顧客識別マーケティングなのに、僕をあまり識別してくれない
例えば、商店街にあるようなアットホームな小さな店を思い浮かべて欲しい。そんな店の店員は客の顔をよく覚えていて、よく買ってくれるお得意様には、少し値段をまけたり量をちょっと多目にしたりといったサービスをすることがよくある。他にも、そのお得意様が気に入りそうな商品があったなら、おススメしたりだとか。
ところが、規模の大きなスーパーやデパートになるとこれが中々に難しい。言うまでもなく、規模が大き過ぎて、店側が個人レベルまでは客を把握し切れないからだ。
ただし、これは過去の話だ。今はビックデータやAIといった情報技術の発達によって、大規模な店でも顧客を識別し“お得意様”に照準を合わせたサービスが可能になっている。因みに、これは顧客識別マーケティングなどと言われていたりする。
お陰で僕らはコンビニやデパートといった顧客の数の多い店でも、小さな店舗と同様の適切なサービスを受けられるようになったのだ。
そのはずなのだけど……
「また、このレストランの割引チケットだよ。いらないっつの!」
その男はその時借りたDVDレンタル店でレシートと共に渡されたそのレストラン用の割引チケットを見てそう呟いた。彼はそのレストランにはほとんど行った事がない。一応家の近くにあることはあるけど、数年前に家族で一緒に行ったきりで、後はただ通り過ぎるだけだ。
「なんで、使ってもいないチケットを何回も何回も発券するんだ? 本当に顧客を識別してマーケティングしているのだろうな?」
なんでか?
彼は使わないそのチケットを、DVDレンタル袋に入れっぱなしにしている。すると、けっこうな確率で、店の店員がDVDを袋から取り出す時に見つけることになる。もし仮に、その店員が使わなくても、恐らくはその店員は他の店員に向けてこう言うだろう。
「割引チケットが入っていたけど、誰かいる人いる?」
店員はそれなりの数いるのだから、そのレストランのチケットを欲しがる人がいたとしても不思議じゃない。
「あ、じゃ、頂戴」
なんて手を挙げて、それを貰ったりするかもしれない。もちろん、その人はかなりの確率でそのチケットを使うだろう。
そして、一度、その人がチケットを欲しがっていると知ったなら、そのチケットが見つかる度に店員たちはそれをその人に渡すかもしれない。「どうせ、客が捨てたチケットだ。もったいない」って感じで。例え、その人がそれを使い切れなくても、他の誰かに渡すかもしれない。近所のおばさん達で集まって、一緒にレストランに行くとかよくあるみたいだし。それを知ったら、親切心から渡すくらい大いに考えられる。
つまり、
「あの、このチケット使えますか?」
レストランで誰かが言う。ウエイトレスはこう答える。
「あ、はい。使えますよー」
今日もそんな感じで彼が使わなかった彼のチケットは、知らない誰かの手によって、使われ続けているのかもしれないのだった。
「ああ! また、このレストランの割引チケットだよ! 一体、どうして出るんだ? 使っていないのに!」
そう言って、彼はまた頭を抱えた。レンタルしたDVDのレシートと共に渡された、そのチケットを憎らし気に見つめながら。
「どうせなら、もっと他のが良いっての!」