姉弟達の夕食会_after
――そうして時刻は深夜になった。
前世で言えば丑三つ時という不吉な事が起きそうな時間帯。
起きているのは俺とクチナシ義姉さんだけだった。
ヴァイオレットさんはお酒はそこまで飲んでいないのだが、今日は色々な事があって疲れが溜まっていたのか十二時頃にはもううつらうつらの状態であり、気が付けば座りながら寝るという器用な事をやって寝ていた。寝顔はとても可愛らしく、ジッと見ていたくなる可愛さであった。
バーントさんは女性陣に先程の夜のお相手関連で揶揄われつつ、無礼講という名で酒飲みを多く勧められ(※飲酒は用法用量を守り、強制はやめましょう)、珍しいほどに陽気になって気が付けば俺に寄りかかって寝ていた。「心地良い心臓の音です」などと言っていたので多分俺の心音を子守唄にしたのかもしれない。怖い。
アンバーさんはどうやら白ワインが体質的に駄目だったらしく(本人も知らなかった模様)、すぐに酔って気が付けばヴァイオレットさんの隣の椅子で寄り添うように眠っていた。……本来なら微笑ましい光景かもしれないが、「ふへへ、良い香り……」などと言っているのを見ると微笑ましさの欠片もないが。
そしてクチナシ義姉さんは皆が起きている時、最初は困惑気味であったのだが、皆が楽しそうに絡んでくるのを見て段々と明るく楽しそうに振舞うようになっていった。
彼女は今、部屋の窓の傍でゆっくりとグラスに入ったお酒を静かに飲んでいる。
どうやら彼女はあまり酔わない体質らしい。
というか、前後不覚になるほどの飲酒は精神的に拒絶をしてしまうそうだ。
理由を聞くと「私が酔って暴れたら取り返しがつかんだろう」と、自身の身体能力を考えたご尤もなものであった。まぁそこまで飲んだ事は無いらしいのだが。
しかしお酒の味自体は好きらしいので、結構飲む事は好きとの事だ。が、ここ数年は付き合い以外ではほとんど飲んでいなかったようだ。
理由を聞くと、子を身に宿した後はアルコールを飲むのは良くないと聞き、そして授乳で自ら与える事もあったそうなので我が子のために飲酒をやめたとか。初めは辛い時もあったのだが、自分だけの身体ではない事を想うと苦ではなかったようだ。
そんな昔話を今まで見てきた笑顔とは違う笑う顔で話す姿は何処か哀愁を帯びており、「苦では無かったのにな……」と窓から見える月を見ながら呟く様は、もう居ない存在を想うような、心に出来てしまった埋められない空白を感じさせる悲しいものであった。
俺はそれを見てなにか言うのではなく、ただ黙って隣に座って同じように月を眺めつつ、彼女のグラスにワインを注いた。
しばらく経つと彼女はポツリポツリと色々な事を話し始めた。
自分の夫とは政略結婚であり、始めて会ったのは婚約が決まった一年後であった。
初めは破談にしようとした(実家を追い出されても身体能力を活かして冒険者になるつもりだったとか)のだが、なにをやっても豪快に笑い飛ばす様な男だったとか。
嫌った態度を取っていたのに夫は構ってくるし、破談にしようともしなかったので何故かと聞くと「一目惚れした女に好かれたいと思うのは不思議か?」と何事も無い言葉を言うように言われたそうだ。
それ以降自分は夫を気になり始め、気が付けば自身の身体能力とも真正面から向かってくる夫を好いていたそうだ。
夫はとても優秀で、人々から好かれ、行動力が有り、こんな自分にも真正面から向き合ってくれる。本当にこの世で一番好きな男性であると恋する乙女のように彼女は言っていた。
夫は本当に優秀で、初めは不利益になるとしか思えない事柄も、気が付けば利益となって万事が上手くいくような卓越した能力がある。そして不利益があっても人々の信頼を得られるような、単純な利益とは別の大切なものを手に入れる。
自分はそんな夫が本当に好きで。
この人と家族になれた事がなによりの幸せだと思っていた。
……ただ同時に、何故あの行動が利益に繋げられるか分からない時も有り。
……夫がなにを見ているのか分からない時があった。
