精神は未だ回復しきっていない(:菫)
View.ヴァイオレット
「我が子よ、すまなかったね。私が頼みをしたばかりに怪我を負わせてしまって」
『GRRRRRR』
「そうかい、気持ちは分かるが今は私の願いを聞いてくれないか。この辺りに近付いてくる輩を追い払ってくれ。抵抗が激しければ多少の怪我も大丈夫だ」
シュバルツは今にも私達に襲い掛かりそうなフェンリルを背にしていてなお、まるで今が日常の一部かの様に気にせず振舞っている。そしてまるで友人に話すかのような明るい声でフェンリルに対しても対等に会話をして、この場を去らせた。
……フェンリルにすら、言葉を通じ操ることが出来るのか。この女はどのようにしてそのような力を得たのだろう。
「さて、慈悲とは違うが依頼を果たす前に会話をしたいと思う」
そして変わらず友人に話すかのような声で、ショルダーバックから軍で使うような剣を取り出しつつこちらに向き直り、シュバルツは笑顔を作る。
「ちょっとしたこちらの事情なんだがね。いくつかの質問には答えよう」
「……質、問……?」
シュバルツはなにを言っている?
頭が上手く回らず身体もうまく動かない。魔法を使おうとしても魔力を上手く込められない。状況は分からないことだらけだ。
分かる事はこの状況を作り出したのはこの女ということ。そして“依頼”というもののために私を……
「私を、殺すとは、どういう、ことだ……!」
私は馬鹿正直に私を殺すと言った女に殺す理由を尋ねた。
この質問の真偽はどうでも良い。ただ、いかなる理由がありこの状況を作りだしたのか、この女の反応から知ろうとした。嘲笑か、嘘か、駆け引きか。いずれにしろ状況を少しでも理解しようとした。
「ああ、その質問にはきちんと答えよう」
だけど、この女は本当に正直に答えてしまった。
本当は聞きたくなかった、その事実を。
「言われたのだよ。ヴァイオレット・ハートフィールドは元公爵家に相応しくない女だ。恥を重ねるより早く、この世から葬って欲しい、ってね」
――ああ、そうか。
父か、母か、父の秘書か、私の被害を受けていた同級生か、バレンタイン家の敵か、監視者か、あるいは殿下か。
殿下でなければいいなと。何処か他人事のように思いながらその言葉の意味をゆっくりと理解した。
「必要ない……か」
結局は意味なかったのか。
この1ヵ月どれだけ取り繕おうとも、クロ殿に言われたように今までの全てを否定せず努力を続けようとしても。私は既に取り返しのつかない所まで堕ちたと判断されていたのか。少なくともこうして殺す者を差し向ける程度には厄介者であると、判断されたのか。
「は、はは……笑えて来る。結局は最期まで周りに迷惑を掛けるような結末なのか。これでは、この地でも疫病神だな、私は……」
「そう言うものではないよ。キミが死ぬのと疫病神であることは別物だ」
「私を殺すために、子供をモンスターに攫わせて、森に誘い込んで、よく言う……!」
精一杯の強がりをしつつ、力が入らない足を無理に進め、倒れたシアンさんとアプリコットを庇うように立つ。
……助けなくては。私は、助けなければならない。そうすれば、もしかしてこんな私でも最期くらいは……
「……あれには私も反対だったさ」
だが、シュバルツのした返答は私が予想したモノとは違うモノだった。
「我が子たちに興味を示した依頼主が一人欲しい、と言ったものだから一人我が子をつけさせた」
忌々しい存在を憎むような表情で、シュバルツは唇を噛み締めた。
……不思議だ。今の表情は意図した表情でないと、こんな状況においてぼんやりと思えた。
「だけど事を急いた依頼主が私の仕事を助けるためと思って子供を攫うんだからね。こうして話しているのもそのお詫びと言うか、私の勝手な贖罪さ」
だがすぐさま気持ちを切り替えるかのように首を振り、手に持っていた剣の切っ先をこちらに向け、慈悲を向ける聖女かのように私を見据えた。
聖女、なんて場違いな感想を抱くほどに、洞窟の入り口から入る雷の光に照らされたシュバルツは綺麗に見えた。
――言動は変であったが、確かに美しい女性だ。
シュバルツは一歩、一歩と近づいてくる。
その所作に油断は無く。もし私が抵抗しようと魔法を唱えようものなら、すぐに首を切り落とすかのような霊気を感じる。
「シアンさんやアプリコットには、手を出さないのか」
「…………そうだね、フェンリルには手を出させないように説得しよう」
「……そうか、良かった」
その答えを聞いて、先程とは違う笑みが零れた。
不思議だ。私は今殺されようとしているのに、笑みを浮かべるなんて。
自棄になってしまったのだろうか? もしかしたらそうかもしれない。ただ私なんかに巻き込まれて死人が出ないと知ると、少しだけ安心が出来た。
――これではクロ殿に怒られてしまうな。
人を好きになって努力してきたことまで否定しないでください。
貴女は誇るべきだと言ってくれ、私を受け入れてくれたクロ殿。
結局は夫婦らしいことができなかったな。私が死んだら悲しんでくれるだろうか。五月蠅い女が居なくなったと清々するだろうか。
……だとしたら少し悲しいけれど。悲しむ権利がある程、私は良い女でもないだろう。
「安心したまえ。今回の依頼で周囲には――」
そして切っ先が私に触れるか触れないかに近付いた時、
「――っ!?」
シュバルツの背後に、影が現れた。
背後の存在に気付いた瞬間にシュバルツは身を屈め、先程までシュバルツの頭があった場所に拳が横薙ぎに放たれた。
影はすぐさま呪文を唱え足元に火を放ち、それを見たシュバルツは影から距離を取るため横に飛び込み、回転してすぐざま体勢を整える。
影は私とシュバルツの間に立ち、私を庇うように前に出る。
「…………だ、れ?」
その背中は見覚えがある。
殿下より背丈が低いが、不思議と大きく見えていた背中。
最近ようやく見慣れて来た、貴族らしくない男の人。
「こんばんは、先程ぶりですね」
そこに居たのは。
「さて、言い訳を聞く気はありませんよ。シュバルツさん」
クロ殿が、そこには居た。