第五十四話 浜松に来たで
瀬戸内海から紀伊半島を抜け、伊勢湾から三河湾に入ると浜名湖が見えてきた。
「はー、やれやれ、やっと地面におりられるで」
ほっと一息ついたところで無線がつながった。
『こちら浜松基地管制塔です。パンサー02の機影を確認。こちらの管制圏内に入りました』
「おじゃましますやで。このまま直進で、09からの着陸コースでええんかいな?」
『基地上空に飛行中の航空機は現在ありません。そのままランウェイ09へのコースに入ってください』
「了解や」
相手がなにやらためらっているのを感じる。
「なんや。なにかまだあるんか?」
『伝言があります』
「なんや。短いのやったら聞くで。長いのんならおりてからや」
『五分遅刻でお怒りです』
それを聞いて口元がにやけた。誰がやと聞くほどこっちも野暮ではない。俺にそんなメッセージを送ってくるのは、浜松基地では一人しかいないからだ。
「あー、はいはい。着陸してから話は聞きます、ゆーといて」
『了解しました』
遠くにまっすぐのびる滑走路が見えた。
「……とにかく、早うおりて荷物を出さんと、落ち着かへんで……」
どうも背後からの視線を感じて落ち着かない。とにかく早くおりてパンサー君をなんとかしなければ。
―― 班長、びっくりするやろなあ…… ――
+++
「遅いじゃないか、影山。予定より五分も遅かったじゃないか」
「降りたとたんにそれって、あんまりやない? 他に言うことあるやん? ひさしぶりとか、元気にしとったかとか」
エンジンを切ってコックピットからおりると、出迎えてくれた青井が、腕時計を指で叩きながら言った。
「事実を言ったまでだ」
「せやかて班長。しゃーないやん、あっちにはあっちの予定もあるんやし」
「予定とかなんとか言って、本当は影山がいつものように、飛びたくないってダダをこねてたんだろ? ちゃんと時間通りに飛べよ」
「いろいろあったんやて、ほんまに。だいたい、たった五分やん」
俺の言葉に呆れたような声を出す。
「五分で戦闘機がどれだけの距離を飛ぶか知ってるか?」
「それぐらい知ってるわ。わいかて戦闘機のパイロットやで」
「どうだか」
青井がチベットスナギツネのような目つきになった。
「それよりや、あれなんやけどな」
そう言いながら、コックピットの後ろにつめ込まれた状態のパンサー君を指さす。
「うわ、ずいぶん無理して入れたな」
「せやろー?」
「まあウレタンに布を貼ったやつだから、狭い場所に押し込んでも大丈夫だけど、ちょっとあれはやりすぎかも。出して形を整えないと使えないだろ。霧吹きとアイロンの出番だな」
「せやろー……いま、アイロンいうた?」
だが青井は、俺の質問には答えず、機体へと向かう。そして近くにいる整備員に指示を出して、ステップを横づけさせた。
「なあ班長、いま、アイロンいうた?」
「言った。形を整えるのには必要だろ?」
「必要だろて……そんな知らんやん」
ステップで上がると、つめ込まれていたパンサー君を引っぱり出す。
「おい、影山、いくら頭の中が空洞だからって、なんでもかんでも入れるなよ。影坊主まで入ってるじゃないか。これ、コンテナじゃないんだからな」
そう言いながら顔をしかめ、パンサー君の手と影坊主を取り出した。
「ようわからんけど、特別塗装機のオプションなんやて、それ」
「まあ航空祭の快晴祈願には、こいつはもってこいだけどな」
「もってこいなんかい……」
影坊主は、離陸前と同じようにコックピット内につるされる。
「ここ目立たないよな。やっぱりピトー管につるすべきかな。ま、それは明日までに決めたら良いか。まずはパンサー君のケアだよな。行くぞ、影山」
そう言ってパンサー君の頭を俺に押しつけると歩き出した。途中まで歩き俺がついてきていないことに気づき、振り返る。
「なんだよ、早く来いよ」
「ここ、松島ちごうて浜松やんな」
「当たり前だろ? ごちゃごちゃ言ってないで早く来い」
「へーい。ほな、F-2君のほう、たのむわな」
整備班にF-2の点検を任せると、俺は青井の後を追った。
「なあ、アイロンでどないするつもりなん、パンサー君」
「ここ、型がついちゃってるだろ?」
そう言って青井はパンサー君の頭に指を向ける。そこには狭い場所に押し込めたせいで、頭の上にキャノピーの枠であろう凹みができていた。
「霧吹きで水をかけてプレスするんだよ。そうすれば多分だけど布の凹みは消える。ウレタンのほうまで凹んでいたら、ちょっと難しいけどね。それも確かめてみるけど」
「なあ、班長てヒマなん?」
「は? なに言ってるんだ。ここでの俺は超忙しいんだぞ?」
顔をしかめてみせる。
「せやったら、そんなことしてる場合ちゃうやん」
「なに言ってるんだ。パンサー君のメンテナンスも大事な仕事だろ」
「せやろか……」
「そうなんだよ」
いや、どう考えてもおかしくないか?
