世界平和への手段
「……カーマイン」
声がした方へ向きつつ、俺は自然と一歩前に出る。意図的にそうしようと思った訳ではないが、ヴァイオレットさんとこの男を出来るだけ関わらせたくなかったからであろう。しかし前に出ようとした俺を、抑えるようにヴァイオレットさんが腕で制止する。そこで初めて俺が彼女を守ろうとしたと気付いたと同時に、彼女は守られるのではなく隣に立ちたいと言葉で示していると理解した。
その行動のお陰で俺は少々心の余裕を取り戻し、何処となくこの男の趣味とは離れていそうな、夏場にも関わらずコートを身に纏ったカーマインの方を見る。
「シキになんの用だ」
何故幽閉されているはずのこの男が自由になっているのかや、計画が大好きで人前に現れる時は代わりがきかないか重要な意味を持つ時しかないようなこの男が何故俺達に話しかけたのかや、トウメイさんを「神の癖に」といったがどういう意味を持つのか、といった気になる事は多くある。
だがこの男の事だから碌でも無い事には間違いない。俺は半ばそう思いつつ、敵意を隠さず問い質した。敵意を向ける事自体がこの男を喜ばせる事となるかもしれないが、敵意を隠せるほど俺は大人ではない。
「世界平和」
そして返って来た言葉は、意味の分からないものだった。
言葉の意味自体は分かる。しかし今この場で返って来る答えとしては、理解出来ないとしか言いようがない。
「そんなくだらない用事のために私は此処に来たんだよ、クロ・ハートフィールド。その目的のためにわざわざ危険を冒してシキまで来たと言うのに」
カーマインは俺から目を逸らし、何処となく彼に俺達とは違った警戒心を抱いているトウメイさんの方を見る。その様子は何処か失望にも似た感情であり、
「クリア神ともあろう者がその調子では、あの男の願いが叶ってしまうではないか」
そんな、またも訳の分からない事を言いだした。
――クリア神?
その名はこの国……いや、この世界に居れば間違いなく聞く名だ。
世界を悪から救った救世主。偉大なる母。今も戦い、見守り続けている女神様。
この国では彼女の名を冠した宗教が国教となっているほどには、崇め奉られる存在。
それをまるで以前から当たり前のように知っていたように、トウメイさんに向けて発言をした。
「君が私をどう呼ぶかは自由だが、なにか理由を――」
「崇められる存在でなく一人の女として過ごせる事を望み、信者にもそう強制するような女なのは知ってはいるが、そんな物捨てろ。お前がお前で居たいのならな」
「……本当に、可愛げのない」
カーマインはトウメイさんがなにを言うかも思うかも分かっている。
そして見抜かれた上で以前からお前はそうだったなと半ば諦めるように、トウメイさんはカーマインに悪態をつく。
……この二人は以前からの知り合いのようであり、そしてトウメイさんは……いや、そんな些細な事は後回しだ。重要なのはカーマインが危機感を持っている事。
俺以外に対しては大抵の事が本でも読んでいるような現実味のない反応を示すくせに、カーマインは今、我が身の事のように危機感を持っている上に、俺の事は後回しにしている。ただ事ではあるまい。……俺の事を後回しにするのが異常事態と思うのもどうかと思うが、ともかくただ事ではない。
「ふむ、俺の事をクロ・ハートフィールドが分かってくれているような内心を感じ取った。嬉しいぞ」
「心読むんじゃねぇ。さっさと話せ」
くそ、真剣に聞こうとした矢先にこっちに笑顔を向けるな。喜ぶな。頼むから真面目に進ませてくれ。
「ヴァイオレット・ハートフィールド」
カーマインは笑顔から再び無表情に見える表情に戻り、ヴァイオレットさんの名を呼ぶ。
「……なんでしょうか、カーマイン殿下」
普段であればまず話しかけられないにも関わらず、呼ばれた事に少々驚きながらも、ヴァイオレットさんはいつもの呼び捨てではなく殿下呼びで平静を装い返事をする。
「世界平和と世界征服の違いはなんだ。言っておくが、単語の意味の表現を聞きたい訳ではないぞ」
「……。争いが無いのが世界平和。誰かが支配するのが世界征服。その二つの大きな違いは、上に立つ者がいるかどうかの差、でしょうか」
ヴァイオレットさんは質問の真意を考えつつも答える。それに対してカーマインは予想外の回答を得たと思ったのか、感心したようにヴァイオレットさんを見て、観察する。……じろじろ見てんじゃねぇ。嫉妬するぞコラ。
「クロ・ハートフィールドが僕に嫉妬してくれている所で」
「お前にじゃねぇよ」
「してくれている所で、その通りだな。その二つの差は絶対的な支配者が居るかどうかの差だ。世界平和が実現された世界を支配すれば、途端にそれは世界征服になる。世界平和には支配者が居てはならないからな」
「カーマイン、お前はなにを言いたい」
話が見えない。その世界平和と、カーマインの言うあの男との願いとやらの繋がりや、来た目的との関係性が見えてこない。
曖昧な事を言わずに、さっさと本題に入って欲しい所だが――と、俺が苛立ちを覚え始めた所で。
「そう、支配者が居てはならない。争いがあってはいけない。ではそれを叶える手っ取り早い手段はなんだと思う」
そしてカーマインは自身の左手を頭上にまっすぐ伸ばし、人差し指を天――正確には、空間歪曲石がある隣町の方角の、シキの外れの上空に向ける。まるでそこに見て欲しい物があるかのような仕草である。
「簡単な話だ。争う存在を全て滅ぼせば良い。例えば」
それにつられて俺達は指の先の空を見る。そこにはなにも無いように見えるが……いや、なんだこれは。
カーマインが指をさした所には、先程までとは違う違和感があるような――
「巨大質量で、世界を壊してしまう、とかな」
そしてシキ近くの上空に、突然学園と王城が出現した。
それは真っ直ぐ、シキに向かって来ていた。




