関羽!
「まずは聞きましょう。抱くというのはハグという意味の抱くですか?」
思わず素の言葉が出てしまったが、気を取り直して敬語で問い返す。
そう、抱くと言っても俺が思った意味での抱くという意味では無いかもしれないんだ。グレイ辺りであれば悩まずに「良いですよ!」と言って、ギューと抱き着きそうだ。そういった意味で言ったかもしれないし、その発想に最初に行かずに別の意味に解釈する俺の頭が汚れているだけかもしれない。
一応ハグ程度ならば俺は受け入れよう。後からヴァイオレットさんに謝ったりする事にはなるだろうが、ハグで悩みが晴れるのならば俺はする。
「ううん、男女としてのまぐわい的な意味で」
しかし俺の淡い期待は打ち砕かれた。
……うん、そうだような。子供じゃないんだからそういう意味になるよな。
「であればお断りします」
だとしたら受け入れる訳にはいかない。
どういった理由でそういったのかは分からないが、不貞を働くつもりは無い。
「大丈夫、犬に噛まれたと思って一夜のラブを楽しもう、ぜ!」
「それってなんか違いませんかね」
「据え膳食わずしてどうする!」
「落ち着いてください」
据え膳を食べて腹を壊したら意味が無いんだよ、と言いかけたがどうにか飲み込んだ。
「私は一応綺麗だといえる外見しているでしょう! それに鍛えてもあるから身体も良いんだよ!」
「それは認めますが……うん、服を着せるの楽しそうですよね。着せたい衣装が多くあります」
「そういった反応をされるとは思わなかったよ。ともかく一夜を共に出来るのは誉れ程度には……なるはず!」
王族相手の社交辞令などではなく、スカーレット殿下は美人である。
女性にしては高い170越えのスタイルもスラッとして締まっているモデル体型。見える四肢などの肌は綺麗であるし、世の男性の多くは見惚れる程には全体を通して綺麗な御方だ。学園に居た頃も王族関係無しに惹かれる生徒が多かったように思う。
彼女と一夜を共にすれば男としては一生の思い出になるかもしれないが、俺にとってはヴァイオレットさんに顔向け出来なくなりそうな思い出になりそうである。
――しかしなんで俺に対して……
そんな彼女がなんで俺に抱いてくれなんて言うのだろうか。
自棄……なのだろうか。何故自棄になるかは分からないが。
まぁ明らかに茶化す様な物言いであるし、言い方からして本気ではないのだろう。
「大体抱いたら大変な事になるじゃないですか。何処からふとした時に漏れ出るか分からないんですよ。王族の不祥事として利用されたらどうするんです」
未婚の王女、婚約者がいる貴族男性に対して不貞を働く。
……間違いなく王女としてマズい事になりそうだ。俺も酷い事になるが。
そしてなにがキッカケで洩れるかは分からない。酒を飲んで酔った時にとか、王族に恨みを持っている俺が自棄になって言うとか。
なにかを勘繰った反王族グループが俺を惑わせたり拷問したりで吐かせ、情報を手に入れるかもしれない。
そんなリスクを負う必要は――
「うん、だから魔法契約を交わして、この件は口外を行わないようするの」
「え」
え。
「不履行をした場合の罰ではなく、行為を行ったその日の事を言葉に出来ない様にするための契約。これで互いに洩れる事は無くなるわけ。一夜の事は互いに話す事は出来ず、外部に漏れる事も無いというわけ」
「え、ちょ、ちょっと待ってください」
「だからクロ君もヴァイオレットに知られる心配はしなくて良いの。……生憎と私は未経験だからリードしてもらう形になるけど、私も頑張るしお願いだから私を――」
「ま、待って! 待ってください!」
スカーレット殿下は魔法契約の書類を取り出してつらつらと語り出す。
魔法契約。ようは魔法によって契約を交わした者同士を書類の内容通りに強制するものだ。
例えば……というか、ハクさんが実際に交わしたのだが、【嘘偽りなく質問に答える代わりに、身の安全を保障する】といった感じに使用される。
一度交わされた契約内容は互いに不可侵となるような、絶対的な効力を発揮される代物だ。俺はこの存在を知って「Fa〇eで似たようなの見た!」となった代物でもある。
ちなみにだが魔法契約の実行や書類作成はとても高度であり、ヴェールさんレベルで問題無く作れる、というレベルである。
「そんなものを出すなんて……本気、なんですか」
「……うん」
そしてスカーレット殿下が出したのは本物だ。
持っていたものを渡され手に持って近くに見るが、本物だと分かる。昔学園の授業で見た魔法契約に必要な魔法陣と同じモノがかかれ、俺にでも分かる程の魔力を感じる。
そんなものをわざわざ用意するなんて……冗談などではなく、本気で……
「あの、俺は妻帯者です。子供もいますし、不貞を働くつもりはありません」
「知ってる。仲睦まじいよね」
「それに貴女は未婚の女性であります」
