第五十三話 浜松に行くで
「なあ、ほんまに行かなあかんの?」
「なに言ってるんですか。離陸準備もできてるのに、今更でしょ」
夏目が俺の背中を押しながら返事をする。朝から俺につきまとい、着替えてからはずっとこんな調子だ。
「なあ夏目君や。わいがおらんくて、さびしゅうない?」
「寂しくありません。パンサー隊には、他にもパイロットはたくさんいますから」
「切ないわー……」
「切なくありません」
「切なすぎて飛たないわー」
ヘルメットを抱え、ため息をつきながら外に出た。ハンガー前のエプロンでは、俺が飛ばすことになっている特別塗装のF-2が駐機しており、その周りで整備班が離陸の準備をしていた。
「しかし今回のスぺマ、派手やな」
「まあ飛行隊の周年記念のスぺマですからね」
今回の特別塗装のデザインは、一年ほど前から公募をしていたとのことだ。
「めっちゃハデハデやん。いつもの洋上迷彩でないと調子でえへんわ。あかんわー」
「関係ないでしょ、どうせ中からは見えないんだし」
「いやいや、見えるやん。翼の部分とか」
俺の顔を見て、整備員たちが次々とあいさつをする。だがその顔は、仕事中だというのに妙にニヤつていた。ほんま、腹立つで。
「そんなことないでしょ」
「そんなことあるでー。あー、特別塗装機で飛びたないでー」
「またそんなこと言って。デザインをしてくれた人に失礼ですよ」
夏目がグイグイと俺を押して進む。
「ちょっと。わいはトコロテンちゃうねんで。そんなに押すなて」
「押さないと影山さん、ぜんぜん進まないじゃないですか。離陸時間が迫ってるんです。さっさと進みましょう!」
「せやから押すなて」
無理やり前に押し出されながら、機体の前までやってくると、コックピットにテルテル坊主がぶら下がっているのが見えた。
「なんでコックピットに影坊主がおんねん。じゃまやろ」
「影山三佐がコックピットに入ったら取りますよ」
機付長がほがらかな口調で返事をする。
「影坊主様のご利益で、一週間先まで日本全国もれなく快晴らしいです。晴れ男の効力、ますます磨きがかかっているんじゃ?」
ニヤニヤしながら俺の隣に立った。
「なんで暴風雨ちゃうねん。今て台風シーズンやろ?」
「そりゃ、年に一度の航空祭ですからね。台風も遠慮してるんでしょ。さっき気象情報を見てきましたが、太平洋のすみっこでウロウロしてましたよ」
「なんでやねん」
そう言えば今朝の天気予報でも、台風は進路を変えて遠ざかっていくと、お天気の兄ちゃんが言っていたような気が。
「さて、夏目一尉、影山三佐のヘルメットをあずかってくれ」
「了解しました」
そう言うと、夏目は俺からヘルメットをかっさらう。
「それ、あずかるちゃうやん」
「気にしないでください。飛行前点検をどうぞ」
「……」
「どうぞ」
再度そう言って、自分は一歩さがった。
「まったく、かなわんで」
笑っている機付長とともに、期待の点検を始める。
「あ、そう言えばわいの荷物はどこへ」
「ご心配なく。いつもの場所につめましたよ」
「ちょい待ち。嫁ちゃんのおにぎりはどないしたん。あれを食べへんうちは、絶対に飛ばへんで」
「それもご心配なく。飛行前のおにぎりはここに」
機付長は自分のウエストポーチから、チェック柄のハンカチに包まれたおにぎりを取り出した。
「ちょっと。なんで自分が持ってるんや」
「荷物と一緒につめ込むわけにはいかんでしょ。ぺったんこのおにぎりを食べたいんですか?」
「嫁ちゃんのおにぎりに、なんてことするんや」
おにぎりを奪取する。
「まったく。油断もスキもあらへんで」
「誰も影山さんの大切なおにぎりを、とって食ったりはしませんよ」
「ぺたんこにするつもりやったやんけ」
「してないんですから、問題ないでしょ」
前から順番に点検をし後ろへと回り込む。上から下まで念入りに。
「どこも異状なしやで、残念なことに」
「当然です。我々が毎日きちんと点検をしていますから。あきらめてさっさと浜松に飛んでください。あっちではうなぎパイが待ってるんでしょ?」
機付長がニヤッと笑う。
「なんでお取り寄せができへんのやろな」
「そりゃ、パイですからねえ。どんなに運送屋が丁寧に運んでも、あれは割れるでしょ。やはり、自分で買いに飛ばなきゃ」
「飛ばんで行く以外の選択肢ないんかい」
電車とかバスとか、いろいろあるだろ。なのにどうして、飛んでいかなくてはならないんだって話だ。
「パイロットが飛ばないで行くなんて、それこそ、そんな選択肢、あるわけないでしょ。さっさと飛びやがれですよ」
「定期便に乗せるっちゅう手もあるやん」
「ないです」
「ないんかい……」
「ええ。ないですね」
