瘡蓋を千切りとる ①
思ったよりやるなと、彼女は素直に思い直前までの評価を改めた。
次から次へと、溶かして吸収した人間から得た情報以上の道具が出てくる。
――やっぱり他の星で一番強い生物だった事は本当なんだ。
それでも、彼女は余裕を崩さずに必死で巣の中に攻め込む人間達を嗤う。
在る物を利用し、無い物を作り出す。なるほど、確かにそれはとんでもない事だ。永らくこの島の支配者であった彼女でもそんな事は出来ない。せいぜい、役割が決まっている自分の子供をたくさん産む事くらいだ。
正面からやりあっては勝てないだろう。
――なんだったけ、戦の基本は自分にとって有利な場に相手を引き込む……だっけ?
得た知識から実戦しようと彼女は用意を始める。
薄く蛍色に光る地底の底で、彼女の長く巨大な真っ白い体が蠢き部屋明かりに反射する。
歓喜に震えているのだ。
最初からこの星の頂点として生き続けて来た自分達には無かった喜び。
生まれつきの好奇心と本能が命じるままに盲目的な生態活動を繰り返して来た過去の自分とはさよならだ。
偉大な母の言いつけを破って人類を己の中に溶かし入れた事は正解だった。
これは抗い難い蜜の味だ。いや、きっと今まで欠落していた本能だ。
他者を打倒する感覚、優れた己の能力を存分に振るって得る幸福感。
勝つと言う充足感、相手を負かして得る勝利の美酒。
前回の戦いを経験して漸く自分にも解って来た。
――ああ、あああ、楽しいな愉しいな。
以前までの自分が嘘の様だ。
こんな楽しい事をずっと続けていたのか人類は。
きっと、動物として自分達は今まで不十分だったのだろう。
人類はこれが上手くて大好きだから、あんなにも強いのだろう。
――初めての戦争は、心が躍るな。
『保安部隊、小隊長のジャックです。入り口付近の敵勢力の殲滅を確認しました。2名の負傷者が出たので地表部隊に救助を要請します』
「CP了解、直ぐに手配する」
『こちら19小隊、予定ポイントのエリアe7の制圧を完了、被害無し。第3幼虫室を目指して進攻を再開する』
「CPから19小隊へ第3幼虫室の破壊が済み次第、441小隊の援護に向え。向こうの方が皿頭の数が多くて手間取っている様だ」
『了解、丁度通路の壁走りに挑戦したかった所なんだ』
司令室内部に戦場で戦う兵士達との通信が飛び交う。
部屋の中央に陣取るロックフェラーの視線は、解析された巣の3Dマップと進攻している兵達の様子がリアルタイムで追っている。
――順調ではある、か。
髭の生えていない弛んだ自分の顎をさする。
自分が立てた作戦の内容を頭の中で反復する。
『デメテル』の荷電粒子砲を主力に置いた電撃作戦だ。
本命である、蟻を生産する液体の貯蔵庫であり、巣全体の幼虫室へと液体を供給する『ポンプ』と巣の主である『ブレイン』のいる深部を目指しつつ、敵の生産工場である幼虫室を破壊する。
道中の敵は『デメテル』の荷電粒子砲で纏めて薙ぎ払い、余った敵を各小隊が殲滅させ空になった幼虫室から新しい増援が出る前に手早く破壊し後方の安全を上げていく。
要は道中の幼虫室から出て来るであろう増援も想定した、火力任せのごり押しである。
数が劣っている状態で敵の本陣を攻め落とさなければいけない以上、強引に攻め込んでの短期決戦を狙うしかない。
3Dマップで兵士達が以前「トム軍曹」を離した広間まで到達する。
ここから先は道幅が広くなり、部屋の数が奥になって行くに連れて少なくっている。
最下層には大きな広間が一つと、その空間の真上に一回り小さい空間が地図に表示されている。その場所が『ポンプ』と『ブレイン』だ。
今の進軍速度なら10分掛かるかどうかと言った所だろう。
