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風紀の悪魔(仮)  作者:
1/7

愛など要らぬ。

「愛とは何か」


 手に持つ世界史の教科書曰く、古代ギリシャの時代から現代に至るまで考え続けられてきた疑問の1つらしい。恐らくは、一般的なイメージとして、愛とは神々しく、崇高で、尊ぶべきものだとされている事だろう。


 否。断じて否である。俺に言わせれば愛とは、単なる「煩悩」でしかない。野生動物のような、知性のカケラも無い、痴漢が報道される時に感じる嫌悪感の対象内である。


 仮に、愛と性欲を別の物として考えてみよう。もし、煩悩の無い世界があるとすれば、人は異性に積極的に近づく事もなく、それどころか興味すら持たないだろう。同時に性欲が無いのであれば人類は増えることなく滅ぶ。すると同性の人間も消える。人がいないのであれば、愛も無くなる。


 要約すると、煩悩と愛は紙一重であり、愛は煩悩と同様に疎むべきものなのである。この目の前の男女でさえ、ただ単に己が欲を満たそうとして出来た関係でしか無いのだ。せいぜい知性とかけ離れた愚かな行為を悔やむが良い!


(ええいさっさと散れ! 人の席の前でイチャコラしやがって)

と、今日も心中で叫ぶのである。


 教室の隅の方にある自分の席で考える。何故、自分と面識の無い彼らは、わざわざここで愛を確かめ合うのか。これは早急に解決すべき問題である。そもそも目障りだし、なにより、教室でも目立つ彼らが自分の近くにいる事により、それに向けられた視線がこちらに流れて来るのだ。教室をサラッと見渡すと、稀にこちらを見て笑う奴がいる。仕舞いにはクラスの女子に笑われる始末である。

 このままでは俺の豆腐メンタルが潰れて大豆とニガリに戻るレベルでヤバい。自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。と言っても、直接苦情を言う勇気も無いので、とりあえず保留しか無いのだが。


 放課後、忘れ物を取りに夕日が差し込む教室に戻ると、彼らが居た。しかし、今度は教室の教卓の前だった。自慢では無いが、ボッチ歴は長いので、洞察力には自信がある。ボッチは環境によって成長するのである。


 さて、教卓の前と言えば、休み時間は言わば上位カーストの人間が集合するエリアである。無論教室の中心となり、視線が集まりやすい。対してこの席は教室の隅、注目とは縁遠い。つまり、彼らは視線を避けるためここに来ている。人に見られて恥じるのであればそもそも付き合わなければ済むことだ。

 (所詮その程度か。)

 分かっていた筈なのに、再確認した様な感覚がした。まだ少し、本当の愛は存在するのではと、期待してしまっていたのだ。


 直接言う必要は無い。正々堂々行くのは己を過信する者だけだ。これまでの経験を元に分かった事である。どこまでも卑屈に、かつ臆病に解決策を練らなければ。おもむろに教室を離れ、彼らが出て行くのを待ち、周囲に誰も居ないのを確認してから黒板の前に立って、ピンクのチョークで、できるだけ大きな彼らの名の入った相合傘を書いてやった。これで当分は教室でイチャつくことは無くなるだろう。


 煩悩とは異なる、愛が本当に存在するならば、何故彼らはそれを誇りに思えないのか。彼らも自覚している筈だ。



処女作でありますが、勢いで書いた、と言えば分かる人には伝わると思います。ただ、思い付いた文章を知らない誰かに読んで貰いたかったのです。卑屈なのはデフォルト。


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