温泉上がりに○○_3
何故こうなったかも、どのような理由で後ろから抱き着くという、普段であれば他者の視線を気にして、しないだろう事をしたかは分からない。他者の視線が無くても恥ずかしがってしないとは思うけど。
ただ分かる事は、いつもより体温が高いヴァイオレットさんに後ろから抱きしめられた、という事だ。
服越しとは言えぬくもりを確かに感じ、甘い香りがして、可愛らしい擬音を言いながら妻が抱きしめてくれる。うん、明日反動でシキの奴らが暴れてもお釣りがくる程度には充分な幸福である。
「……あったかい。それにクロ殿の――」
後ろで抱き着いているヴァイオレットさんが小さな声でなにかを呟く。多分香り的な事を呟いた気がするが……俺、今臭くないだろうか。温泉上がりで香油とか使ったから大丈夫だよな? 今良い香りがしているヴァイオレットさんと同じモノを使っているし大丈夫だよな? でも普段から同じものを使っているのに、何故か俺とは違った香りをふと感じさせることあるし……そこを気にしていると離れて大丈夫か確認したいが、今この状況を脱したくない。あったかい。
「……どうされましたでしょうか、ヴァイオレットさん」
だけど周囲にグレイなどもいるため、なにも言わずにこのままでいる訳にもいかず、ようやく声を出してこの状況を尋ねる。するとしばらく間を開けて、ようやく絞り出したかのような声でこのままの体勢で答えられた。ぎゅっぎゅっ。
「……これは、つまりだな。……あててんのよ状態というやつだ」
「行動を教えたのはクリームヒルトさんでも、その言葉を教えたのはメアリーさんですね」
「何故分かったのだクロ殿……!?」
元ネタは知らないけどその言葉だけは知っている言葉。一応この世界でもその言葉くらいなら生まれそうなものでもあるが、状況的にメアリーさんが教えたとしか思えない。ぬくぬく。
「何故このような事を?」
「ええと……」
「答え辛いのならば別に今は良いですし、正直このままでも良いのですが……その、周囲の視線もありますし」
改めて聞くと、ヴァイオレットさんは答え辛そうにしていたので、理由は後でも良いのでとりあえず離して貰えないかと遠回しに言う。別に離さなくても良いのだが、シアンとクリームヒルトさんの「ひゅーひゅー」という感じの視線や、シルバの「なにをやっているのだろうか」みたいな視線が少し痛い。ふにふに。
「……弟子よ」
「はい、どうされましたか、アプリコット様」
「良いか、絶対に動くな」
「はい?」
すると俺達の様子を見て意を決したかのような表情になったアプリコットが、グレイの方に向き直る。いつもの自信に溢れた表情では無く、年相応の少女のような表情だ。あのような表情をするとは珍しい。むにむに。
「む、むぎゅー……」
「――むにゅ。……なにをされているのでしょうか?」
「……抱きしめている」
「はい、そうですね」
アプリコットは動かないグレイを見て一呼吸し、腕を広げたかと思うとそのままの勢いでグレイに抱き着いた。俺達とは違って正面からである。ぺたぺた。
「……なにか感じないか、弟子よ?」
「そうですね。…………ぬくもりと心音、あと香りから判断するに……お風呂上がりの珈琲はアイスが良い、でしょうか!」
「違う」
「くっ、申し訳ありませんアプリコット様……バーント様やアンバー様の様に判断する事は私めではまだ早いようです……! せっかくご協力頂いているのに……!」
「それも違う。あのフェチ兄妹をマネするでない」
アプリコットはそれを聞いて相変わらずだと言うように小さく息を吐き、抱き着いていた身体を離した。
それを見ていたのか、ヴァイオレットさんも同じように身体を離す。……名残惜しい。
「それで、入れ知恵をしたであろうそこの方々。なにを入れ知恵したのです? 特にメアリーさん。あまりヴァイオレットさんに変な言葉を教えないでください」
「え、でも今の行動って、そういう行動ですよね?」
「間違ってはいませんが、間違っています」
名残惜しさはあったが、何故このような事をしたのかを周囲で見ていた奴らに聞いてみる。
シルバは「僕にはなにもないんだ……」みたいな表情をしていたが、それに関しては無視をしておこう。触れても良い事はなさそうだし、あのノンストップの呪詛じみた言葉を言われても困るし。
「はーい、私が説明するよ!」
するとクリームヒルトさんが手をあげ、俺の問いに対する説明を開始した。
何故かいい仕事をした後かのような誇らしげな表情であるが、とりあえず話を聞くとしよう。
「私達は女湯に浸かっている中、とある話題が上がったのです。そう、私達は恋愛経験がクソ雑魚なのでは無いかと」
クソ雑魚て。
「唯一結婚しているヴァイオレットちゃんもようやくキスが出来て、さらには手を繋ぐだけで赤くなるような初心。アプリコットちゃんは誰とも付き合い経験もなく。シアンちゃんは愛しの神父様の前だと緊張で上手く行動できず。メアリーちゃんはイケメン侍らせながら誰とも経験がない乙女」
「あの、クリームヒルト? 私の説明だけ悪意ありません?」
「気のせいだよ。そして私は誰かを好きになった事も無ければ“お前を女として見るのはちょっと……”みたいなリアクションを取られる爆弾魔!」
自分で爆弾魔言うのか。……あれ、でもなにか変だったような。多分メアリーさんが居る事による変化だろうが、そんな評価を受けていただろうか。
「で、それならば“好きな相手、もしくは親しい相手に一番積極的にアピールできるかを競い、一番のクソ雑魚は私では無い事を証明して見せる!”みたいな会話になった訳ですね」
