菫の春、とある日 -寝る前に-(:菫)
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「今日も一日お疲れ様です、ヴァイオレットさん。手伝って下さりありがとうございました」
「……クロ殿もお疲れ様だ」
午後の仕事も終わり、夕食も食べ終え家族で団欒した後。
中途半端な所があるから終わらせたい仕事がある、と言うクロ殿の言葉で執務室にて仕事を片付けていた。
今は仕事も終わり、仕事終わりの紅茶を飲んでいる所である。
――どうする。
そして私は紅茶を飲みながら、内心ではこれからどうするべきかと悩んでいた。
悩んでいる内容は、午後の仕事終わりにホリゾンブルーに言われた内容、“今夜誘うのはどうか”という事だ。
“誘う”の内容は、遊びや仕事といったものでは無く、当然“あちら”の方面の事だ。
夫婦間で誘い、行うのは不思議ではない事であるため憚れる事では無い。表立ってしなければ憚れる事ではないのだが……
――クロ殿と最初に出会った時は私から積極的に行けたのに、何故今になっていけないんだ……!
初めて会った時はクロ殿の部屋に行って誘いに行けた(?)はずの私であるが、今になるとどうすればよいか分からない。
今の方が親しく、好きも深め合っている。
――なのに、何故今の方が誘えないんだ!
しかし今の方が恥ずかしい、意識して行おうとするとどうしても尻込みする。何故だ!
……恐らくは、最初は自棄があったので出来たに過ぎないのだろうが。
今だと淫らに思われたくないとか、拒絶されたくないとか言う気持ちが大きいのである。なにかキッカケがあれば以前の――
「……どうかされましたか?」
そして内心でどうしようかと悩んでいると、クロ殿が不思議そうに問いかけて来た。
くっ、私は平静を装っていたというのに気付かれるとは。そんなにも見てくれているのか、流石は最愛の夫である。
「ど、どうかとはなにがだ?」
「えっと……なにやら集中出来ていないみたいなので」
「仕事が終わって気が緩んだだけだ!」
「そ、そうですか」
って、なにを私は勢いよく否定している。クロ殿も困ってるのではないか。
違うんだクロ殿。私は先日言われた様な増えるかもしれない家族とか、ホリゾンブルーの幸せそうにお腹を撫でる姿を見て良いなと思ったりとか、そんな事があって色々と思うようになっただけなんだ!
――……これではただの淫らな女ではないか。
――いや、夫相手なら淫らと思われても良いな。
――だが誘うなら一昨日の方が良かったかもしれんな。
――過去を遡るのは無理だから今行けるな。
――よし、行くぞ。
よく分からない思考が私の中を巡る。
自然かつ大胆に。文学的に退廃的に。感情に訴え感傷にならぬよう。
ヴァイオレット・ハートフィールド、いざ、行かん――
「父上、母上、よろしいでしょうか?」
「グレイ? 構わないぞ」
そして行こうと意を決して言おうとすると、執務室の扉がノックされ声をかけられた。
……最愛の息子を無視をするのは良くないからな。だから誘うのは今はやめておこう。決して逃げている訳じゃない。決して逃げてない。
「どうした、先に寝るんじゃなかったのか?」
「はい、そのつもりだったのですが……」
扉を開け、中に入って来たグレイは寝間着姿のままであり、こちらの様子を伺うような表情であった。
なにかを切り出そうとしているのだが、言って良いモノかと恥ずかしがっているような表情である。普段であれば真っ直ぐ言うか、言い辛そうにする事は有っても恥ずかしがることは無いのでグレイにしては珍しい表情だ。
「もし、仕事が終わったのでしたら……お願いが有りまして」
「お願いか。遠慮せずに言えば良いぞ」
「はい。実は今夜――」
そしてグレイは、恥ずかしがりつつも“お願い”を私達に言ったのであった。
◆
「一緒に寝たい、か。これはまた珍しい事を頼んだものだ」
そしてグレイのお願いから十数分後。
私達は寝間着に着替え、グレイの部屋のベッドでグレイを挟む形で私とクロ殿が寝ている。独りで寝る分には広いのだが、三人で寝るとなると少し詰める必要があるので自然と距離が近くなる。
「……申し訳ありません。ご迷惑だとは分かっているのですが……」