念のための対策はさせてある。後はその読みが当たる事を祈るべきか。
祈る、そんな言葉が自分の脳裏に横切った事にロックフェラーは僅かに口の端を釣り上げた。
地球を食い潰して他の星で再びかつての栄光を取り戻さんとする。そんな、生き汚い動物を救おうとする神などいるものか。
「ふっ……ずいぶんと安いな、私も……祈るより、信じねば」
今もあの場で命を賭けている戦士達を。
巣の奥へと目指す激しい進撃を繰り返す傍ら、気がつけば前回の任務で辿り着いた広間まで到達していた。
解ってはいたがこの場で戦死した2人の亡骸は何処にもない。
そしてその空間をあっと言う間に通り過ぎる。
辺りには蟻の死骸が散乱しているが、どれも道の真ん中を譲る様な形で隅に追いやられている。
否、隅にしか残らないのだ。
先頭で絶えず繰り返され混ざる斬撃と銃撃の音に合わさって、一定の間隔で荷電粒子砲の光が走り、轟音が追いかける。
先陣を切り開いていく『オーガ』と『モノノフ』へ、後方のミレーユは支援攻撃で彼らの死角に迫る蟻を排除して行く。
――我ながら、慣れて来ましたね。
一瞬一秒の刹那にも思える命の応酬に身を置いて、落ち着いて動き始めている自分の姿を両親が見たらどう思うだろうか。
父も母も争いや血生臭い事からは縁遠い人間だ、娘が人外を相手にしている戦場で何食わぬ顔で引き金を引いている様子を見たらきっと泡を吹くだろう。
自分達が騙されと解るまで人を信じ続けたお人好しな人達だ、きっとそうに違いない。
『本当に……甘い人達……』
両親への想いを弾丸に込めて、手負いだった兵隊蟻の頭部を爆ぜさせる。
誰かが止めを刺し忘れたのだろう。
『おい、誰だ! ミレーユさんにフォローして貰った上に罵倒して貰えたヤツは!? 誰も名乗らないなら俺って事にしていいか!』
『ふざけんな! 俺に決まってんだろ!? そう言う事にして下さい!』
いやいや、実は、と我先にと周囲の隊員達が蟻を殺傷しながら責任の奪い合いを始めている。
そんな彼らのやり取りを見てミレーユの口元が僅かに綻ぶ。
『ふふ、可愛い人達』
そう小さく呟くと小馬鹿にしつつも色気と品の混じった笑顔を静かに浮かべる。
『え、今ミレーユさんに凄く素敵な事を言って貰えた気がするのですが! ついでに素敵な笑顔を見たのですが!』
『目の錯覚ですよ――気を抜いたら駄目ですよ、皆さん。馬鹿な事してたら簡単に足元を掬われますからね?』
『了解! この任務が終わったらまた一緒に食事をしましょう!』
『構いませんけど、安くは無いですよ?』
『前回ので身を持って知っています!』
『解ってて誘うなんて……本当にみなさん物好きですね』
――まあ、そう言う自分も大概に可笑しいか。
ミレーユは心の瘡蓋を一撫ですると意識を目先の現実へと切り替えていく。
戦場で響き渡る銃撃のマーチにミレーユの音も加わって行く。
その様をどこか羨ましそうに、最後方からベルサは視線を追いかける。
思わず零れた仕草をベルサの傍で護衛についている『モノノフ』が拾い上げた。
『気にするな、ベルサちゃん。君が戦わないのはオジちゃん達みんなの我がままだ』
『……射撃下手な上に……運動音痴で、ごめんなさい』
『子供が大人に負い目を感じなくていいさ、武器の扱いなんてそれしか取り柄が無い俺達に任せればいい』
『はい……私、自分の出来る範囲で、頑張り、ます!』
鼻息を吐きながらベルサが意気込む。
ベルサは、自分に与えらている役割はいざと言う時の為の保険だと理解している。
もしかしたら、出番なんて無いかもしれない。役立たずのままで終わるかもしれない。
