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沸き上がる妙な感情(:菫)


View.ヴァイオレット



「……はぁ」


 執務室で溜息を一つ。

 本来なら相手を焦らす以外では吐かないように教えられている溜息だが、目の前の報告資料を見ると溜息の一つも吐きたくなるものだ。

 

「ヴァイオレット様、紅茶をどうぞ」

「ん……ありがとう、グレイ」


 私の姿を見て疲れていると判断したのか、来客応対の秘書役として残っていたグレイが紅茶を差し入れてくる。

 うん、とても美味しい。私好みの砂糖の量で、淹れ方も完璧と言える淹れ方だ。グレイは紅茶や珈琲の淹れ方は私が知る限りでは一番上手い。


「グレイは本当に淹れるのが上手いな」

「恐縮です」


 私が褒めると、恭しく頭を下げた。

 その態度は正に秘書や執事と言った感じで、年齢を考慮すれば教育が行き届いているしっかりした子と言えるだろう。


「……グレイ、家にいる時くらいもう少し気を緩めてもいいんだぞ?」


 だが、グレイは義理ではあるが私の息子だ。

 会ってから2ヵ月程度しか経っていないので心を開いてくれていないのは仕様がなく、私も距離感を決めあぐねていたので心の距離があるのは仕方ないが、やはりこのように接されるのは少し寂しい。良い子ではあるのだが。


「いえ、普段からの言動に留意しなくては、大切な時に粗相してしまいますので」


 グレイは心を閉ざしている……と言うよりは、純粋にこの態度がこの子らしさなのかもしれない。クロ殿に接している時も敬語のこの子は、敬意を表すべき相手として私達を捉え、尽くすことが幸せと感じるタイプなのだろうか。

 家族に対しても丁寧語を使うのは珍しくない。私とて父や母には敬語を使っていた。

 しかし呼び方は父上、母上で名前呼びはしなかった。


「……ふむ」


 さて、どうしようか。

 グレイらしさを取るのならばこのままで良いかもしれない。

 私自身が“一般的な”家族としての過ごし方を知らないのもある。父は私にあまり興味を持たなかったし、母は社交場の場を除けば会話も殆どなかった。兄達ともある程度の年齢に達してからは偶に会う程度であった。つまり私は家族としての距離感が今一つ分からない。

