濡れて割と菫紺杏は熱が出ている
「私で、いいのか?」
「ええ。貴女がいいんです」
左薬指にはめた金色の指輪を見て、ヴァイオレットさんは潤んだ瞳と震えた声で俺の問いを確かめた。
俺は確認に対し、変わらず左手を持ちながら出来るだけ微笑みを崩すことなく返答をした。
流れでこういったことをしてしまったが、今の言葉は俺の嘘偽りのない気持ちである。
元より俺は結婚に良いイメージがないので、今回の婚姻もあの乙女ゲームの一部であり、避けられない記号的な印象であったため深く夫婦生活に関しては考えていなかった。
いわゆる仮面夫婦……とは違うが、夫婦になってしまった以上はとりあえず仲良く過ごす。的な印象であったのだ。
だがヴァイオレットさんの泣く姿を見て、不思議と一人にはさせたくないと思った。
「ありが、とう……本当に、ありがとう。私は、一人ではないんだな……」
「はい、傍に居ますから」
ヴァイオレットさんは今度は先程までとは違う悲しそうな涙ではなく、安心感と……嬉しさだろうか。そうだと良いなと思いつつ涙を流していた。
気が済むまで涙を流してくれればいいし、俺もそれで救われるのならば俺だって嬉しい。だけどこの状況って――
「ほほう」
声が、聞こえた。
女性の声だ。
シキでよく聞く、落ち着きなんて祈っている時以外に無いのではないかと思う程ハイテンションな、俺より一つ下の女性の声。
おかしい。アイツは眠っていたはずだ。
そうか、ならばこれは幻聴だ。幻聴に違いないんだ。そうに違いない。なんか後ろで動く気配とかは全然しない。
「わ、わわ……! シアンさん、我は初めて告白を見ましたよ! あれ、でもクロさんとヴァイオレットさんは夫婦だから、こういうのってなんて言うんですか?」
「そりゃコットちゃん、夫婦の営みってヤツだよ。この後はもちろん夜の共同作業だね」
「きょっ!? でもそうですよね。夫婦……いえ、家族ですもんね!」
「そう、家族だからね!」
「お前らいつから目覚めていた!?」
やはり気のせいじゃなかった。
シアンどころかアプリコットのヤツまで目覚めてやがる。
何処だ、何処から聞いていた? 俺のセリフの何処からだ。告白もあるが、暗殺のことも聞かれていたら色々まずい……!
「さっきの雷で目覚めた」
「我も同じく」
俺の告白からじゃないか!
あれで俺の話す言葉が決まったと同時に二人が目覚めていたとは。恨んでいいのか分からないじゃないか。
「まぁまぁ、上手くいって良かったじゃない、それにクロが居るってことはフェンリルもどうにかしたんでしょ?」
「まぁ確かに今頃グレイが眠らせて捕獲しているだろうけど」
「なら万事解決じゃない。それにイオちゃん最近なにかに追われているみたいだったからねー。クロの言葉で解放されたなら良かった良かった」
くそ、こいつ普段は変人なのに妙な所で勘が鋭い。
怪我も大丈夫そうだし、こいつら放っておいて帰っても良いだろうか。
だけど俺が相対したフェンリルの片目が無かったのはコイツがやったからだろうし、あれがなければここに来るのも遅れていたかもしれない。
それを考えるとシアンには感謝しないと駄目だろうか。アプリコットも怖い思いをさせただろうし……
「あと、私だってフェンリルの相手したんだから少しは労ってよ。か弱い女の子だぞ!」
「成人しといて堂々と自分を女の子と言うなよ。そしてフェンリルの目を抉ったのお前だろ。どこがか弱いんだ」
「んー……頭?」
「自分で言うなよ」
シアンの場合女の子発言も含めてわざと言っているのだろうが。
とはいえ仕様がない。ヴァイオレットさんが泣き止んだら肩位貸してやるか。手当も必要だろう。
びしょ濡れのアプリコットにも帰ったら風呂を貸した方が良いかもしれない。そういえば温泉が――
「待って」
「っとと?」
二人の方に意識を向けていると、ふとヴァイオレットさんの手を掴んでいた方の袖口を引っ張られた。
そちらに意識を向けると、ヴァイオレットさんが心配そうな表情でこちらを見ている。
「私から、離れるのか……? 支えてくれるのではなかったのか……?」
え、なにその台詞。
腕の袖を掴んで上目遣いで瞳を潤ませて弱々しい声で言うとかやめてください離れたくなくなるじゃないですかこんちくしょう。
「大丈夫です、大丈夫ですよーヴァイオレットさん。俺は貴女を支えますから、何処にもいきませんからね」
「……でも、今シアンさんの所に行こうとした」
「そうですけど、大丈夫ですから。寂しそうな声を出さないでください」
あれ、この人今精神状態不安定過ぎないか。
勿論傍に居たり、味方になると言った言葉に嘘偽りはないが、よく考えれば俺はまともな夫婦生活なんて知らない。えっと、こういう時は夫としてどうするべきなんだ……!?