しかしそれでも構わない。自分の出番が無いと言う事は、心配が杞憂で終わると言う事だ。
そして、必要な時がくれば迷わず、自分に出来るありったけの事をしよう。
戦場で覚悟を固めた場違いな少女は必死で兵士達の背を追いかける。
ベルサの護衛を勤めている隊長機の『モノノフ』がその姿を誇る様に傍で見やる。
部下の『モノノフ』がベルサには聴こえない様に通信をかけて来た。
『なんか、明るくなりましたよね、ベルサちゃん』
『寂しいか?』
『まさか、あんな笑顔でクッキー貰って嬉しくない訳が無いですよ!? 一つは永久保存に! もう一つは観賞用に! 更にもう一つは毎日少しづつ削って舐めて味わいに味わってから食べていますよ!!』
『キモイなお前』
『いやー……その道のプロですから。――ベルサちゃんが俺達から離れちゃう前にちゃんと楽しんで置かないと、泣いちゃいそうです』
『そう、だな……』
生意気な部下の返事に納得しつつ、隊長機の『モノノフ』が頷く。
――子供の成長していく様子は、見ていて嬉しいよなあ。
『よーし、オジちゃん、ベルサちゃんにカッコイイ所見せる為に頑張っちゃうぞお!!』
喜びを噛み締めながらアサルトライフルを前方の蟻の海へと突きつけ、トリガーを引き続ける。
銃撃が命中し、怯んだ兵隊蟻を前方の『ソルジャー』が薙刀型の『ネネキリマル』で下から掬う様に突き刺し、串刺にして切り裂いた。
その隙間を『オーガ』が雄叫びと共に突貫し、切り崩した空間を『デメテル』の荷電粒子砲が薙ぎ払う。
原始的な数の暴力は英知の暴力で押し潰して壮絶なワイルドハントの嵐を作り上げる。
『俺達442小隊はここから別行動だ! エメリちゃん泣かすんじゃねえぞ、コウタロウ!! 武運を祈ってやる!!』
『元隊長殿もお気をつけて! みんなも無駄弾撃つなよ!!』
『お前ほど射撃は雑じゃねえよ! リップ・オフで会おう』
止む事無く続いた快進撃は巣の奥に進む度に他の小隊が幼虫室破壊の為に抜けて行き、遂には特務部隊だけになる。
山と築き上げられた蟻の死骸を他所に隊員達が『デメテル』から最後に残った補給を使い切っていく。
特務部隊の眼前には上下緩やかになって別れた道がある。
この先のそれぞれの道に『ポンプ』と『ブレイン』がある筈だ。
ダビットとエイブラム率いる『ソルジャー』の部隊が『ポンプ』を、ユーリーが率いる『モノノフ』と『デメテル』が『ブレイン』の攻略を目指す。
ここに来て急に途絶えた敵の攻撃、薄ら寒い静寂の中に各々が顔を合わせる。
『道中で負傷して外れた面子を除いて24人か。意外と残ってるなあ』
エイブラムがこれから遊びにでも行く様な気軽さで口火を切り、イーニアスが何時も通りに続く。
『と言うか、まだ誰も死んでないって事が凄いと思いますよ』
『前回のが死に過ぎたんだよ、こっちがペースを握ってれば簡単には殺られないさ』
『それフラグじゃないですかー……隊長、いざって時はカッコイイところ見せて下さいね、俺、ちゃんと後に伝え続けて行きますから』
『……イーニアス、お前最近俺に冷たくなってないか?』
『いや、俺独り身じゃないから死にたく――とうわっ危な!?』
エイブラムの鋼の拳骨をイーニアスが寸前で避けた。
『お、俺……緊張して来た……』
『しっかりしなさいよ、ウィル! 帰ってトランの返事を聴くんでしょ?』
『や、了解! 弱気になってる時じゃなかったっすよねアティの姐さん!』
『姐さんって……緊張し過ぎでキャラ可笑しくなってない、あんた?』
ここに来ても何時も通り、間の抜けたやり取りが止まぬ仲間達にコウタロウは一心地をつく。
『何と言うか、作戦始まってから俺叫んでばっかりだった気がする……REC21の弾、凄い余ってるんだが……』
