転生
平日更新が多いかもしれません。週に1-2回更新できればいいなと思ってます
生まれつき身体の弱かった僕は、幼い頃から入退院を繰り返していた。しかし医療の発展は目覚しいので、いずれは良くなるだろうという希望があった。皆と同じような生活がしたい。叶うまではきっと、もう少しの辛抱だ。成長につれて症状は着実と快方に向かっていたから、それを疑うことはなかった。
18歳になって、僕はいままでが順調なだけだったと知った。不幸は突然、虚弱な僕の身に降りかかったのだ。
最初はただの流行り病にかかったに過ぎないと思っていた。とはいえ、抵抗の力が弱い僕にとっては、そのことだけでも一苦労である。大事をとって、すぐにかかりつけ医のもとに行った。
検査の結果わかったのは、僕がかかったのはたしかに流行り病だが、運の悪いことに各メディアが注意を促す報道をしていた、海外から運ばれた伝染病だった。
その伝染病は、健常者に対しては、比較的驚異が薄かった。重症化した場合の致死率だってごく低い。急性期には高温の発熱や消化器系症状が出て苦しむことになるものの、基本的には予後良好である。
でもそれは、僕に牙を向いたのだ。
日本で流行されることが予期されていなかったため、医療機関には抗体の準備がなかった。また安易な抗体の作成は、耐性をもった細菌の発生につながるので、開発にも時間を要する。
その時間のあいだに容態は悪化の一途をたどり、最後には合併症に身体が耐えきれなくなって、僕は死期を悟った。
死ぬ間際、僕の周りには医者や看護師、家族がいた。みんな必死に僕の名前を呼んでいてくれたけれど、答えることはできなかった。心の中で、名前を呼び返すだけだった。
薄れゆく意識のなかで、強く思ったことがあった。
それは、もっと生きたかったという願いだ。だから、もし生まれ変わりがあるのなら、今度は健康な身体が良い。
そのときにとうとうぼくはいかれたのか、頭に直接語りかけてくるような、神のお告げを聞いた。
神はこう言った。
貴方に生まれ変わりの機会をあげましょう。ですがひとつ、貴方は使命を負わなければいけません。これから生まれ変わる世界ではいま、白い狼が滅ぼされようとしています。どうか彼らを救ってください。彼らを滅ばされるわけにはいけません。
僕は神が何の話をしているかわからなかったが、それでも来世があるのなら、動物を守ることくらいやってのけるさ、という気持ちだった。
神は続けた。
しかし簡単なことではありません。そのままのあなたでは、なす術もない。
力を授けます。強くなるのです。そして仲間を増やしなさい。そうすればきっと、目的は果たされることでしょう。
神の声は、そこで終わった。
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安らかな暖かさと鼻腔をくすぐる花の匂いを感じて、僕の意識は、暗闇から浮上した。
目を開けば、血のように赤い羽を持つ蝶が、雑草の先で羽休めをしていた。
死んだはずの僕は状況を呑み込めず、起き上がることもないまま、陽光に煌めく蝶を見つめた。
蝶は飛び立って、あたりを低空で舞う。
僕の目には、まさしく鮮血が迸っているかに映り、気味の悪い幻想を眺めている気分だった。
やがて蝶は優雅に僕の額へやってくる。僕は目を閉じてそれを受け入れようとした。
しかし額におとずれたのは、急激な熱感と痛みだった。
「あっつ」
堪らず額を押さえて草の上を転がった。上体を起こしたときには、あれだけ目立つ赤い蝶が消えていた。
なんだいったい……。
突然のことに混乱する余地もなく、僕は眉根を寄せて呆けるだけだった。
気付けば痛みは引いていて、僕は押さえた手を下ろした。
手のひらに血などはついておらず、不思議に思って額をなぞれば、たしかな温かみと瘢痕があるようだった。
