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ーーー  作者: 眠すぎ太郎
2/7

幼き幼狼



向かいの男女も動き出す。

だが横たわる狼は僕に近かった。

少しでも立ち止まったら追いつかれるとわかっていたから、脚を全力で回しながら腕を伸ばして、狼を攫う。

男が怒鳴った。僕はひぃ、と思わず鳴く。さらには後ろの二人の会話で、いよいよ僕は振り返ることも恐ろしくなった。


「やはりあのガキ、盗賊ね」と女。

「身なりが軽い。間違いねえな」この声は男だ。「ぶっ殺すぞ!」


盗賊なんて人聞きの悪い。動物を殺そうとしてたあんたらの方がよっぽど悪役だよ、と僕は後ろを尻目にした。

猛烈な威に背を圧されつつ、木々の合間を縫って駆け抜ける。

とはいえ僕の足の速さなどたかが知れていた。幼い頃にあまり運動ができなかったゆえに、恥ずかしいほど運動音痴だ。加えて狼を抱えている。

それでも追い詰められることなく逃げおおせていられるのは、相手に重しがあるからだった。


男はゲームの主人公みたいな鉄の防具と剣を持っていた。

女は軽装であったものの、その鈍重な男の後ろを走っているため、前に進んでこれていないのだろう。


僕は無我夢中だった。

腕がはやくも吊りそうになっている。

肺が破けてしまいそう。


運動をしていないことの弱点はもうひとつあった。そしてそれは、どうにも解決できない問題だった。


僕は致命的に持久力と脚の筋力がないのだ。

走っていてわかる。僕は少しずつ遅くなっている。


後方の男は、その体躯でわかるように、鍛え方が伊達ではないのだろう。

身につけている鉄の擦れ合う音が、みるみる近くなっていた。


体力が枯渇した僕を走らせているのは、いままでに感じたこともないほどの恐怖心だ。

訂正しよう。虐めてきた奴らのほうが、まだ怖くない。

比べて後ろの男ときたら、背中に寒気が走るほど、睨んできている。痛いほどにそれがわかる。


追いつかれたら死ぬ気がした。

逃げなくては。

だが、どこまで逃げればいいのか。

景色は行く先行く先変わらない。

走っているうち、僕は苦しむことに嫌気が差して、立ち止まってしまいたい衝動にかられる。


いくつもの木々を通り過ぎて、またも正面に木を見つけた僕は、感覚がほとんど失われた足に鞭を打って避ける。

目前には、男についていてはずの、黒い外套を被った女がいた。


思わず足が止まった。

とっくに限界をむかえていた僕は、それから崩れるようにして膝をついた。

もう、逃げられない。


「鬼ごっこはもう終わりか?」


すぐに男もやってきた。

振り返れば、すでに剣は抜き身だった。


「とろいし根性ねえし、おまけに仲間の気配もしない」男は言う。「おまえいったい、何がしたかったんだ。黙ってれば俺を怒らせることもなかったのによ」


そのとおりだ、と思う。

僕はいったい、何がしたかったのか。

狼を救うなんて、最初からできるわけないとわかっていたのに、生まれ変わるんだと勇んでは闇雲に逃げただけだった。

ださいなあ。

悲しいなあ。

結局僕は、弱いままだ。


「ダメね、この子。もう絶望しちゃってる。返事をする気力もなさそう」


僕は女を見た。彼女の持つ杖は、不思議と燃えるような光を帯びている。

平常なら綺麗と思えそうなそれだが、火を連想するためか、いまは恐ろしさが先立った。


「おい、燃やすなよ」と背後の男が言う。

「あら、つい。ムカついちゃってて」

「賞金が掛けられてるかもしれねえんだ、縛って連れ帰る」

「はーい」

「しかし手を煩わされて気が立っているのは俺も同じだ。少し痛い目にあってもらおう」


嫌な予感がして、僕は首を後ろに回す。

すぐそばで男は片膝をつき、狼を抱えていた僕の右腕を力づくで引っ張ると、地面に抑え付けた。

男は腰元のナイフを抜いて、振りかぶる。

振り下ろす先には僕の手首があった。


「そんな――」


腕を引こうとした。

だが抑えつけてくる男の手はまるで動かなくて、僕の右手首はナイフにあっさりと切断された。

僕は絶叫する。

意識が明滅するほどの耐え難い痛みが、断面から全身までをくまなく襲った。

あらゆる汗腺からは脂汗が吹き出し、ぼくはひどい熱感を覚える。

まるで火に炙られているかのようだ。

暴れる右腕をなおも男に抑えられつつ、僕はうずくまり、身をよじらせた。


すると男は、さらに僕を追い詰める一言を放った。


「おい、手首焼いとけ」

「うん」と、女が答える。


僕は恐怖した。

より強烈な痛みが加えられることに対してもだが、二人の慈悲もないやりとりに異常性を感じたせいでもあった。

人をいたぶるにまったく抵抗がないらしい。

その心理は、僕の理解が到底及ばないところだった。


「あんたら狂ってる……!」


止まない苦痛に悶える僕は、それだけでもかろうじて言うことができた。


「先に仕掛けたのはおまえだ。当然の報いと思え」

「だ、そうよ」


男の返事に女は乗っかって、その杖にふたたび燃え盛る光を宿した。

光はやがて熱を持ち、空気を揺らす本物の火へと化ける。

それは女の手品なのだろうか。

僕は目を疑ったが、紛れもない火の出現は、手首を焼く準備であると明白だった。


「嫌だ、嫌だ」震える声で僕は呟いて、首を振った。「お願いします、嫌です。やめてください。嫌です」

「んー」と女は指先を顎にあて、考える素振りをした。「やめてもいいけど、そしたらあんた、失血で死ぬわよ」


言われてみれば、当然だった。

僕は切られた手首をみる。男がきつく腕を抑えていることが幸いして、いまの出血量が多少であるものの、本来はとめどなく血が噴き出しているに違いない。

男がいつまでも血を止めてくれるわけもなく、また少量の血は流れているためいずれはやはり死ぬ。

つまり女は、断面を焼いて肉をただれさせて止血する他に、手段はないというのだ。


「あああ、そんな、そんな、なんでえ」


絶望的な状況に、涙が出た。

これ以上痛い思いはしたくない。

こんな目に遭うとわかっていれば、生まれ変わりなど望んじゃいなかった。

ちくしょう。病床で死ねばよかった。

ちくしょう。ちくしょう。

ふと僕は思いつく。

ならばもう、死ぬか。


「殺してよ」


しかし、女はそれを許してくれなかった。


「だめね」

「なんでよ、頼むよ。痛いのは嫌だ。お願いします、殺して」

「ごちゃごちゃうっさい、ほら、焼くよ」


女は杖先の火を揺らしながら、歩み寄ってくる。

僕はわめき、解けるはずないとわかっていても、男の拘束から必死に逃れようとした。

そのうちに、女とのあいだの、たった数歩の間隔は一瞬で詰まった。

黒い外套に身を包んだ魔女を思わせる彼女は、姿勢を低くして火を近付けてくる。

僕は一層わめき散らす。

火が手首を焼かんとするとき、僕は恐怖や痛覚をわずかでも誤魔化すためにも目をつぶり、声を張った。


「嫌だ――!」


手首に焼ける痛みはやってこなかった。

あるいは感覚が麻痺してしまったのか、これまでの激痛さえ嘘のように消えていた。


目を開いた僕の前では、いくつにも分断された杖が地に落ちている。それと、爪が綺麗に伸びた指先が数本あった。

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