第三十二話 滑走路の点検
「石ころ、石ころ、どこかいなー」
「ここだよー」
「どこやー?」
「ここだよー」
「どこやねーん」
「ここやねーん」
俺の横を歩いている葛城が変な咳をした。
「わいは影山、飛びたないでー」
「きみは影山、さっさと飛ぶぞー」
「飛びたないでー」
「飛びたくなーるぞー」
「ほんま飛びたないねーん」
「飛べよ」
葛城がとうとう噴き出した。その場でしゃがみ込むと、笑い声をなんとかこらえようとしている。
「なんや、どうしたんや」
「二人とも、もう並んで歩いたほうが良いんじゃないですか?」
しゃがんだままこっちを見上げる。その目はなぜか涙目になっていた。
「なんでや。班長はあっちでええやろ」
「ですけど、二人にはさまれて歌を聞く身にもなってくださいよ。とてもじゃないですが、点検に集中できません」
「なにアカンタレなことゆーてんのや。ちゃんと異物がないかチェックせなあかんで。ほら、いくで、石ころ、石ころ、どこかいなー、や」
「もー、真面目にやってくださいよ」
「俺はいつも真面目にやってるやんか」
今日は朝から滑走路の点検だ。ブルーのライダー全員が横一列に並び、滑走路に異物がないか確認をしていく。滑走路にちょっとした小石があっても、大事故につながりかねない。だからこれは草刈り、除雪作業とともに、滑走路を安全に使っていくための、必要な作業の一つなのだ。
「石ころちゃーん、おるかいなー」
「僕はここさー」
「手をあげやー」
「むーりだよー」
「根性ないわー」
「ほっとけよー」
「隊長~~」
葛城がとうとう隊長に泣きついた。だが隊長のすぐ横にいるのは、さっきから俺に合の手を入れている青井だ。
「なんとかならないんですか、これ?」
「これって失礼やな」
「俺の横には青井がいるんだ。葛城、お前は影山の横でなんとか耐えろ」
そう言い放った隊長も、よく見ると口元がプルプルしていた。
「隊長も、耐えろって失礼な」
「この言葉以上にふさわしい言葉が見つからん。いいな、葛城?」
隊長のその言葉を合図に、ふたたび全員がゆっくりと歩き出す。
「だったら、せめて両端に立ってもらえませんかね。俺、両方が聞こえる場所にいるせいか、ダメージきついです」
「両端に立ったらお互いの声が聞こえへんやん」
「聞こえなくて良いじゃないですか……」
「お、石ころちゃん見つけたで。草むらにポーイや!」
滑走路のギリギリの場所に転がっていた小さな石ころが目についた。それを拾うと草むらのほうへと放り投げる。人が出すゴミが落ちていることの多い航空祭とは違って、日常での基地内滑走路だと、割れたアスファルトの破片や小さな小石、タイヤの欠片が転がっていることが多い。とにかくこれをエンジンが吸い込んだり、うっかり踏んでタイヤがパンクでもしたら大変だ。
「しかし、今のアスファルトやあらへんかったな。ってことは、運んできたんは鳥かいな……」
「鳥ですか?」
笑いすぎて涙をふいていた葛城が、視線を足元におろしたまま聞いてきた。
「カラスとか頭ええっていうやろ? かたい木の実なんかを割るために、道路の真ん中に木の実を持ってくるいうやん。ここで、石を上から落として割るとか考えそうやん。でも賢いんやったら、石を片づけるところまでしてくれたらええのにな」
そのへんはやはり、人間ではなく鳥ってことなんだろう。
「あー、そんな鳥がいるって図鑑で見たことがあります」
葛城が俺の言葉にうなづいた。
「図鑑! オール君やから鳥の図鑑か?」
「違いますよ。子供が好きなんです、ああいうのを見るのが。写真がたくさんあるやつを買ったら、夢中になって毎日のように読んでますよ。まだ読めない漢字が多いので、文章に関してはそこまで理解はしてないでしょうけどね」
「へえ……君んちの子供、将来は動物博士かもな」
