ふたりの傭兵
成体の白狼を討伐するときに必要とされる傭兵の数は、一般的には二十人前後とされている。ただしこれには、腕利きの、という言葉が付いてのものだ。
経験や知識の浅い傭兵がいくら集えど、強大な力の前では、木端微塵である。
熟練の立ち回りをしてようやく、その白銀の毛を汚せるというのだ。
しかし幼体であれば、その首を持ち帰ることは実に容易い。理由はいくつかあるが、最もたるのは、魔法がまだ使えないことだろう。
白狼は風を操る、稀有な種族だ。人の魔法にはない上、不可視である。ゆえに苦戦する。
攻撃の方向性がわからない魔法から身を守るは困難で、策を講じるもまた困難。
人は松明を片手に、かろうじて風の流れを読み、四苦八苦して戦うのだ。
幼体が、厄介な風の魔法を行使しないのなら、懸念は解消される。また、未発達な牙と顎の力は、鎧でもって満足に防げる。
もちろん、身軽な動きと矮躯に翻弄されて、いいように防備の薄い関節や首を噛まれてしまえば致命的となるものの、それを許さない傭兵だけが、幼体の討伐に参加するのだ。
他と比して危険が少ないこの仕事の最低動員数は、規約上、成体の討伐を大幅に下回る【二人】となる。
そして初夏の某日、キリス王国は、国土の南端に位置する大森林で幼き白狼の目撃情報がいくつか挙がったことを受け、懸賞金を載せて討伐令を下した。
傭兵たちは、各々の相棒と共にこの仕事を受けて、森に入る。
大剣を担ぐ男、ドン・ヨハネスと火の魔法に自信を持つ女、アン・カリーシも、そうだった。
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指を断たれた苦痛と、憎悪によって歪む顔で、カリーシは言った。
「……覚えてなさい」
ヨハネスは彼女の肩を叩いて、走ることを促す。成体の白狼を目の前にしているいま、事態は一刻を争っていた。彼らの命は風前の灯がごとく危うげであり、少年ごときに構う暇はなかった。
睨みをきかせたあと、カリーシはようやく後方へ逃げる。
ヨハネスも、白狼の出方を窺いつつ、充分に距離を置いてから背を向けた。
それから二人は、一言も発しないまま森を駆け巡り、遠く遠くへ走った。幸か不幸か、ヨハネスは自前の大剣を手放してしまったため、その荷重に負担を強いられずに済んでいた。
再び白狼と相見えないことを祈りつつ、来た道を大きく迂回して、着実に森を抜けんとする。
幾度となく仕事で訪れているここは、たとえどれだけ奥深く進入しても、ふたりにとって迷える樹海ではない。
途中、鋭利な角を持つ双頭の鹿に出くわしたヨハネスは、突進する相手を正面より迎え、角を掴んでは力を利用して投げ飛ばした。
「もう大丈夫だろう」鹿を懐刀で仕留めて、ヨハネスは木に背中を預けて座る。「カリーシ、傷はどうだ」
戦闘を彼に任せていたカリーシは、どこかしらの影から現れると、顔を怒気に染めていた。
「あんたのせいよ」
「なに?」
ヨハネスは自分の耳を疑った。
だがカリーシの語気は苛烈さを増して、彼にぶつけられた。
「あの小僧の肉を焼けって、あんたが言ったから! だからわたしはこんな痛い目に!」
甲高い声に嫌気が差しつつ、ヨハネスは冷静だった。
「落ち着け。カリーシの指は拾ってある。街に帰って治癒の魔法をかければ、元通りだ。綺麗さっぱり。ならいいじゃないか」
「よくないわよ。ほんとに痛いんだからね!」
紐で血を止めている指を大事そうに手で隠す彼女を見て、ヨハネスは思う。
俺が若い頃には、指が千切れたり脚が複雑に折れることはしょっちゅうだった。たかが数本、それも切断面は鮮やかなのだ、堪えきれぬ痛みでもないだろうに、騒ぎすぎだ。
