複雑であっても怪奇は困る
シュバルツさんが来て数日が経過した。
シュバルツさんを警戒しつつも、領主の仕事を疎かにする訳にもいかないので書類仕事をヴァイオレットさんと片付けていた。監視はグレイとシアンに任せている。といってもグレイは一緒に遊んでいる感じだが。
こんな辺境の地だと他の場所と比べると書類仕事は少ない……のだが、偶に例の怒りを買ってしまったやんごとなき御方の嫌がらせで書類仕事がドッと来ることがある。
こんなことをする位ならば自身の地盤を固めればいいのに、と思うが、無視をするわけにもいかない。適当にやっていると変な契約書を結ばされる時もあるし。……っと、これは……ん? こんな仕組みあっただろうか?
「あ、ヴァイオレットさん。失礼ですが、こちらの文章なのですが……」
こういう時のヴァイオレットさんは俺より遥かに優秀であった。
将来の王妃候補としての教育の賜物か、法律や貴族事情に詳しいし、書面上の問題も指摘が早い。本来俺が片付けるべき仕事だろうが、ヴァイオレットさんは当然かの様に手伝ってくれるので厚意に甘えている。
「ん、どれ……? あぁ、最近できた王都の法律……だったな。侯爵家と辺境伯家の領土所有率に関する支配権問題……だったか」
「成程、だから俺が知らない訳ですね」
丁寧に説明を受け、俺はヴァイオレットさんが仕事をしている小さな机から離れ書斎にあるもう一つの机に戻った。
「…………」
「…………」
静かな空気の中、筆記音と判子を押す音だけが部屋に響いている。
仕事中ではあるので仕方ないことではあるが、先程の確認作業以外は基本会話はない。
「…………ふぅ、これでよし、と」
ヴァイオレットさんは書類の山を一つ終わらせ、次のジャンルが違う書類へと移行する。疲れは多少見せているが、変わらず飾り気は無くとも何処か優雅な表情と仕草だ。
ヴァイオレットさんは仕草が綺麗だ。人に見られることを意識した所作、伸びた背筋、前髪をはらう姿も丁寧でこじんまりとしている。いわゆる女性らしさを意識したモノだろう。
それは例え俺が居なくとも行う所作であり、誰に見られなくとも彼女らしさを保つために行う行動だ。俺にはない貴族らしい誇らしさだし、好ましく思う。
――少しは気を楽にしてきたと思ったんだけど。
だが、最近のヴァイオレットさんはより仕事に没頭してきているきらいがある。
なにかから振り切るように、視線を恐れているかのように仕事に取り組んでいる気がする。俺の考えすぎであり、ただ領主の仕事の手伝いに対して真摯にやっているだけならばいいのだけど。
もし考えすぎでなければ、やろうと思っていたシキに来てから1ヵ月の祝いを少し変えた方が良いかもしれない。目立ちたくないとかならば、今日こっそりと届いた俺やグレイからのプレゼントや庭の木の飾りつけを変えた方が良いだろうか……
「すまない、クロ殿。私では判断が付かないものが何点かあるのだが」
「え、あ、はい。いいですよ、どちらでしょうか」
ぼーっと考えていると、いつの間にかヴァイオレットさんは俺の隣に来た。と、まずい。ヴァイオレットさんは抜けている所もあるが、基本鋭い人だ。こう気を抜いてしまっていてはサプライズも出来ないし、怒られてしまう。
俺は手を止め、ヴァイオレットさんの方へと向き直り、質問を待つ。随分と真剣な表情であるが、そんなに難しいことなのだろうか?
「……この『ロボの派遣費』とかいう隣町への請求書なのだが」
「ああ、サインだけで大丈夫ですよ。いつものことですし、何故か通ります」
「通るのか……」
うん、何故かは知らないけど通るんです。
偶に修繕費を請求されるのでプラマイ0だったりしますが、助かることは多いです。
「この黒魔術教会の邪神降臨祭、というのは」
それは実質黒魔術師への招集状です。一応ここ一帯の町には届くようになっています。邪神と言っていますが黒猫を愛でる会です。黒魔術教会員が飼っている黒猫を自慢し合うみたいです。
「このなんか十字架で文字を挟んでいる単語の羅列は」
それは中二病の依頼書『♰冥府の悲歎は我が具足♰』です。
ようは魔法の威力を試すために大きくて硬い建物を公共費で建てて貰えないかというお願いです。勿論却下です。
「蘇生薬を作りたいとあるが」
いつものことです。無視して結構です。
「人間外見年齢で言う10代から70代の女性を外から増やしてほしいとあるが」
いつものことです。後で殴ります。
「領主の仕事とは複雑怪奇なのだな……」
「いや、多分シキだけだと――ん?」
「扉を叩く音と、人の声?」
と、ヴァイオレットさんが書類を見て自身の知らない世界に頭を痛めていると、唐突に扉を叩く音が聞こえて来た。
急いでいるかのように激しく叩いている。……誰だ? グレイだったら叩かず扉を開けるだろうし、シアンであれば蹴破ってでも入ってくる。
俺達は仕事を中断し、書斎を出る。玄関に近付いていくとますます声が大きくなり、様子が普通でないと分かると慌てて扉に近付き扉を開く。すると、そこに居たのはシキの住民であるブルーさんであった。
「うちの、が……う、のこが……!」
「落ち着いて、ブルーさん。まずはなにがあったか説明を」
普段の彼女ならば有り得ないほどに、ブルーさんは酷く慌てていた。
その様子を見て俺は先に駆け寄り、ヴァイオレットさんも心配そうに駆け寄ってくる。
ヴァイオレットさんがブルーさんを落ち着かせるように背中をさすり、ブルーさんは過呼吸気味の呼吸を落ち着かせ、なんとか話せる状態まで落ち着いたかと思うと、
「うちの子が、モンスターに攫われて――!」
今起きている事件を、告げたのだった。