第二十九話 写真撮影 2
「影山さん、もうちょっと自然に笑えませんか?」
「そんなことゆーたかてな、俺はモデルちゃうんや、そんな笑いかた、簡単にできるわけないやーん」
次の日、隊長の宣言通りに写真を撮ることになった。直前に知らされたにもかかわらず、全員がすっきりした髪型になっている。もちろん、青井のれいの尻尾も切られていたのは言うまでもない。
とは言え、俺達はモデルではなく自衛官だ。身分証明書や免許証の写真ならともかく、広報用のさわやかスマイルを浮かべての撮影となると、かなりハードルが高い。
「ここに来たころは、なんで写真だけで半日もかかるんやと思うてたけど、ほんま、全員の写真を撮り直すとなると一仕事やな」
俺の前で、三脚に設置したカメラのファインダーをのぞいている、写真屋のオヤジさんに話しかける。
「本当にそうですよ。だから少しでも仕事を楽に終えられるように、影山さんも協力してくださいよ」
「それとこれとは話が別なんやで……」
笑わないとダメ、笑いすぎてもダメ。あっちを向け、こっちを向け、あごを上げろ、下げろ。その加減がさっぱりわからない。俺としては、前の写真をそのまま使ってくれてもなんの問題もないんだがな。だが、それではダメらしい。
「だったら、なにか嬉しくなるようなことを思い浮かべてみてください。ああ、そう言えば、二人目のお子さんがもうすぐ生まれるんですよね? 家族が増えるのって、楽しみじゃないですか?」
「……」
オヤジさんの声が遠くなった。
「影山さん?」
「……そうやねん、もうすぐ生まれんねん。嫁ちゃんのお腹も、ずいぶんとおおきゅうなってな……」
「ですよね、ですから楽しみ、じゃ……?」
「あ、あかんねんあかんねん! 予定日がゴールデンウィークの真っ最中なんてな、我ながらなんちゅうことしてもうたって話なんや! わいがおらへん時に産気づいたらどないんするんや? 遠いとこに展開してる時やったらどないするん? わい、かけつけられへんやん? 大丈夫なんか? それでええんか?」
「ほら、奥さんの御実家が近いって言ってましたよね?」
なにか話しかけられているのはわかったが、なんと言っているかまでは理解できなかった。
「タクシー呼ぶのかて、電話でけへんかったらどないするんや? あ、そんなんやったら救急車も呼べへんちゃうん? チビスケ、パニックやん、どないすんねん!」
「あの、影山さん? 落ち着きましょうか?」
「あっかーん、あかんあかん、ほんま、あかんやん!」
「ちょ、ちょっと、影山さん、落ち着いて!!」
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写真館の御主人の慌てた声に立ち上がると、撮影用に使われていた部屋のドアを開けて、のぞきこむ。
「ああ、葛城一尉、影山さんを落ち着かせてもらえませんか?」
振り返った御主人は、困り果てた顔をしていた。
「どうしたんですか?」
そう問いかけはしたものの、事態は一目瞭然だ。
「影山さんが急にブツブツ言い出しちゃって」
「あー……御主人、三佐にお子さんのこと言っちゃったでしょ?」
「ええ。二人目さんが生まれるんですよね? 五月でしたっけ? え? やっぱりそれが原因なんですか?」
とたんに、影山三佐のブツブツの声が大きくなった。病院が休みだったらどうするんや、車が渋滞で遅れたら、担当の産科医がおらんかったら、嫁ちゃんお母さんがぎっくり腰にでもなったら、などなど。ありとあらゆる心配事を口にしている。
「ここ最近は、ずっとこんな調子なんですよ。それを思い出しちゃうと、心配になって飛びたくなくなるそうです」
御主人が思わずといった様子で、短い笑い声をあげた。
「……そこでも結局は、飛びたくないに行きつくんですか」
「ええ。正確には、行きたくないってことらしいんですけどね」
もうこうなると、俺でもなだめるのは不可能だ。最初は隊長がなだめていたのだが、早々に匙を投げてしまった。今のブルーで三佐のこれをなんとかできるのは、総括班長しかいない。
「ちょっと待っててください」
そう言って、部屋にある電話で内線にかける。かけた先は総務課の部屋だ。
『はい、総務、宇和島です』
「葛城です。そちらに青井班長はいますか?」
『お待ちください』
電話が保留になり、すぐに相手が出た。
『青井だけど。どうしたんだ?』
「いつもの部屋で、広報用の写真を撮っている最中なんですが、影山三佐が、また例のごとくの状態になってしまって」
『ええ? 今日はまだ飛んでないじゃないか』
三佐の〝例のごとくの状態〟とはたいてい『飛びたない』連呼のことだ。それが場合によっては三割増しになったり五割増しになって、キーパー達を非常に困らせていた。だから班長も、飛んでいないのにと言ったのだ。
「飛びたくないじゃなくて、奥さんのことのほうですよ」
『ああ、そっちか。しかしどうして? 誰もあいつに、そっち関係の話は振ってないんだよな?』
「自分達はなにも。ただ、写真館の御主人が自然な笑顔を引き出そうと、その話を三佐してしまったみたいで」
三佐の『飛びたくない』はいつものことだし、キーパー達を困らせながらも、いつも機嫌よく空を飛んでいた。だが最近はそれ以上の困った問題が増えた。今回の〝あれ〟はかなり厄介な問題だ。
