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ーーー  作者: 眠すぎ太郎
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転生の紋

脚を折り、地に座って静かに瞳を閉じた白狼の身体から、温かみを宿した燐光が無数に浮かぶ。

光の玉が天に昇っていくさまは、まるで魂が召されていくかのようだ。

魔力で生きながらえていたからこそ、その命が散ったときに見られる現象なのかもしれない。

地球でいう霊獣等の神秘さを思わせる白狼らしい最後だと、僕は感じた。


やがて光は数を減らし、すべてが消失した頃、抜け殻となった白狼の肉体は急激に老いた。

耳が垂れ、髭が伸びる。艶のかかった毛皮はくすみ、まとまりをなくして荒れた。

いまや筋肉はしぼんで、逞しかった以前から一回り以上も小さくなった気さえする。

だが死してなおも厳かである白狼に、僕は手を合わせて黙祷した。


結局、白狼との話を終えた僕は、自分がどうしたいかわからなくなっていた。

白狼を保護するなら、危険は承知でなければならない。

僕はその危険に身を投じたくない一方で、白狼の子への気持ちに感化されて、期待に応えたい自分がいる。

非常に難しい選択だ。


眉根を寄せたまま、僕は幼い白狼の元で腰を下ろした。

特に悩みの種となっている、右手に目が向く。

右手では、不可解な状態が続いていた。

まず、痛みがない。

傷口から血は流れている。しかしそれが滴ることはなく、糸を引いて、無重力にあるように宙でふわりと漂っている。

左手で触れてみても、血は付かない。滑らかな感触は、絹の糸と変わらなかった。

傷口を覗いてみれば、肉や骨の様子に思わず顔を歪めてしまうが、赤い糸が丁度血管から伸びいてることがわかる。


僕の血であることに違いはない。

しかし生まれ変わる前の僕の血は、たしかに、ただの液体であった。


神の、力を授けるという台詞。

女は僕のこれを魔法と言った。

そして白狼は、奇怪な術と。

推測するに、僕の血には、神に与えられた力が作用しているのだろう。


……僕は、意識のない幼い白狼に視線を戻して、その身を左手で引き寄せた。

それから右腕を差しこんで、抱え上げる。矢に触れないよう気をつけた。

目を閉じて耳を澄ませば、かすかに川のせせらぎが聴こえた。


僕は安堵のため息を漏らす。

近くに川がある、とは白狼いわくである。下流のほうへ半日ほど進んだら村が見えてくるらしい。

生きることに執着しないとはいえ、さすがに森でさまよってゆっくりと死んでいくのは嫌だった。


幼い白狼を連れて行くのは、気まぐれである。

弱った動物を見捨てるのは良心が傷んだだけ。

この子がいたら、また何者かに狙われる危険はあるし、そのことを考えると村に近づくのも危険だ。

アニメの主人公は、こういうとき、きっと惚れ惚れする英断を下すのだろう。

でも、弱っているのは僕も同じだ。

そんな僕に、この子を守ろうなんて強い意志は持てない。


そうは言いながらも、幼い白狼を抱いて歩く甘さを捨てきれない自分に、嫌気が差す。

今後を思うと、ただでさえ疲労困憊の脚は、さらに鉛のように重たくなり、僕を憂鬱にさせた。



幼くも、しだいに腕の力が入らなくなって来るほどには重たい白狼を抱えつつ、起伏の激しい森の中を歩んでいくと、何か訓練をしているみたいだ。

こっちに来てからというもの、以前の虚弱体質だった僕にはできなかった、酷な運動ばかりしている。

そのことに感動というか、感慨深いものはあるが、冷汗ばかりかいたせいか、ちっとも疲労後の心地よさがない。

眉根はひそまるばかりだった。


水流のせせらぎがいよいよはっきりしてきた頃、森の景色を横切る窪みが見えた。

川だ。

はやる気持ちとは裏腹に、のろまに動く重たい体を引きずって、僕はそこだけを見据えて進んだ。

視界が開けると、幅2mほどの、恐ろしく透き通った水の流れに辿りついた。

膝を折って、未だ意識を戻さない白狼を脇に寝かせる。左手を川に触れさせると、火照った身体を芯から冷やす感覚があった。