夫婦のはずなのに、なにか見えない壁があるのだと感じていた。
だからこそクチナシ義姉さんは俺達が羨ましいと言う。
俺達の間に壁が全く無いという訳ではない。だが、壁があった所で気にしないような夫婦の在り方が羨ましいと言うのである。
自分には足りなかったモノはこれなのかと、眠っているヴァイオレットさん達を見て呟いた。
そしてとりあえず俺はその表情がムカついたので、アイボリーから貰ったハーブがメインの92度のリキュールをクチナシ義姉さんのグラスに注いだ。
気付かず飲んだクチナシ義姉さんは口に含んだ瞬間は噴き出した。
なにをすると俺を恨みがましく見てきた彼女であったが、そんな表情をするのは別の所でやってくれと言った。
別に駄目な気持ちを吐き出すなと言っているのではない。いつかの洞窟でのヴァイオレットさんがそうであったように、駄目な気持ちに酔って吐き出すのも時には重要な事だと俺は思う。けど、今の彼女に必要なのはそれじゃない。
ではなにが必要なのだと吐き出したお酒を拭きながら問う彼女に言うのは、まだ遅い訳では無いだろうと言う話。まるで私にはもう出来ないと思っていそうなその表情が、俺にはとても腹立たしかったのだ。
クチナシ義姉さんはそれを聞くと虚を突かれたような表情になった後、小さく「私達の事なにも知らないくせに」と言ってきた。
それに対して俺は「俺達の事をなにも知らないくせに」と、そちらが先に俺達を決めつけた事実を返した。そして知らないからこそ無責任にアドバイスをしているのだと、そのくらいのいい加減な方が貴女には丁度良いと言う。
俺の言葉に無責任だと彼女が言うと、俺はそんな相手に話したのが悪いのだと責任転嫁をした。すると彼女は自分が悪いのかと小さく笑った後、「ならば良い私になるために、今からでも遅くはないと思わないと駄目だな」と、他の皆が起きるのではないかと思うような笑い声をあげた。
そしてそれを見ながら俺が彼女に淹れたリキュールを自身のグラスに注ぎ、グイッと飲もうとして――飲みきれずに噴き出した。アカンこれ。めっちゃキツイ。
俺が近くの布巾をとって噴き出したリキュールを拭いていると、「格好つけて飲もうとした義弟はなにか言う事は無いのか」と、彼女のグラスにある俺が注いだ残りのリキュールを飲みつつニヤニヤと見てきたので、素直に謝った。
それを見て「よし、気に入らない相手に謝らせる事が出来たぞ」と、勝ち誇ったようにケラケラと笑うので何故か敗北感を得てしまった。別に戦っている訳ではないのだが、なんか負けた気がする。
そして一通り笑った後、彼女は月を再び見てなにかを想うような表情になる。
その表情は先程までの過去に囚われた物ではない。
けれど過去を切り捨てている訳でもなく。
「ありがとう、クロ。お陰で前を見られそうだ」
大事なものだと忘れないように未来を見ている表情のようであった。
俺はそれを見るとムカつく感情は湧いて来ず、ただ上手く励ます事が出来たのだと安堵し、先程よりも少量のリキュールを飲みつつ同じように月を見た。
……気に入らない相手ではあるが、別に嫌いな相手ではない彼女とは今後も仲良くやれそうだと月を見て思うのであった。
「あと、酒の強さでは私の勝ちだな」
「子供ですか」
「ふ、負けたのが悔しいか。やはり戦いでは私が勝つのだな。昨日の戦いのように」
「なるほど、昨日の戦いでは負けたからこれで引き分けにする気ですね。なら負けで良いですよ」
「いいや私はクロに常勝無敗だ」
「いいえ俺の完全勝利です」
「さらりと酒の強さも勝ちにすり替えるな」
「…………」
「…………」
「食後の運動でもしますか」
「酔い覚ましに丁度良い」
「では表に出て――」
「クロ殿。義姉様」
『……いつから?』
「先程の笑い声で。……なにか仰りたい事はありますか?」
『……ゆっくりと晩酌楽しいなー』
「はい、よろしいです」
「……クロよ。私もああなるべきだろうか」
「……それは方向性が違うんじゃないでしょうかね」




