それは装飾の無い金色の
彼女の情報を思い出すには苦労した。
なにせここがあの乙女ゲームと似た世界だと気付いた時に、覚えている限りを紙に残したとはいえ、俺の感覚では20年以上前のことである。
帝国方面に居る友人に連絡を取り、情報を照らし合わせて正しいと思ったことが事実であると確認するのには骨が折れた。
とは言え、お陰で今回はヴァイオレットさんの身が危なかったのを助けられたので良しとしよう。
俺が依頼者の名前を告げると、首を締めあげたシュバルツさんは大人しく去ると誓った。
正直言うならば自分の育った孤児院を助けるために暗殺なんてする人を去らせるだなんて、これから命の危険を常に感じると同意義かもしれないが、交渉をして身の安全を保障させた。
交渉の内容は単純に『依頼を破棄し、シキの住民に手を出さない』。代わりに『こちらも孤児院に手を出さない』という内容だ。プラス手を出さない契約でお金を払う羽目にはなったが。
「シアンとアプリコットは……うん、怪我も大丈夫そうだな。寝てるだけか」
確か二人が寝ているのは香料と魔法を組み合わせた彼女オリジナルの魔法だったか。ある程度の指向性を持たせ、【空間保持】を使っている場合は中に潜り込ませることでより効果的に対象を眠らせる、といった感じだったはずである。
害はなさそうであるし、後遺症が無いかは後で確認するとして。
「…………」
俺から少し離れた場所で座り、顔をうずめているヴァイオレットさんをどうするべきか。
今回はどうにかなったとはいえ、自身を暗殺するほどの相手がいると実感してしまったのだ。
しかもそれはヴァイオレットさんを監視していた家の者の一人であった。忠節が暴走した結果単独でやったことだったが、敵意ではなく殺意を向けられたのだから落ち着くのには時間がかかるかもしれない。
「ヴァイオレットさん。もう少し経てばグレイ達がここに到着するでしょう。暗殺が起きたことは依頼主を拘束した神父などしか知りません。他の人達は迷い込んだフェンリルの暴走としか思わないでしょう」
「…………」
「あー……ですからね。大丈夫ですよ、ヴァイオレットさんは家族である俺やグレイが守りますし、今回のだって監視者の行き過ぎた行動ですから、他の人はこんなことしませんって!」
「…………」
「えっと、だから、その……」
どうしよう。どうフォローするべきなんだ。
流石に俺も暗殺対象とされた人への心のケアなんて分かるわけない。というか転生して中身は大人なのに、子供の頃に神童とか優れているとか評されなかった俺の才能を舐めないで欲しい。あげくには「もっと落ち着け」とか言われたくらいなんだぞ。
「私は」
「は、はい」
次の言葉を選んでいる内に、ヴァイオレットさんが俯いたまま言葉を発してくれた。
良かった、会話をしようとはしてくれているようだ。
「私は、もう居ない方が良いのかもしれない」
……だからと言って、この方面の会話は苦手である。
しかし変に溜め込まれて限界が突破し、知らぬうちに自殺とかに走られるよりはこうして吐き出される方が何倍も良い。
俺はヴァイオレットさんに近付き、正面に位置を取りしゃがみ込む。
するとゆっくりと小さくだが言葉を呟き始めた。
「私のしてきたことは、周りに迷惑を掛けることばかりで。あの時も味方は居なかった」
フラれ、見捨てられ、頑張ろうとしてきた矢先の今回の騒動だ。
学園で詳細は聞かされていないが、俺でも分かるのは孤立無援であったこと。あるいは居たとしても庇えるほどの者は居なかったこと。いわゆるあの乙女ゲームでの断罪イベントは、ヴァイオレットさんにとって救いは無かったはずだ。
だが、ヴァイオレットさんはその程度には周囲が見えていなかったのも事実だ。それは無かったことにしてはならない。
「父も母も、私には期待していない。いや、もう我が子とすら思われていないかもしれない」
流石にそれは言いすぎな気もするが、俺はヴァイオレットさんの両親は詳しく知らない。
知らないのに「違う」というのはそれこそ違う気がするし、望んでいないだろう。
「クロ殿」
「……はい」
俯きながら話していたヴァイオレットさんは、顔をあげこちらを見る。
「私は、どうすればいいんだ……なにをすればいいか、もう分からないんだ……」
年齢よりも少し幼く見える、泣きじゃくった幼子のような表情。
今まで見たことが無かった、彼女の弱い面。
激情家でも、高慢でもない一人の少女の顔。
そんな彼女を見て、今までの彼女の設定が大きく崩れる。
「――――」
洞窟の外では雨が降っている。が、その弱々しい声は嫌と言う程に俺の耳に聞こえて来た。
そして外が一瞬光ると雷の音が少し遅れて洞窟を響かせる。
お陰で数秒だが言葉を探すことができ、俺がかけたい言葉が見つかった。
小さく息を吸い、覚悟を決める。
「ヴァイオレットさん」
俺の言葉に一瞬だけびく、と肩を震わせた。
今のヴァイオレットさんはとにかく負の感情に支配されている。攻撃的ではなく心が弱っているため相手の行動が全て怖いと感じているのだろう。
「本当は後で渡すつもりだったんですが」
シキに来てから1ヵ月記念の時に渡そうと思っていたけれど、仕方ない。
俺は今日の朝にそれを受け取った後に、ヴァイオレットさんが来たため慌てて懐に隠しておいた物を取り出す。黒色の箱に包まれた、包装もなにもしていない飾り気のない箱。
うん、箱は無事だな。フェンリルとかナイフとかに潰されなくて良かった。
「もっと早く用意しておくべきだったのでしょうが、こちらを受け取ってもらえませんか」
俺はそれを箱から取り出し、左手の親指と人差し指で持つ。箱を懐に仕舞うと空いた右手でヴァイオレットさんの左手を手に取る。
綺麗な手だ。シキに来てからも己を綺麗に維持しようとする努力が見受けられる、手に触れるのが少々照れくさい、握ったことがない彼女の左手。
「なにをするべきかとか、捨てられたとか、立場とか、自己犠牲とか、色々ありますが。これだけは言わせてください」
顔をあげた彼女を真っすぐ見る。
菫色の長く綺麗な髪は雨と戦闘で跳ねていて、綺麗な蒼い眼は涙が零れ落ちていて、口は開ければ嗚咽を漏らしてしまうのか強く閉じている。
普段の優雅さも気品もないけれど、乙女ゲームの登場人物の一人だと見ていた俺にとっては、初めて彼女の顔をきちんと見れた気がした。
「貴女に嫌いと言ったことはありましたが」
そう言えば好きとは一度も言っていなかったなと思い出しつつ、これからの言葉に心臓が早く脈打つ。
「俺は貴女の味方ですから」
ああ、こんなことをするのは前世も含めて初めてだ。
変な声になっていないか。変な表情になっていないか。変な風に思われないか緊張する。
「なにをするべきかはこれから一緒に考えましょう」
例え成り行きや様々な不測要素が重なった、初めは突然で望まぬ婚姻だったとしても。始めは警戒し合っていたとしても。
相手を知る触れ合いも。慣れない環境での生活も。
そして恋愛も。
夫婦になってから始めるのも遅くはないと思えたから。
「ですから、居ない方が良いとか寂しいことを言わないでください」
彼女の薬指に指輪をはめ、一つの約束をした。
「家族として、共に支え合いましょう。――俺が傍に居ますから」