「へいへいへーい、クロがビビってるー。どう思う、コットちゃん。行動に移さないクロにコメントをどうぞ」
「ふっ、ここは安寧を興じる為にもクロさんが傍らに座し、康寧を授ける儀式としてシンを密着させるべきだろう」
「成程、キスね。――安心なさい、迷える子羊達。神の御使いの末端としてその行為を見届けましょう」
こいつら本当に置いて行ってやろうか。
安心感を与えたり愛情の印としてキスをするのは理解している。正直俺だってやれるものならやってみたい。
だが少なくともこの状況、ヒャッハー修道女と中二病の前で初めてのキスなんて絶対に嫌だ。それに急にキスしてもヴァイオレットさんは嫌がるだろうし。
「しないのか……?」
やめてヴァイオレットさん。心が揺らぐようなこと言わないで。
ああ、もう。馬鹿二人が更に煽りだした。
だけどキスくらいした方が良いのだろうか。唇と唇はともかく、手の甲とか頬とかになら別に構わないだろう。
後で絶対に馬鹿二人には冷ややかな視線で見られるだろうけど。
「ふっ、我であればこのような些事――へくしっ」
「あれ、大丈夫コットちゃん? 体冷えた?」
「え、ええ。空間保持とかに集中したせいで身体を温める余裕がありませんでした。ううっ、服も重い……」
うん、ならその重そうな魔女っぽいマントを外せばいいんじゃないかな。ついでに帽子も。
でもこの子意地でも人前では脱がないんだよな。シキに来た頃も最初の方は熱中症で倒れる位には格好に意地を張るし。
「あっ、クロが服を脱げとか言いそうな目でこっちを見ている! あれだ、戦闘で疲弊していることを良いことに服を脱がせるつもりだ!」
「なっ!? ふ、ふふふ! いいだろう、領主であるクロよ! 我が肢体は確かに最高級宝石に勝る煌めきである。興味を抱くのも無理はない!」
「そうか、クロ殿はやはり女性の裸体に興味が……私も脱げばいいのか……?」
「よしっ、じゃあいっそのことクロも脱ごう! 犯罪も、皆でやれば、怖くない。って言うし!」
「おいこら修道女」
なんなのこの人達。
――はっ、もしやシュバルツさんがかけた魔法は彼女の露出狂すらも感染させる代物だったというのか……!?
いや、ただ単に雨に濡れて熱に浮かされ、戦闘直後でアドレナリン的なモノが出ていてテンションが高いだけだ。そうだ、そうに違いない。正直アドレナリンとか詳しく知らないけど。
「……クロ様、私めの母を3人になさるおつもりですか」
そして声がした洞窟の入り口を見ると。
いつの間にか雨が止み、月の光を背にするグレイが冷ややかな視線でこちらを見ていた。
空間保持
アプリコットが勝手に命名しているだけでそのような読みはしない。