「かもしれません。……あ、これ、木の実の殻じゃないですか? 三佐の言ってること、当たってるかもしれませんね」
葛城は茶色い欠片を拾いあげた。それはどう見ても石やアスファルトではなかった。
「ドングリかな……」
「鳥もけっこう飛んどるもんなあ」
「ですね」
ブルーや他の航空機が上がる時は、対鳥専門の監視要員が滑走路脇に何人か立つ。鳥が飛んできたら、空砲を撃って追いはらうためだ。しかしそれでも、懲りずに飛んでくるヤツらが多かった。あまり人がいない広い敷地だ、野良猫や鳥にとっては安全な場所とも言えるんやろうな。
と、なにか頭に当たった気配がした。
「ん?」
なにか落ちてきたのか?と上を見あげると、カラスが呑気な声をあげながら飛んでいるだけだった。
「んーー?」
頭に手をやると、なにか湿ったものが手についた。慌てて帽子をぬいで見ると、てっぺんの部分に白いモノがついている
「あーーー、なんじゃこりゃぁぁぁ!!」
言うまでもなく、どう見てもこれは糞だ。犯人は頭上を飛んでいるあのカラスに違いない。
「あの、カラスめぇぇぇぇ、ごらぁぁぁ、なにさらしてくれるんじゃぁぁぁぁ!!」
葛城がとうとう笑いすぎてその場で倒れた。
「笑いごとやないで、オール君や。糞やで糞!! あのカラス、俺の頭に余計なみやげを置いていきよった!! ごらぁぁぁ、降りてこんかい!! なにがカーカーカーやねん!」
「カラスに喧嘩うってもしかたないでしょ。あっちにしたら、たまたま影山さんが下にいたって程度ですよ」
「喧嘩うってきたんはあっちやろ、まったく! どないすんねん、これ!」
「洗濯すれば大丈夫ですよ、ちゃんととれますって」
帽子を振り回し、糞を軽く落としてからしかたなくかぶる。するといきなり、カラスが変な声をあげて鳴くと急降下してきた。
「!!」
そして着地したのは俺の頭の上。その場にいた全員が、俺の頭の上のカラスを見ながらかたまった。
「お、おまっ、おまっ」
それを見て、葛城がふたたび笑いの発作でへたりこむ。
「オール君や、ちょっと笑いすぎやで……」
「降りてこいなんて言うからですよ~。カラスは頭いいんですから……」
カラスはカーッと鳴くと、二度ほど俺の頭の上で足踏みをして飛び立っていった。
「カラスぅぅぅぅぅぅ!!」
葛城はこの直後、隊長から滑走路点検の戦力外通告を受けた。
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「カラス、おらんやろうな?」
ハンガーから出る直前に空を見上げる。
「今はいませんよ。大丈夫です、さっきまでF-2が飛んでいましたからね。今日はもうさすがに、近づいてこないでしょう」
「それやったらええんやけどな」
午後からの基地上空での飛行訓練を前に、おにぎりをほおばりながら頭上を警戒する。あの後、帽子はすぐにクリーニングに出した。なにせブルーインパルスのライダーの帽子だ。その帽子が糞で汚れているなんて、とんでもないことやで。
「野良猫にカラスに。三佐はいろんなものに好かれてますねえ」
葛城が笑う。野良猫とは、いつだったか基地内に進入してきては、五番機の鼻先を占領していたチャトラだ。今は小牧基地の榎本三佐の自宅で、家猫ライフを楽しんでいるらしい。
「なんや頭がスースーして落ち着かへんわ」
普段はそんなに意識していないが、いつもなら頭の上にあるものがないというのは、なんとも落ち着かないものだ。
「どうせ飛行訓練が始まったらぬぐんです。大したことないでしょ?」
「そんなことあらへんで。頭がスース―して風邪をひきそうやでまったく。あー、もう、調子でえへんわー、こんなんでは飛びたないわ~~」
「ほら、予備を出してきたぞ、クリーニングが終わるまでこれをかぶってろ」
奥から出てきた青井が、俺の頭になにかを乗せた。
「?!」
