。
久しぶりのお嬢様の生の香りに充てられ、生の服を久々に手にしている。
お嬢様は素晴らしい御方だ。
同性である私が見惚れるほどの美しさ。学力も魔力も運動能力も私なんかでは及ばない程に洗練されていて。そしてなんと言ってもお嬢様の香りは今まで仕えた誰よりも素晴らしい香りだ。
ああ、駄目だ私。我慢するんだ私。公爵邸でも我慢してきたではないか。いや、あれはお嬢様が常に傍に居たから常に成分が補充出来ていただけで、久々のお嬢様フロンティアイオン(※なんか凄い成分)を間近に受けてしまった私に我慢が出来るのか? いや、出来ない。
「はぁ、はぁ……! いっそのこと口に――」
そうだ、この感情を抑えるためにもいっそのこと一気に含んでしまうというのはどうだろうか。過剰摂取することで不足していた成分を一気に補充できるのではないか?
いや落ち着け。これではまるで私が変態みたいではないか。
私は人族や森妖精族などから発せられる香りが好きなだけで、決して変態ではない。大体口に含めた所で香りをより感じ取る訳でもない。はは、まったく私はどうかしていた。
「よし、一気に行きましょうか」
だが体は言う事を聞かない。ああ、何故だ。何故こんなにもお嬢様マイナスイオン(※なんか尊い成分)は蠱惑的なのか――
「行かないでください」
「えっ……」
私は腕を掴まれ、お嬢様の服を近付けようとしたのをクロ・ハートフィールドに止められる。
おかしい、細心の注意を払って誰も居ないことを確認していて気配はしなかったはずだ。まさか東の国に居るというニンジャがクロ・ハートフィールドに化けているのだろうか。
「クロ様、どうかされましたか?」
「どうかされましたか、じゃないです。ヴァイオレットさんの服をどうしようとしたんですか」
「……テイスティング?」
「ワインみたいなノリで言わないでください。……アンバーさんはヴァイオレットさんを慕っている……だけですよね?」
クロ・ハートフィールドが私に訝しげな視線を向け質問をしてくる。
失礼な。そんな視線を向けられると私が変態みたいじゃないか。いいだろう、その疑念は払拭しなくてはならない。
「私と兄はお嬢様を慕っています」
「はい」
私達がヴァイオレットお嬢様を始めに慕いはじめた理由は単純で、お嬢様は私達を使い捨てにしなかったからだ。
私達は幼少の時から多くの相手に仕えていたが、少しの失敗で折檻や教育という名の理不尽な暴力は当たり前で、簡単に首をきられた。しかしバレンタイン家に務める際は厳しくはあるが理不尽ではなく、行動に対した見返りは充分に貰っていた。
だからお嬢様の侍女として仕える事が決まった時、私達は期待に応えるべく懸命に仕えようと心に決めた。
「そうですね。アンバーさん達が優秀であり、ヴァイオレットさんも信頼していることはよく分かります」
「ありがとうございます」
改めて言われると恥ずかしいが、まぁそれは置いといて。
しかしバレンタイン家の教育は厳しいモノで、お嬢様は私達以上に厳しい己を磨くための教育を受け続けていた。将来国母になる可能性がある者として恥じないように、と。
私達よりもずっと年若い子供が将来を見据えて努力している姿に、初めは住む世界と生命体としての次元が違うと思い、雲の上に居るような相手を見ていた。
しかしとある時、後にも先にもその時だけであるが、お嬢様が部屋で一人で誰にも見られないように泣いているのを見た。
私と兄さんに見られたことに初めはお嬢様も取り乱し、毅然と振舞おうとした。しかし私達が一つ一つ話を聞いていくと、お嬢様もまだ子供であるという当たり前の事を理解した。子供なのだから弱音を吐くのも当たり前で、私達は仕えようとしている相手を見ようとしなかったのだとその時に実感した。
そして他に誰も居ないことを言い、私達に対しては弱音を吐いても良いのだと言うとお嬢様は私の胸に顔を埋めて静かに泣いたのだった。
「……そんなことがあったんですね」
「ええ。そしてその時私は思ったのです。ああ、この香りは素晴らしいモノだと」
「ん?」
何故か疑問顔をされたが、置いといて。
私と兄さんは思ったのだ。これからはお嬢様の力になるために仕えようと。国母として強い存在になれるように支えていこう、と。
そうしていけばこの素晴らしい香りを常に享受することが出来るのだと理解した時、私の世界は一変した。
私はお嬢様が鍛錬の為に汗を流した際に発生する温度のある香りが好きだ。
己の美しさを維持するためと疲れを癒すために入るお風呂上がりの上気した頬と髪から漂う香油の入り混じったお嬢様の香りが好きだ。
夜遅くまで勉学に励み、部屋に入ると漂う紙とインクが混じったお嬢様の香りが好きだ。
あらゆるお嬢様から発せられる香りが好きだ。
そんなお嬢様に仕える事がなんたる幸福な事か!
何故こんなにも好きなのかと疑問に思ったこともある。しかしある時私達はとある結論に至った。
お嬢様が貴族であり誇り高き存在だからこそ、こんなにも好きになったのだと。
「だから私は、気高きお嬢様を支えたいと思ったのです! この慕っている感情は誰にも負けません! 兄さんにもです!」
「どうしよう、ちょっと違う方向に吹っ切れていたよこの兄妹……」
だから失礼な。それでは私と兄さんが変態みたいではないか。
サブタイトル
『ナチュラルアブノーマルシスター』