ただし、瘢痕は小さく何かしらの模様を描いていた。心当たりのない模様だ。少なくとも記号ではなさそうで、外国の文字かもしれなかった。
まだ冷めない余熱にむず痒さを覚えつつ、僕は立ち上がって首をめぐらせる。
景色はひたすらに自然であった。
幾本もの大樹が、各々の陣地を広げんがために、土をめくり根を張っている。地表の根はさらに、苔や小さな茸に覆われており、一目だけでも起伏が激しく、滑りやすい足場とわかった。
しかし僕が立つ周辺だけは、平坦だった。根もまったく伸びてきていないどころか、避けているふうだ。
加えて、天を仰げば、果てしない蒼穹を見ることができる。
周りでは連なる木々がうっそうとした葉を身に付けているので、地上に届く陽の光はまばらだ。
明らかに普通ではない。
まるで、僕がいるこの場所だけ切り拓いたかのよう。
少し不気味に思えて、僕は目的を持たないながらも、ここを離れることにした。
いや、と僕は思いとどまる。
目的ならあるはずだ。
たしか僕には、使命があった。
病床で死のうとしていた僕がいま、夢の中にいるわけではないことなど理解している。
研ぎ澄まされた五感が、生きている何よりの証だ。
神様の言葉は本当だった。
ならば僕には、やらねばならないことがある。
神は言っていた。白い狼が滅ぼされようとしていると。
それを救うのが、僕の使命らしい。
具体的な説明はなく、どうするかもまったく教わっていない。これでは五里霧中もはなはだしい。
けれども、神様への恩は報いるべきだろう。
まずは白い狼を探すところからだ。
僕は、初めの一歩を踏み出した。
盛り上がった根に右足を下ろす。
人の声がした。
どこかで男が叫んでいる。
僕は息を潜めて、身を固くし、前方に注意を向けた。木々で遮られていてあまり遠くを窺えないが、声の元は確実に正面だった。
次いで足音が耳に入った。
それも複数だ。
走っているのか、リズムは早い。小枝を折り、草を蹴って来ているのがわかる。
もっと前がよく見えないものかと、横に動いたときだった。
少し開けた僕の視界は、駆ける小柄な白い狼の脚が矢に射られる瞬間を捉えた。
狼は甲高く鳴いて、勢いのまま大木に身体を打ち付けた。
衝突の震動が木を伝い、いくつかの木の葉を散らす。
僕は息を呑んだ。
遠くでは、男の歓声が上った。
白い狼が滅ぼされようとしている――病床で聞いた言葉が、脳裏で蘇った。
神様のお膳立てによるのか、僕はまさしく、その場面にいる。
ならば僕のするべきことは決まっていた。
狼を追いかけてきたのだろう筋骨隆々の男が、そう離れていない木の影から姿をみせた。あとに続いて漆黒の外套を被る女が現れる。
僕らが互いに目を合わせると、男は自身の背丈ほどもある大剣の柄を掴んだ。
警戒されている。
僕は生唾を喉に通した。
心臓が早鐘を打っている。汗が滲む。息が上がる。怖い、と感じた。いまにも膝が笑って、足がすくみそうだ。
これに似た感覚を、ぼくは以前にも味わったことがある。
病弱な僕はあまり学校に行けないか、あるいは保健室で休んでばかりの幽霊のような生徒だった。
好きで授業を受けていないわけではなかったのだが、僕の素行は、見方によっては不真面目と映る。
事情の知る先生なら理解していたが、何も知らない生徒は、特別扱いされる僕に不満だったらしい。特に小学生や中学生なんて時期は、暴力的であったり、あまり他人の心情を把握することができない。
僕への虐めは必然的に始まった。
忘れたことはない。虐めの事実も、虐めてきた人のことも。
僕に向けられている男と女の目は、敵意に満ちていて、目線の高さはあまり変わらないのに見下したふうでいる。
虐めをする奴と同じだ。
僕は逃げ出したいと思った。
でも、ただでは逃げない。
だってここで頑張らなければ、身体も心も弱かったときの僕と一緒じゃないか。
昔から変わりたいと願っているだけだった僕が、本当の意味で生まれ変わるのは、今しかない。
僕は走った。
白い狼の元へ。