『まったく困ったヤツだな。すぐ行くから、ちょっと待っててもらってくれ。写真撮影は、あと誰が残ってる?』
俺の気持ちを察したのか、電話の向こうで、青井班長が溜め息をつきながら笑う。
「自分と後藤田三佐だけです」
『わかった、すぐ行く。そんな調子で撮影、午後からの訓練までに終わるのか?』
「班長しだいですよ。お願いします」
『まったく影山ときたら、次から次へと……』
電話を切ると、写真館の御主人にうなづいてみせる。
「すみません。すぐに班長が来ますから。そうすれば、すぐに再開できると思います」
御主人はホッとした顔をした。その前で、三佐はまだブツブツと心配事をつぶやいている。このまま放置しておくと地球の裏側まで落ち込んでいくので、班長が来るまでは自分が相手をすることにした。
「三佐、まだ二ヶ月以上先のことじゃないですか。今からあれこれ心配してもしかたないでしょ」
「なにゆーてんねん、葛城。二ヶ月なんてあっちゅうまやで! しかも予定は予定で決定やないんや、早まったらどないするんや? 遅れてもどないするんや?」
「そんなに心配してたら、奥さんが落ち着きませんよ。旦那さんである三佐が、どーんとかまえていないと」
「かまえられへんから困っとるんやんか……ほんま、もー、嫁ちゃんの出産が終わって落ち着くまでは、本気の本気で飛びたないで」
結局はそこに行きつくんだから不思議だ。それでも、三佐が本当に飛びたくないと思っているわけじゃないのは、全員がわかっていた。たぶんそれを知らないのは本人だけだろう。
「まーた、ブツブツ言ってるんだって?」
班長が部屋に入ってきた。
「なんやねん。班長はもう写真撮影は終わっとるやろうが」
三佐がムッとしながら、班長に言い返す。
「そうだけど影山が終わらないと、葛城と後藤田が終わらないだろ? 午後からの訓練に支障が出たらどうするんだよ。また俺の書類仕事が増えるじゃないか」
「そんなことゆーたかてな、心配なんやで、ほんまに」
そして再び、あれこれと心配事を列挙しはじめた。
「いいか、影山。俺達は男だから、奥さんのかわりに子供を産んでやることはできない。俺達にできるのは、奥さんが安心して出産に臨めるように、しっかりと飛ぶことだけだ」
「……なんでそこで飛ぶになるんや」
「俺達がブルーだから」
班長が当然のように言い放った。よくよく考えてみると、理屈としてはハチャメチャだ。だが、班長がそう言うとなぜか説得力があった。そう感じるのはきっと、俺もブルーのライダーだからなんだろう。
「俺達は俺達だけで飛ぶんじゃない。お前は、嫁ちゃんと嫁ちゃんが作ってくれるおにぎりにこめられた思いを乗せて、飛ぶんだ」
「……」
「返事は?」
「お、おう。わい、嫁ちゃんのために頑張って飛ぶわ?」
言いくるめられながらも、疑問形なのもまた三佐らしい。だが、いつのまにか三佐の愚痴りは止まっていた。
―― やっぱりすごいな。さすが青井班長 ――
「じゃあ、まずは写真だ!」
「お、おう」
すかさず御主人が「笑顔をお願いします」と三佐に声をかけた。そしてチャンスを逃さずシャッターを切る。どうやら満足なできだったらしく、御主人はオッケーサインを出した。
「じゃあ、写真撮影が終わったらメトロだ。あ、その前におにぎりだよな。今日の具は?」
「え? ああ、今日の具は鮭フレークや。けどなんで……メトロ?」
「あれ、うまいよな。考え出した人を尊敬する。さあ、行くぞ、影山!」
「お、おう……?」
よくわからないままの三佐を連行していく班長。どうやら本当に、午後一のメトロは班長と影山三佐が飛ぶらしい。二人を見送っていると、班長が廊下の途中でこっちを振り返った。
「じゃあ葛城、あとの写真撮影は任せたからな!」
「あ、はい」
二人を見送りながら首をかしげる。
「あれ? 今日のメトロ、班長と影山さんじゃなくて、後藤田さんと飛田だったはずじゃ……?」
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「なんや今日は、うまいこと乗せられて飛んだ気がするわ……」
そして、午後からの飛行訓練後のデブリーフィングが終わった後、ようやく我に返ったらしい三佐がぼやいていた。
「良かったじゃないですか、班長とメトロを飛べて。お蔭で今日は風もおさまって飛行日和でしたよ。この季節にこんな穏やかな天気は珍しいって、気象班が言ってました。さすが晴れ男ですね」
そう言ってニッコリと微笑んでみせる。
「それに今日は、後藤田三佐との初デュアルソロを飛べて、俺としても満足のいく訓練でした」
「そーかー……せやったらええんやけどな。後藤田がはよう脱デッシーしてくれたほうが、俺としても嬉しいことやし」
三佐はまだ納得がいかないという表情をしていたが、弟子が独り立ちするための一歩をさらに進めたことに、満足したらしい。「まあ、ええか」とつぶやくと、ファンから届いた手紙を読み始めた。
そして二週間後、新しい年度のパンフレットができあがってきた。御主人が苦労したかいもあって、全員が良い笑顔をこちらを向けていた。