 クロ殿とグレイの間には、グレイが同じように敬語を使っているとはいえ確かな信頼関係を感じるし、ああいった感じに気の置けない間柄になりたいのだが……


「グレイ、今この場には私達しか居ない。呼び方くらいは変えて呼んでくれないか?」

「呼び方ですか。……ハートフィールド夫人?」

「何故距離が遠くなる」


 グレイにそう呼ばれるのは割とショックだ。お願いだからやめて欲しい。


「ヴァイオレットお母様」


 昨日も確かそう呼ばれていたな。

 社交の場などで呼ばれるのは正しいのだろうが……もっと親しみを込めて欲しい。その呼び方だと若干私の母を思い出すのもあるのだが。


「……ママ?」


 なんだろう。妙な感覚が沸き上がってきた。今まで味わったことの無い感覚だ。

 私の名前を呼ばずに母を呼称するだけで良かったのだが、グレイは3段飛ばしくらいで距離感を詰めて来た。

 落ち着け、私。私はあの武器職人とは違う。ああ、だがなんだこの感覚。上目遣いで小動物的な少年がママと呼ぶ感覚は――


「これは流石に私めには似合わないですね……やはり母上辺りでお呼びしましょうか」

「似合っている、だからもう一度」


 私はガシッとグレイの肩を掴み詰め寄った。

 正直ママと呼ばれるのは恥ずかしいので母上で良いのだが、これを逃すともう呼ばれない気がした。


「どうされたのですか、まるでブライ様のようです」

「ぐっ!?」

「何故頭を押さえて打ちひしがれるのです!?」


 違う、私はあの変態武器職人とは違うんだ。

 彼を変態と気付いていないグレイが、純粋に似ていると言うことにダメージを負う。違う、ただ家族として接して欲しいだけなんだ。暴走しているわけではないんだ。

 落ち着け私。小動物のように思えるということは、グレイをペット扱いにしているようなものじゃないか。ああ、だけど呼ばれる感覚には喜びがある。

 ……いや、これは弟程度の年齢差の少年に呼ばれることに興奮しているだけじゃないだろうか。だとしたら正にへんた――


「私はブライさんとは違う私はブライさんとは違う私はブライさんとは違う私はブライさんとは違う……」

「戻ってきてください、ヴァイオレット様! 私めの呼び方はそんなにも精神に影響するのですか!?」


 ――ハッ、いけない。現実逃避で呪詛を唱える所であった。

 ただでさえ影響の受けやすいグレイだ。シキに居る以上変な影響を受けないとも限らないし、私だけでも良い見本になるよう毅然と振舞わなくては。


「大丈夫だ、グレイ。それと、なんだ。呼び方に関しては気が向いた時に呼びたいように呼んでくれて構わない」

「は、はぁ……承知致しました」


 グレイは私の様子を見て若干引いていた。確かに呼び方一つで相手の様子が変になったら困惑もするだろう。……母と気兼ねなく呼ばれるのはもう少し先だろうか。

 出会って二日目の呼ばれ方を決めようとした時に、普段から母と呼んでもらえるようにしておけばこんなことには――ん? 誰かが来たのだろうか。呼び鈴が鳴らされている。


「来客でしょうか。私めが確認してまいります」

「頼めるか」


 グレイ一礼すると、執務室を素早く音を立てずに出ていく。……本当にしっかりした子だ。公爵家(うち)侍女(アンバー)よりしっかりしているんじゃないだろうか。


「来客か……予定は無かったはずだが」


 今日は特に来客の予定はこれ以上に無い。

 バレンタイン家の使者が来るにあたって予定などはクロ殿にも確認した。だとすれば旅人や商売人辺りが来たのかもしれない。いや、緊急の報告という可能性もある。学園の生徒が来ている以上、普段よりは気も張らなくては――


「そういえば、この後会いに行かなくてはな」


 ふと、学園の生徒と会う約束をしていることを思い出した。

 会いたがっているのは確か決闘にも関わった女生徒、だったか。クロ殿は遠回しな言い方をしていたが、決闘に関わった女生徒と言うと彼女だろう。彼女がここに居ると言うことは驚きではあった。……が、目を逸らすわけにもいかないだろう。

 殿下が好きになり、アッシュ達も惹かれ、貴族平民関係なく笑顔で接していた彼女であり、暴走していた故に見ることが出来ていなかった同級生。

 ――心を落ち着けて、会いに行くとしよう。


「……会ったらまずは謝罪をしなくてはな」


 私や貴族社会にとって非常識なことをされ、理解しようとしなかった彼女ではあるが、かといって私の行為が許されるわけでもない。

 だけど、クロ殿と夫婦になって幸せだとアピールするくらいは良いだろうか。見せつけてやって唖然とした表情はやはり見てみたい。……けれどアピール上手くいっていないからな。挙句には体調を心配されるくらいだ。

 あの時はグレイにも心配をされてしまって――


「……?」


 と、そこで。私がこれからのことを考えていると多少の時間が経過していることに気付いた。

 おかしいな。そろそろグレイが戻ってきて報告の一つもありそうなものなのに。玄関先で対応をしているのだろうか。

 もし変な勧誘などであれば、影響の受けやすいグレイが感化されないとも限らない。念のため玄関先の様子をこっそりと見ておくとするか。


「……グレイ?」


 しかし玄関の扉の所に来たが、そこには誰も居なかった。

 家の中に案内された様子も無く、開けたままの扉から外を見るが近くには誰も居ない。


「グレイ?」


 もう一度呼びかける。


 返事は、ない。


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