「うん。どうにか出来ているけど、本来結婚は政治的利用をされるべき身分の未婚の女ね。自分で言うのも変な感じするけど、いわゆる純潔な身体、的なね」
「……それを知った上で、抱けと言うのですか」
「……それを知った上で、抱いてと言っているの」
冗談などではない本気の声色。本気の表情。
今まで見た事のない、本音を吐露するかのような真っ直ぐな視線で。
「理由をお聞かせください。俺なんかにそれをする理由を」
……なにが彼女をここまで追い詰めているのか。
好きでもなんでもない男に対して、引け目をとらせない様にここまでするのか。
「話せば抱いてくれるの?」
「それとこれとは話が別です」
「……ズルい」
「結構です。俺は理由を聞かねばなりません。抱くだけならばその辺りの男や男娼でも買えば出来るはずです」
それなのにわざわざ俺に頼んで来た理由。それがあるはずだ。
抱くつもりは無いが、理由が分かればなにか出来る事くらいはあるかもしれない。
「それに、カーキーあたりにでも頼めば貴女なら受けいれられると思いますよ。何故俺なんです?」
「カーキー君は私の祖母を抱いて後で酷いめにあって、王族には手を出さないって心に誓ってるから無理」
「待って。アイツそんな事したんですか」
「知らなかったの? カーキー君はお忍びで街に降りてた私の祖母をナンパして一夜の過ちを犯して問題になったんだよ。一応王族とロバーツ家だけで処理はしたけど、それでシキに来たはず」
「そうだったんですか……」
唐突な初情報に戸惑ってしまった。そう言えばアイツ王族相手には色々畏まっていたからな……正直俺はヤバい相手に手を出した、程度にしか知らなかったからなぁ……。
あとスカーレット殿下の祖母って、確か今は六十か七十代だったような……カーキーにとっても実の祖母とそう変わらないはずの……い、いや、考えるな。今は考えるべき時ではない。今はスカーレット殿下に集中すべきだ! ……アイツ凄いな、色々と。
「……我が王国では同性愛、というか同性婚は認められていない。理由は色々あるだろうけど、異常……は言い過ぎにしても一般的では無い愛に含まれるからね」
「……そうですね」
その辺りは俺は前世では昔や今世の今と比べ寛容になってきていた世界に居たため、頭が固いと思う事も有るが、それが今のこの世界の価値観なんだから仕様が無いとは思っている。俺は愛があるなら別に構わないと思ってはいるが。
「だけど私は同性である彼女達を好いていて、男を異性として魅力的と感じた事は無い。友達とかは良いかな、って思ったり、同性よりは男子と遊んだ方が気楽だったりはするけどね」
「はい」
「いわゆる女としての自覚が薄いんだと思う。否が応でも感じる時は有る。けど私は……女として、“王女”として居る事が嫌なんだと思う」
「そう、ですか」
「うん。多分昔に愚弟……ヴァーミリオン共々王女として色々あったせいだと思う」
それはスカーレット殿下とヴァーミリオン殿下の母親の件なのだろう。
王族の国家機密ではあるだろうが、少なくとも知っている者は知っているだろうし、コーラル王妃のアタリは強かったものだとも思う。
……実の母と父の関係性や、名目上母になっている存在を母と敬う必要があったら、なにを思うかは俺には想像に及ばない。
そして今のスカーレット殿下は……
「もしかしたら女性を好きになっているのも、王女としての模範を振舞わせようとする事に対する反発から来るモノかもしれない、と?」
「かもしれない。私が恋とか一目惚れだと思っているのは、良い子で居るのが嫌な我が儘かもしれない。だから……」
「いわゆる一般的な女性としての悦びを知ってみたいと思った。……そういう事でしょうか」
「……うん。知ればなにかが変わるかと思って」
生きている間は性の問題は切っても切り離せない問題だ。
なにをもって一般的な性とするかは時代や国によっては変わるだろうが……男だろうが女だろうが、性を満たせば生を実感出来るというのはあるのだろう。
……あるのかもしれないが、やはり疑問がある。
「だとしてもなんで俺なんです?」
何故俺なのだろう。先程言ったように、俺じゃなくても選り取り見取りだと思うのだが。
……いや、別にそんじょそこらの男を相手してこい、って言っている訳では無いのだが。
「いや、だって男兄弟に頼むわけにはいかないでしょ。それに……」
「それに?」
「……知らない男の人に身体を許すって、怖いじゃん」
「はい?」
「私はそういう事に対して勝手は知らないし、知らない男の人に身体見せて抱かれるって……怖い」
急にしおらしくなられても困る。
普段の様子とのギャップにちょっとキュンと来てしまった。
「それならこういった事を話せるような仲の良い間柄で、優しくしてくれそうなクロ君になら頼めるかな……って」
「は、はぁ、ありがとうございます……?」
あれ、つい感謝を述べたがこれ褒められてるのだろうか。……褒められているんだよな?