「なあ。ところでブルーはいつ来るん?」
「沖田たちは」
そう言いながら腕時計を見る。
「あと十五分で松島離陸だな。影山も沖田を見習えよ。あいつ、絶対にぴったりの時間に着陸するから」
「せやから、それは築城での事情があったんやて。わいがダダをこねてたわけちゃうからな」
「あー、はいはい」
「なんなん、その気のない返事」
「お前だって同じような返事、さっきしてたじゃないか」
どうやらあの時、青井も管制塔にいたらしい。
そして俺達が向かったのは、隊員のロッカーがある更衣室だ。部屋の隅にアイロン台が用意してある。普段は隊員達が使っている物だ。
「ほんまにするんや、アイロン」
「大事な広報担当のマスコットなんだから、ちゃんとしておかないと」
「そうなん? てっきり班長が、遊び半分で作ったのかと思ってたんやけど」
「遊びで作るほど、俺はヒマじゃない」
「そうなん……?」
影坊主なんて絶対、そうだと思っていたんだがな。
「影坊主の下も折り目ができちゃってるな。これもアイロンで消しておこう」
「もう班長に任せるわ」
青井は俺の返事を待たず、アイロンがけの準備を始める。
「司令部の玄関口には、大きな影坊主がかけてあるんだ。あれも出した時に、アイロンがけをしたんだよ。大きくするのも考えものだよな。保管場所によっては布がシワシワになるし」
「まさか、またサイズアップしたん?」
前にあったやつも、かなり大きかったような気がするんやけどな。
「もう少し大きいのが良いって言ったのは、ここの基地司令だぞ? 俺はそのリクエストに応えただけだよ」
「そのうち、名古屋のナナちゃんなみにでかいの作りそうやな」
「あれはでかすぎだろ」
まずは影坊主の下の部分にアイロンがけ。実に手慣れている。もともと自衛官はこの手の作業は得意だが、青井の手慣れ具合はちょっと普通じゃないと思う。
「ほら、パンサー君の頭、ちょっとかして」
「まさか布をはがすん?」
「そのままですると、ウレタンが焦げたりするからな」
「なるほど」
パンサー君の布をはがす。
「それ、メンテのことも考えられてる作りなんやな」
「もちろんだ。洗濯もできるんだからな、これ」
「班長、絶対に就く職業を間違えてる思うわー……」
「そんなことないだろ。よし、ウレタンのほうは大丈夫だな」
ウレタン部分のチェックをすませると、布をアイロン台にひろげ霧吹きで水をかける。そしてあて布をしてアイロンをかけ始めた。
「いやあ、絶対に間違えてる思うわー……」
「それはそうと影山。いま俺がやっていること、見て覚えろよ? 築城ではこれ、お前がするんだから」
「え、わいがするん?!」
なぜ俺が?
「当たり前じゃないか。汚れるたびに俺のところに送るわけにもいかないだろ」
「メーカー対応ちゃうんかい」
「アイロンがけぐらい、お前でもできるだろ? 俺は忙しいんだよ」
そう言いながら布についた凹みを消していく。
「アイロンがけはともかく、布の着脱にはコツがあるからな。ちゃんと覚えていってくれ」
「いやあ、わい、そんなん覚えられへんて……最悪、嫁ちゃんに頼むわ。説明書とかないん?」
「そんなもの、あるわけないだろ」
呆れたように笑う。本気で見て覚えろと? そんなの、一回で覚えられるものなのか?
「あ、そうだ、渡すの忘れてた」
「?」
青井はウエストポーチからなにか取り出した。
「これ、近所のコンビニで売ってる、静岡限定のおにぎりなんだ。食べてみるか?」
「わさび昆布。たしかに静岡っぽいやつやな」
「俺の作業を見ながら食ってろよ。ここなら今は誰もこないし」
セロハンをはがすと、わさびのツーンとした香りが漂ってくる。
「おお、ほんまにわさびやな。茎も混ぜ込んであるんか」
「ちょっと辛いから要注意だけどな」
「たしかに。どれどれ~~」
一口食べる。鼻にツーンときた。
「これはまた、大人向けやな」
「たしかに、みっくんには無理かも。ああ、お茶も渡しておく」
小さいペットボトルを渡された。
「班長のウエストポーチ、一体どんだけ物が入ってんねん」
「必要な物しか入れてないぞ。まあ今日はおにぎりとお茶のせいで、かなり重かったけど。やっと軽くなってすっきりだ」
もしかしたらそれもあって、五分遅刻にご立腹だったのかもしれない。
「よし、シワは消えた。これで明日も問題なく活躍できるな」
「なあ、それ、やっぱりわいがかぶるん?」
「当たり前」
「当たり前なんかい……」
ま、そのほうが顔も見えないし、ブルーのファンに気づかれることなくウロウロできて、平和かもしれないが。