「その通り!」
「“だけどメアリーちゃんはなしで。どうせ上手く揶揄うの慣れているんだから、不公平になるでしょ”みたいな感じでメアリーさんは無しになった訳ですね」
「それな! 参加したいのならシルバ君を上着の内側に入れて直接肌を密着させるレベルじゃないと、という感じに言ったよ」
それを聞いたシルバが、先程まで少し不貞腐れていたが次には顔を真っ赤にして「ならされなくて良かったかもしれない……」みたいな複雑そうな表情になった。
そしてだからヴァイオレットさんが俺に抱き着き、アプリコットは一番親しいグレイを対象にした訳か。
「……よく分かるな、クロ殿」
「いや、まぁなんとなくそういう会話しそうだな、って思いまして」
「……そうか」
しかし、アプリコットならもう少し勢いよく、いつものようにカッコいい響きの言葉を選びながら、中二病全開で高笑いしながら行きそうなものだが。
……もしかして、アプリコット関連でなにかあったから、今回のような事になったのだろうか。
「で、アドバイスをしたのがお前な訳か?」
「あはは、そうだねシルバ君。とりあえず男の方って、普段とは違った可愛らしい一面を見せると、ときめくって聞くし、擬音を口に出すと可愛いって思うもんなんでしょ!」
「思ったより適当なアドバイスだな。擬音はなんとなく分かるのが悔しいが。――っ、そろそろ戻ろうよ。このままここに居ても湯冷めしちゃうし」
突風が吹き、冬の寒さを感じさせる冷気が俺達を襲い、シルバが少し身体を震わせる。
確かにこのままいれば湯冷めしてしまう。先程までは色んな意味で温かかったが、そろそろ戻るとしよう。
「じゃあ明日はシアンちゃんの番だね! 神父様も明日帰って来るって言うし。帰ったと同時に抱き着くんでしょ!」
「うっ……でも皆がシキから帰るまでに帰って来るかなー。神父様も忙しいだろうしなー」
「安心しろ、シアンさん。我が責任をもって見守り、皆が帰った後だったとしても結果を報告しよう。しないという選択肢はないぞ」
「ぐ、コットちゃん。もしかして煽ったの根に持ってる……?」
「さぁ、なんのことだろうな? ――!? で、弟子、急になにを……!?」
「あ、アプリコット様。よく分かりませんでしたが、触れ合う事を競った、という事なのですよね? ならば手を握って帰ろうかと。……違いましたか?」
「い、いや、違わないぞ。違わなくはないが……」
「…………良いなぁ」
「シルバ君、私達も握りますか?」
「えっ!? い、いいの!?」
「はい、羨ましそうに見ていましたから。……勘違いだったらごめんなさい」
「う、ううん!? よ、よろしくお願いします!」
「ふふ、はい、良いですよ」
「……うーん、やっぱりメアリーちゃんが私達の中では強者かな」
「あはは、そうかもしれないね」
シルバの言葉に一様に皆が賛同し、ぞろぞろと話しながら我が屋敷に向かって歩き始める。そういえばもうそろそろ学園も始まるし、クリームヒルトさん達は明日には帰るんだったな。
寂しくはなるが、いつかまた会えるだろう。
「ヴァイオレットさん、俺達も行きましょうか」
俺達も戻ろうと、ヴァイオレットさんに声をかける。
グレイ達のように手を握るのも良いかもしれないと、先程勇気を出したヴァイオレットに応えようと俺の勇気を出そうと意気込みながら、ヴァイオレットさんが居る後ろを振り向こうとすると。
「振り返らないでくれ、クロ殿」
「っ!?」
再び、後ろから抱き着かれた。
な、なにが起きている!? 俺が勇気を出そうとしたのに、ヴァイオレットさんが再び勇気を出したと言うのか……!? そうだとしたら情けない気がするが、再び感じるぬくもりに思考が上手く追い付かない。
「あ、あの、とても嬉しいですけど、そろそろ帰らないと……」
「…………」
「ヴァイオレットさん、な、何故さらに強く抱きしめるのです?」
皆は先に行っているため誰も見ていないので先程よりは恥ずかしくは無いが、それでも緊張する物は緊張する。俺がドギマギしながらどうにか言葉を発するが、ヴァイオレットさんは離れる事無く、より強く抱きしめ、顔を背中に埋めた。
すると少し経ってから、ヴァイオレットさんは小さく言葉を紡ぐ。
「……クロ殿は先程のこの行動と言葉を、クリームヒルトとメアリーから教わったと言い当てたな?」
「は、はい、そうですね」
行動に関してはクリームヒルトがサムズアップをしてたから分かった事だけど。
「それが今の行動となんの関係が? ……もしかして、なにか変な事を……?」
「……私よりクリームヒルト達の事を理解しているようで、悔しかった」
「えっと……それってつまり」
「……嫉妬したんだ」
ヴァイオレットさんは顔を埋めたまま、俺にしか聞こえないような小さな声で、呟いた。
「……はしたないとも、みっともないと思われるかもしれない。けど、他の女性と理解しあっているように見えて、その、寂しく思えて……」
「……ごめんさい。そのようなつもりは無かったんですが」
「謝らなくて良い。クロ殿が悪い訳じゃないんだ。……けど、もう少しだけ、こうさせて欲しい。私がクロ殿を感じたくて、先程も今も、抱き着いたのには間違いがないのだから」
「……はい。構いませんよ」
離れて欲しくない、と。もっと身近に感じたいと、後ろから抱き着かれた状態で、言われた。先程の擬音の時よりも弱々しく消え入るような声で。だけど確かに聞こえる声で。可愛らしくヴァイオレットさんは言ったのであった。
寒く、空気の澄んだ夜。
少しの間だけ、俺達はそのままの状態でぬくもりを感じていた。