「さぁ、理由を話しだのだから今すぐその魔法契約書に名前を書いて! ついでに血もつけて! さぁさぁさあ!!」
「いや、ですから理由を聞くのと抱くのは別問題ですって!」
「ここまで言わせておいて断る気!? 女に恥をかかせずにちゃちゃっと抱かんかい! ヴァイオレットにしているみたいに私にも女の悦びを教えんかい!」
「くっ、や、やめっ、無理に書かせようとしないでください!」
「ねぇ、お願い……私を優しく女にして……貴方にしか頼めないの……」
「しおらしくすれば良いってもんじゃないですからね!」
「ちっ、ヴァイオレットが偶に見せる感じにすれば行けると思ったのに……!」
この方結構余裕が――って、油断をすれば無理矢理書かされる!
やばい、スカーレット殿下は本気だ。今までに無いくらいの本気、組手とかと比べモノにならないほどの圧を感じる。
そして“俺の手”で書いた名前が、“俺の血”と共に記されれば俺は実行せねばならなくなる。
つまりスカーレット殿下と――駄目だ、本気で抵抗せねば!
「あはは、黒兄がなんかアダルティなゲーム主人公っぽい展開に巻き込まれている!」
抵抗せねばと思っていると、応接室の扉が開かれ、よく知っている声が聞こえて来た。
その声がした方を向くとそこには……クリームヒルトが居た。
いつものような笑顔ではあるが、楽しんでいるような複雑そうな微妙な表情だ。
「なに黒兄。ついに昔やってたアールがかかっているゲームに有りがちな“本当は望んでは居ないけど、相手が望んでいるから仕様が無いし、後腐れも無い!”的な感じでつまみ食いする能力にでも目覚めた? ほら、共通ルートの最初の方にエロでストーリーを読ませるための冒頭エロ的な」
「目覚めてない!」
「じゃあハーレム主人公にありがちな“両方好きだけど選べない。けど相手が私達を愛してと言うのだから問題無いよね!”的な感じ?」
「違うわ! 俺はヴァイオレットさん一筋だ!」
ていうか助けて欲しい。今もスカーレット殿下は俺に書かせようとして来るし。ていうかクリームヒルトの存在に気付いて意識が向いた瞬間は危なかった。
「あ、そうだ。黒兄にお客さんだよ?」
「お前は本当にマイペースだな!」
確かに何故この時間にクリームヒルトが来たのも不思議ではあるが、今はそれ所ではない。
来客が誰かは知らないが、今は引き取ってもらうとしよう。というか相手をしている余裕が無い。
「……随分と楽しそうな事をしているようですね」
だけどその声に、隙を付いて俺に魔法契約を書かせようとしていたスカーレット殿下の動きが止まった。ついでに俺も止まってしまう。
声を聴いただけでスカーレット殿下が冷や汗を流すほどの声であり、恐らくは父君であるレッド国王よりスカーレット殿下が言う事を聞くだろう存在。
俺に不貞を強要しているという状況で、妻であるヴァイオレットさんよりも気まずくなる存在。
「なにをしているのか聞かせて貰いましょうか、ねぇ、スカーレット」
スカーレット殿下を敬称無しで呼び捨てできる彼女の名前は……
「げぇ、ローズ姉様!? 何故此処に!?」
そう、ローズ第一王女が俺達を見ていた。
……助かったが、本当に何故ここに居るのだろうか。