「はあ……」


堪らず漏れた吐息には、隠しようもない倦怠が滲んでいた。

左手の冷たさと、川の周囲を漂う清涼な空気を感じながら、僕は頭を空にしてしばし呆ける。

心が休まったあとには、激しい喉の渇きを覚えた。

川の水をそのまま飲むことに躊躇ったが、一瞬だけだった。前屈みになり、首を伸ばして、左手ですくった水を飲む。何度も。

しかし片手ではすくえる水は少なくて、すぐに焦れったくなった。無意識に右腕も伸ばし、両手でお椀を作ろうとして気付く。

僕に右手はないのだ。

すると、渇きも忘れて、僕は右手を眺めた。言い知れぬ寂寥感が僕を襲い、訳もなく目頭が熱くなった。

ふと思い出されるのは、漫画などでよく見かける、欠けた自身の肉体を再生する能力だった。


ああして、僕の右手も。


そう考えたとき、手首から出血してなお滴ることなく、糸らしい様子を呈していたそれらが、急速に蠢いた。

いくつかの血管より伸びていた血液は、手首の断面から急速に折り重なって、形を成していく。

はじめに真っ赤な親指が出来上がった。

目を剥いているうちに、手のひら、人差し指、中指が、真紅の毛糸で編まれていく。

さいごには1本の細い血液が渦を巻いて、小指をつくった。

呆気に取られていた僅か数秒の出来事だった。


それからゆっくり右手を動かした。動く感覚をきちんと味わうように、しかし優しく指を折って、拳を握った。力を込める。体験したことのないほどに、拳は固く握られた。僕は手を、繰り返し開いて閉じた。


驚きのあまり声を発することもなかった。傍目に見れば不気味な右手かもしれないが、僕はこれに感動していた。血色の右手は、もう僕のものだった。


左手と合わせてお椀をつくり、水に浸からせても、川が赤く澱むことはなかった。

目一杯にすくって、口へ煽る。鉄っぽい味はせず、きんと冷えた水は喉を潤して、食道を通り、胃に至る。よっぽど熱を持っていた僕の身体では、ありありとその過程がわかった。


渇きが失せたら、やはり気になるのは汗と汚れだった。人目がないのをいいことに、僕は裸になって、服を濡らして全身を拭いた。頭は川に突っ込んで洗った。


白狼のことも綺麗にした。脚に刺さる矢は引き抜いて、傷口を水でゆすぐと、ようやくそいつは目を開けた。


「やあ、おはよう」


そう言うと、白狼は起きるなり身を翻して、牙を剥き、鋭い眼光をもって僕を威嚇した。

だが傷ついた左の後ろ脚に力は入っておらず、不格好な姿勢である。ましてや血は流れており、ひどく痛々しい。

その健気な姿に、僕は臆するどころか、苦笑した。


「暴れないで。止血しなきゃ」


シャツの袖を破いて、歩み寄った。言葉が通じたか、あるいは不自由な脚では満足に動けないのか、白狼は唸りながらも身をよじって数歩後ろに下がるだけだった。

しゃがんで、布を切れ端を使い、白狼の脚の傷を包帯する。よしっと僕は呟いて、威嚇を構わず、その身体を両手で抱き上げた。前脚をでたらめに動かされて抵抗を受けたが、赤い右手で鼻頭から撫でてやると、凍ったように大人しくなった。


立ち上がり改めて視野を広くすれば、樹海が色を変えていた。背の高い木々が日を隠してしまっているため定かではないが、夕焼けの火種が梢を染め上げており、地上近くは薄暗い。木の葉の隙間を抜けて降り注ぐ幾筋の朱が、かすかにあたりを照らしていた。


日没か。僕は白狼を見やりながら、濃厚だった1日を振り返って、ふと額に刻まれた紋様が気になった。

触れてわかるが、瘢痕は残っている。

手持ちに鏡がなく、それを確かめる術はなかったが、今ならわかるだろう。


僕は前髪を掻き上げて、額を水面に晒した。

穏やかな川の流れは、やや揺れつつも、はっきりと僕の顔と、抱かれた白狼を映してくれる。

僕の顔は、生まれ変わる前とまったく同じだ。

違う点があるとすれば、僕はかつてこれほど疲れた表情をしたことがない。ひどい面だ。

無理もないか、とひとりごちる。

そして視線を上に寄せた。


額には、王冠の紋があった。

次回は11月10日に更新です

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