青井が俺の頭にのせたのは、正真正銘のブルーの帽子だ。
「帽子にまで予備があるんか。知らんかったわ」
「予備だから無印だけどね」
俺達がかぶっている帽子の後ろには、それぞれの飛ばしている番号が刺繍されている。俺なら5番、葛城なら6番、という具合だ。ちなみに総括班長の青井は、当然のことながら7番。
「ないよりマシだろ? これで飛ばない理由はないよな?」
青井がそう言ってニヤッと笑った。
「帽子があっても飛びたないで」
「なに言ってるんだよ、飛べよ。そのために滑走路の点検をしたんだからな」
「はー、飛びたないで、今日は朝から散々やからな」
「散々なのは俺のほうだと思いますけどねえ……」
葛城がアハハと力なく笑う。
「なんや、午前中に笑いすぎて疲れたんか?」
「かなり腹筋はきたえられましたよ。ここに来てからずっとそんな感じかも」
「笑いすぎやで」
俺の返事に、葛城は心外だという表情をしてみせた。
「あれは俺が悪いんじゃないですよ。三佐と班長が黙ってないから、いけないんじゃないですか」
「石ころちゃーん」
「ここだよー」
「もー、やめてくださいよ、せっかく忘れかけてたのに!」
俺と青井が午前中と同じように繰り返すと、葛城は慌てて六番機のもとへと逃げていった。
「なんや、オール君。このぐらいで笑ってどないするんや。大阪に住まれへんで」
「沖田も、かなり腹筋がきたえられるって言ってたな」
六番機の元で、笑いの発作におそわれているらしい葛城をながめながら、青井が呑気な顔をして笑う。
「ここを離れるまでに、隊長が爆笑するぐらいのネタが浮かんだらええんやけどな」
「沖田が爆笑する前に、ブルー全員が笑い死ぬかもな」
「その割には班長は平気やん」
そう言えばこの手の冗談を言った後に、青井が笑い転げているところは見たことがないなと気がついた。
「不思議と、影山と一緒にわーわー言ってる分には平気みたいなんだ」
「わーわーて」
「わーわーだろ?」
「……かもしれへん」
「だろ?」
俺達が話をしていると、屋内から隊長が出てきた。まっすぐ一番機の元へと向かい、機体の点検を始める。
「さてと。そろそろあきらめて飛ぶ準備をしろよ」
「はー、飛びたないで、まったく」
おにぎりの最後の一口を放り込む。横から青井がお茶の缶を差し出してきた。
「おおきに、班長」
「飛行班長が変わったけどどうだ?」
俺がお茶を飲んでいるのを横目で見ながら、青井が質問してくる。
「どうとは?」
「吉池とはタイミングが違うんじゃないかって、本人が心配しているんだけどな」
「そうなんか? 今のところなんも問題ないと思うわ。少なくとも俺は、特にタイムラグは感じてへん」
「そうか」
それを聞いた青井はホッとしたようだ。
「誰かそんなこと言ってたんか?」
「いや。本人が気にしているだけなんだけどね」
「隊長と吉池班長がしっかりと仕込んだんや、大丈夫やて。なんなら他の連中にも聞いてみたらええやん? きっと俺と同じこと言うと思うで? お茶、ごちそうさん」
そう言ってお茶の缶を返す。
「そうするよ。まずは影山に聞いておきたかったんだ」
「飛びたない俺に聞いても、あまり役にたたへんと思うんやけどなあ……」
「そんなことないさ。さあ、そろそろ飛行訓練開始の時間だ。行って来い、影山!」
青井に背中を押されてハンガーから出た。
「ちょっと乱暴やで、班長」
「そうでもしないと、飛びたくないって言いながら、いつまでもここに居座りつづけだろ? ほら行けよ。沖田が早く上がりたくて、ウズウズしながら待ってる」
機体点検を終えた隊長が、いつもの場所で全員が集まってくるのを待っている。
「ほんま、隊長って飛びたがりやんなあ……」
「あいつはお前ほどじゃないって、いつも言ってるけどな」
「俺のどこが飛びたがりやねん。はー、ほんまに飛びたないわー……」