「構わないさ。シキに来た頃もよく眠っていたからな、懐かしいとも思うよ。迷惑なんて思わない」
「私は初めてだな。クリームヒルトなどとはあるが、こうして家族で寝るのは初めてだ。だから気にしなくて良いぞ」
家族三人、同じベッドに天井を見上げながら会話をする。経験のない事に戸惑いはしたものの、近くで会話をし、右を見れば息子と夫の姿を見れるというのは中々に良いモノだ。普段寝る時とは違う心地良さと温かさがここにはある。
「だが、学園に行くのに親に甘えて良いのかー? こうしているとシキを出るのが寂しくなっちゃうぞー」
「う……それはそうなのですが……」
クロ殿が声だけでも分かる揶揄うような表情でグレイの頭をくしゃくしゃと乱す。グレイは言われた事を分かっているのか、反論出来ずに口籠っていた。
「クロ殿、グレイをあまりイジメるな」
「はは、ごめんなさい」
私も注意し、クロ殿は謝りそのまま頭を撫でる。
クロ殿も本気で言っている訳では無いだろうが、半分近くは本音だ。頼られるのは嬉しくとも、少しは突き放さないと、と思っているのだろう。……こうしてグレイのお願いを聞いてあげているので、突き放すとはいっても甘い対応ではあるのだが。私と同じでクロ殿も寂しくて、今しか出来ないと思ったからこうしているのだろうが。
「だが、急に一緒に寝たいなんてどうしたんだ?」
クロ殿は撫でるのをやめた後グレイに問いかける。
先程は私達が了承するなり嬉しそうにして自室に準備に戻ったので聞けなかったが、今なら聞けると思ったのだろう。
「……私めはもうすぐ学園に通うために、首都に行きます」
「……そうだな」
「その前に確認をしたかったのです」
「確認?」
そしてグレイは天井を見ながら理由を語り始める。
クロ殿と私もそれに倣って天井を見ながら話を聞いた。
「私めは幸せです。生まれが定かではなく卑賤な育ちであるのに、父上に教育してもらい、仕事を貰い、養子にもして頂きました。そして尊敬する母上も出来、私めは胸を張って幸福であると言えるようになりました。五年前では考えられません」
尊敬する、か。
私はグレイに助けられたのだが、グレイが少しでもそう思ってくれたのならば嬉しいモノである。
「ですがふと思ったのです。私めが学園に通う事になった時、独りでも頑張れるのかという事を」
「アプリコットや友達のクリームヒルト、それにバーガンティー殿下やフューシャ殿下もいるのに独り、か?」
「はい。当然皆様は頼れる存在ですし、皆様が居れば私めも頑張れるでしょう。ですが……」
グレイはそこで私の右手を握って来た。恐らく逆の手ではクロ殿の手を握っているだろう。
「ですが、私めの原点は家族――父上と母上です。家族という優しい存在が居るからこそ、私めは頑張れると思うのです」
……グレイは真っ直ぐで、純粋で、素直な子だ。
だが悪意を知らない訳ではない。むしろ悪意に晒されて来たから、無意識的に避けている節もある。
しかし今のグレイは親元から離れ、学園に通うという選択肢を選んだ。そこでは様々な新しい事の中に、悪意が含まれているのも何処かで分かっている。悪意が無くとも挫折があるのかもしれない。
「……なので、より身近に感じたかったのです。ふと誰にも言えない嫌な事があった時に、この温かさを思い出せるように」
だからこそ下を向く時がある時、上を向こうと自分を奮い立たせるために思い出として残したかったのであろう。
家族とこうして身近に過ごした記憶を。
「……申し訳ありません。私めの我が儘に付き合って頂き――わぷっ」
私とクロ殿は示し合わせた訳でも無いが、自然とグレイの方へと身体を向けて抱きしめるような形になる。
「我が儘だなんてあるモノか。可愛い息子の大切なお願いだ。父親として嬉しく思うぞ」
「私も母親として、誇らしく思う。愛する息子の居場所になれて誇らしく思う」
「……はい、ありがとうございます。私めは父上と母上の子で、本当に幸せです」
そう言うと、私達はより近付き互いの温もりを感じた。
それは身体だけではなく、心まで温まる様な満ち足りた温かさであった。
これはとある春の日の夜の出来事。
今日という日はとても幸福で、春のような温かな一生の思い出を作る事が出来た。




