戦いの予兆
王都キリスの望楼で番に当たっていたひとりの兵が、南方の森林より打ち上げられた三つの火炎弾を目撃した。
魔法の属性はどうあれ、空に連続して撃ち上げるそれは、緊急を意味する。
現在森林では、王の令により幼体の白狼を討伐する傭兵たちが赴いている。
これにあたり、規定のひとつに、成体の白狼が確認されたときは緊急信号を三つ送ることが義務付けられていた。
兵士に緊張が走る。つまりはその事態が起きたということなのだ。
彼はすぐさま耳栓を付けて、鐘を激しく鳴らした。
王都に鐘の音が響き渡る。
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警鐘を受けて、都内の歴戦の傭兵たちが動き出した。
彼らは一様に眼を光らせ、装備を整えると、ある場所へ訪れる。
円形の城壁が囲う王都キリスの南門付近、商店が賑わう明るい通りで、水を差すように異彩を放つ、黒く巨大で厳かな建物は、傭兵団の口入れ屋――いわゆる斡旋所であり、傭兵ギルドの総本山。
日没が近い景色に浮かぶは、見るものを圧倒する威容を有していた。
この中に、王都キリスの端々より集った百余名の傭兵がいた。
騒々しく振舞っている彼らの話題は、決まって金と女と、白狼についてだ。
はやくも所々で、賭けが行われたり競争が始まっている。
当然だった。
何せ成体の白狼は大陸に僅かしか棲息していない。加えて恐ろしく強く、討伐のさいには多くの者が犠牲となる。
存在としてだけでなく、毛皮や骨の素材といった側面でも希少価値があり、かの白狼を仕留めた事実もまた、輝くような武勲だ。
戦果は多大にして傭兵の夢。
それを得る好機が目前とあらば、騒がずにはいられないだろう。
日が暮れてきたこともあり、建物の内部はほの暗かった。
一部で固まって会話する同士はわかるが、離れた他所の顔までは、そろそろ難しくなっている。
誰かがいい加減、照明が欲しいと、気にかけた頃だ。
立ち並ぶ柱に備えられた蝋燭が灯り、天井近くでは炎が盛った。
部屋の隅々に光が届く。
「中央へ」
喧騒を突き破る、静かな女性の声が聞こえた。
傭兵は口を閉ざし、知らずうちに紛れて立っていた、その人に注目する。
彼女には色がなかった。
身を包む服、うら若き肌、背に垂れる髪の色や睫毛も含めて無垢な白で、火に照れる様が神々しく感じられるほどに煌びやかだった。
ただし瞳は赤く、それがまた純白を一層、引き立てている。
名はイザベラ・ローレン。
傭兵ギルドの、第八代管理者だ。
「皆も噂は耳にしているだろうが」とイザベラは言った。「十五時三十四分、今朝よりウナの大森林において幼狼の討伐にあたっていた者から、三発の緊急信号が発せられた。その意味は、成体の確認である」
イザベラが話し出せば、傭兵たちは口を開かずに近寄り、彼女を中心に円をつくった。
傭兵の多くは無作法で荒くれ者である。その秩序ある動きは、傍目に異様と映るだろう。
「これを受けて、王の勅令が我が傭兵ギルドに下った。内容は残された者の救出と、成体の討伐である」
話しは淀みなく続いていく。
「夕闇は深まる一方だが、闇こそが白狼の姿を映えさせる。狩りりはまだ続いているだろう。しかしこの者たちは少数のチームであり、かつほとんどが諸君らより未熟だ。ゆえに此度の仕事はこうなる」
イザベラは手元の書簡を広げて、声を張った。
「十七時、王都キリスの南門より馬にて出立。二時間の行程を経て、ウナの大森林正面に到着する。そこで四つのチームを編成し、十九時三十分に手分けして森に入る。第一目標を残存傭兵二十五名の救出、第二目標を白狼の屠殺と定める。報酬は基本を金貨一枚とした歩合制だ」
イザベラを囲う彼らはどよめいた。通常、傭兵稼業では戦果がその日の金になる。ただで湧く金貨一枚はとても魅力的だった。
「なお先程、タリスの村の伝書鳩が届いた。信号を送ったらしい二人組の傭兵からである。両名はウナの大森林に入り、およそ半時間で幼狼を見つけて追走。しばらくして白狼と遭遇している」
すると、
「そんな浅い場所に?」
彼女の言葉に、いや伝書に疑問を投げかけるよう、傭兵が呟いた。
たちまち他の者たちが静かに頷く。
声に出さずとも、思うことは皆同じだった。
森に棲息する獣は様々であり、その分だけ仕事がある。内容次第では、森林において野営しなければならないほど、奥深くに潜ることを強いられる。
それであっても、白狼の姿形はおろか、痕跡すら見かけない状況が常だ。
この疑問には、イザベラも同意を示した。
「いかにも。推測するに、成狼は麓より一時間弱の地点で目撃された。警戒心の強い奴が現れるには、あまりにも迂闊な場所と言える。だが奴はときに、我々よりも賢明だ」
――訳あって麓へ下りたに違いない。そう、彼女は言うのだ。
つまりはウナの大森林で異変が起きた、という解釈も可能であった。
傭兵たちの胸中に不安が小さく芽生える。
「それと報告はもうひとつある。重要でないうえ、件との関連性は低いが一応伝えておこう。両名は盗賊との遭遇が途中あり、追い詰めたところで、敵を庇うみたく成体が突如立ちはだかったという」イザベラは片方の眉を吊り上げた。「ふむ。俄には信じ難いな。気が動転していて見間違えたか、偶然その位置取りになったか、あるいはどちらでもないのか……まあ良い。盗賊は小柄な青年。黒髪に焦茶の瞳、右手がない。命があるとは思えんが、存命とあらば引っ捕らえよ」
書簡を閉じて、凛と面を上げた。
「金になるのか?」とは傭兵の発言である。
「少しな」
「そうかよ」
興味を失ったらしく、返事は雑であった。
異変の渦中、たかが盗賊を気にかける余裕はない。
大した金にもならぬなら、殊更である。
「ともかく両名が無事であったこと、加えて貴重な情報をもたらしてくれたことに感謝しよう。そして繰り返すが緊急の事態だ。迅速に行動し、時間を厳守したまえ。以上、解散」
傭兵が散る。
数分後には、皆が去った。
炎は揺らぎ、火花を残して消え失せる。
静寂と暗黒が建物を支配をした。
残ったイザベラは深く息を吐いた。
ただならぬ予感が、彼女にはあった。
「…………よし」
気を引き締め直して、外へ出る。
商店の賑わいが聞こえてきた。
そちらへ目を向ければ、色とりどりの光彩が夜を飾っており、いつも通り大盛況だ。
行き交う人々は笑顔である。
イザベラの胸騒ぎを上塗りするかのようで、自然、口元が綻んだ。
やがて彼女は南門へ歩む。
空は月明かりを覆う曇天の模様だった。