まったく。松島でもそうだったが、ここの連中も薄情者の集まりだ。もう少し、飛びたくない俺の気持ちを汲んでくれても、良いようなものなのに。
「はー、まったく飛びたないで」
ハンカチとラップに包まれたおにぎりを取り出す。おにぎりを包んでいたラップは、機付長のウエストポーチの中にあっという間に消えていった。
「まあしかし、スぺマを浜松に飛ばせて良かったですよ。最近はあっちもこっちも忙しいですからね」
「それは同意する。飛ばすのがわい以外やったら、言うことないんやけどなあ」
「しかたないです。あちらからのリクエストですから」
「機体の展示だけなんや。誰が飛ばしても関係ないやろうに」
ため息まじりにつぶやく。
「ブルーには沖田さんと元相棒の葛城さんがいるでしょ。それに浜松には、元総括班長の青井さんがいるわけですし」
「そんなこと言うてたら、航空祭があるたびに、あっちこっちに行かなあかんくなるやん」
「それは大変だ。忙しくなりますねえ、影山さん」
「決定事項みたいに言わんでくれる?」
リストにサインをしていると、俺たちの後ろで急に空気がざわついた。
「?」
「?」
異変に気づいて振り返る。そこで固まった。
「……隊長、それどうするつもりで持ってきはったんですか」
やってきたのは杉田隊長だ。しかも手ぶらではなく、両手でパンサーのかぶり物を抱えている。
「いるだろ」
「は?」
「浜松の航空祭。うちの特別塗装機が参加するんだ。これも必要だろ」
「必要だろって、それ、持っていけっちゅうこと?!」
「持っていかないのか?」
真顔で質問をされて言葉につまる。それから機体のコックピットを見て、再び隊長が抱えているかぶり物を見る。どう考えても大きすぎ!
「え、だってそれ、乗りませんやろ。複座ならともかく、単座には入らんでしょ、それ」
「やわらかい素材だぞ」
そう言うと、隊長はかぶり物を両手で、煎餅のように平べったくして見せた。その場の全員が、あまりの光景に叫び声をあげる。
「わー!! 杉田隊長がパンサー君の頭をつぶしてるーー!!」
「パンサー君、つぶれてるーー!!」
かぶり物の素材はウレタンだと聞いている。撥水加工はされていないが、それなりに軽くて柔らかく、子供が持っても大丈夫だと、青井が言っていたような気がする。
「これなら後ろにつめると思うが」
「その『つめる』て、積むのか詰めるのか、どっちなんでっしゃろ」
「詰める、だな」
「詰めるほうなんかい!」
思わずツッコミを入れた。
「けど、その弾力性ならいけるかも」
「え?」
「隊長、それをください」
機付長が隊長からパンサー君の頭と両手を受け取ると、そのままステップを上がる。そして手を頭の中に入れると、シートの後ろに文字通り押し込んだ。再び、その場にいた全員が悲鳴をあげた。
「わー!! パンサー君の頭が変形してるーー!!」
「機付長、それ、かぶり物に対する暴力ではーー!!」
パンサー君はキャノピーの形にあわせて変形し、おかしなことになっている。
「入りましたね。それにこれなら外から見ても、パンサー君とわかるのでは?」
たしかに顔が外に向いているので、パンサー君であろうということはわかる。だがしかし。これで良いのか?
「わかるとかいう以前に、規則的にどないなん、それ……」
「一応、飛行時、緊急脱出時に影響のない場所につめたので、問題ありませんよ」
ぶら下がっていた影坊主も、パンサー君の頭の中に押し込まれた。
「せやからて」
「この機体は俺の機体ですから。影山三佐には発言権はありません」
「ここでそれを出すんかい……」
「何か問題でも?」
まったく。パイロットは機付長にだけは頭があがらないのだ。
「さあ、もう忘れ物はないですね。あったとしても、明日の定期便に乗せますからご心配なく」
「せやったらパンサー君も、明日の定期便に乗せたったらええやん」
「ダメですよ。明日の朝からファンサービスが待ってるでしょ」
「えー……」
機付長が言っているのは、航空祭の前日にある地元限定の基地解放のことだ。
「あれ、お子様そんなにおらへんけどなあ」
「お子様じゃなくても大人気ですよ、パンサー君。ファンの間では、SNSで写真が出回ってますし」
「そうなんかい」
「影山三佐は、もっとネットのチェックをするべきですね」
やれやれ、まったく。ため息をつきながら、コックピットの後ろを見る。キャノピー越しに、変形したパンサー君がこっちを見ていた。その目は「早く出してくれ」と言っているようだ。
「さっさと浜松に飛んで、出したるさかいな、パンサー君や」
パンサー君を助け出すには、そうするしかないようだ。やれやれ。ほんま、飛びたないのになんでやねん。