なおも痛みに耐えかねているのか、涙ぐんでいる彼女の姿に、まあ、と彼は考え直す。
カリーシは魔法使いであり、後ろに控える立場ゆえ、傷を負う機会は少ない。血を流すのさえ珍しいのだから、仕方ない面もあるか。
ヨハネスは溜め息をついて、腰に下げるポーチを探った。
「カリーシ、こっち来い」
「なによ。怒ってるの? わかった、ぶつんでしょ。行くもんですか」
「怒ってねえよ」
「じゃあ、なに」
「いいから」
カリーシは警戒して、そろそろと歩き、ヨハネスの傍に立った。
「座れ」
ヨハネスが言えば、彼女は裾の長い外套を抑えて、隆起したてきとうな根に座る。
「これをやる」
彼の手のひらには、清潔な布で包んだカリーシの指と、青白く仄かに光る液で満ちた小瓶があった。
液の正体に気付いたカリーシは、目を丸くする。興味深げに、身を乗り出していた。
「嘘、これ。やるって、え? これを?」
小瓶とヨハネスに目を行き来させる彼女の戸惑った様子は、なかなかに妙で、彼は込み上げてくる笑いを抑えられなかった。
「ちょっと、笑いごとじゃないわ」カリーシはいたって真顔である。「これがすごく高価って、わたし知ってるのよ。おいそれと人に譲れる物じゃないでしょ」
たしかに、高い。それを改めて指摘されると、譲るべきかを悩んでしまう。だが、カリーシの顔を見つめていれば、ヨハネスの決断は早かった。
「いつか役に立つと考えて、俺はこれをずっと持っていたが、結局そのときは来ていない。これは喜ばしいことだ。俺が、傭兵として一流になった証でもあるからな」
「まあ……。でも、備えあれば憂いなしと言うわ」
「こんな物の備えより、おまえが俺の支援を完璧にこなせるほうが、よっぽど安心する。それに――」
ヨハネスは、滑りそうになる口を閉ざした。
「それに?」と、カリーシが尋ねる。
「なんでもない」
「教えて」
「無事、街に帰ったらな」
「ふうん」
目を細める彼女の鼻先に、指と小瓶を押し付ける。指を失ったカリーシの右手を取り、紐を解いた。
「さっさと治そう」
布で包んでいた数本の指を、断面を合わせて、本来あった箇所に戻す。小瓶の栓を、噛んで引っ張って外したら、中身をカリーシの手に垂らした。
粘性の液は、彼女の手の甲を覆い、指先まで広がる。
あ、とカリーシが声を漏らした。
早速傷に変化が顕れているのだろう、彼女自身が一番それをわかるはずだ。
時間の経過に伴って、液の燐光は鳴りを潜めて、色をなくす。やがて透明な真水になり、違和感なく癒合したカリーシの手がそこに見えた。
「うっそお」
「すごいな」
ヨハネスは傷痕も何もない、彼女の指を撫でた。
真水はヨハネスに伝い、滴り落ちる。
その肌は女性らしく滑やかで、瑞々しく、ほっそりとしていた。
「手つきがやらしい」
カリーシの言葉に面を上げると、半目の彼女がいる。
「そ、そんなことはない」
慌てて返事をして、ヨハネスは立ち上がり咳払いをした。
「ああ、そうだカリーシ」彼は余所を向いたまま言った。しかし声色は冷静だった。「信号弾を打ち上げるんだ。成体の白狼が出たことを知らせなくてはいけない。森の中にいる奴らには見えんが、キリスに至急の応援を寄越してもらおう」
カリーシは頷いた。
「そうしたら、森を抜けましょう」
痛みも引き、切れていたことが幻だったかと思い違うほど自由に動く手を確認して、彼女は天に腕を突く。
杖を握っていないいま、規模の大きい魔法を放てなくとも、キリスの番をする兵士に気付かせることは可能だった。
カリーシの手のひらに炎が宿る。