『ずっと斧振ってたもんね……もう一踏ん張り、行けるよね?』
『ああ』
寄り掛かる『オーガ』を『デメテル』は迎え入れる。
『何にせよ、みんな、後少しだ。激しい戦闘が続き、敵も不気味な程に静寂している。きっと何か起きるだろう……最悪の事態が起きるかもしれん――だが、絶対に必ず手に入れるぞ、この島を、この星を、俺達が望んでいる未来を。何てたって、ここに居るのは欲深くて諦めの悪い連中ばかりだからな。そうだろ、みんな?』
ユーリーの言に全員が頷く。
過去を取り戻したい者、土地が欲しい者、己の子供が欲しい者、後悔に身を引きずらせながら今日までもがき続けて来た者。
その誰もが諦め切れない一心でこの地の底まで辿り着いた。
コウタロウは想う、ここまで来れば出し惜しみは無しだ。死力を尽くしてでも取り戻すと。
『よし、それじゃあ、そろそろ行こうぜ……』
先に行こうとするダビット達の背中へユーリーが手を伸ばす。
『ダビット、息子に言いたい事は決めてあるんだろ?』
『自分で伝えられるように頑張るさ……ああ、でも一応……』
『俺は聞かんぞ、ちゃんと自分で言えるようにしろ』
そっけないユーリーの一言に目を丸くするとダビットは『ソルジャー』の内側で微笑を浮かべる。
ユーリーは間髪を入れずに最後の命令を下す。
『特務部隊隊長、ユーリー二等准尉が各隊員に命ずる――全力を尽くして勝ち残れ!! この戦いで俺達が手に入れるのは血塗られた英名などではない! 手に入れるのは人工ではない本当の陽を! 草木生い茂る風の匂いを! 生命に彩られたこの惑星だ!! ――総員、突撃!!』
『了解!』
総勢24名の誰もが振り返らずに、先の見えない暗闇への最後の進軍を始めた。
暗闇の先は何も答えず、兵士達を飲み込み続けた。
――どれくらい潜っただろうか。
『ブレイン』が先に居るであろう通路は今までと異なり、蛍色の光をどこまで進もうとも見える事は無く、暗視モードによって浮き上がり続けるのは変わり映えの無い回廊だ。
『オーガ』のヘルメットに表示されている3Dマップとナビゲーションシステムが示して来る進行状況が解らなければ不安に押し潰されそうだ。
先頭に立って先行するコウタロウが沈黙に耐えかね、その暗闇の有様にぼやく。
『本当に何も見えないな……』
『案外、辿り着いた先は地底世界かもな』
珍しくベニーがコウタロウへ冗談を投げ掛ける。
『あー……何かそれ知ってるぞ。嵐のある海が在ったり、絶滅した筈の生き物が地底深くの森の中で襲って来て卵植えつけて来るんだろ?』
『コウちゃん、私とこの前見た映画と混ざってるよ、それ』
『あれ――そうだったけ……っ!?』
『コウタロウ、どうした?』
コウタロウの息を飲み込んだ音にユーリーが即座に聞き返す。コウタロウは視線を目の間に向けたままだ。
『明かりが――見えました』
『よし、一気に仕掛けるぞ。相手が反応する前に撃破する。各員、射線と位置を徹底しろ。エメリ、念の為に後方に下がって荷電粒子砲のチャージを、残ったエネルギーを撃ち尽くしても構わない。ヘンリー教授には悪いがサンプル採取は諦めて貰う』
『了解』
『カウント始めるぞ、5……4……3』
コウタロウは静かに深呼吸を済ませ、飛び込みと同時にアサルトライフルを速射出来る様に抱えた。
――やれるさ、きっと。
『2……1……0!』
『オーガ』がホバーによるスタートダッシュを切った。
通路の先から見えた微かな光は曲がり道を進む度に徐々に光度を増して行き、コウタロウも速度を上げて行く。
通路の終わりが見え、光の先へと躍り出た。
辿り着いた先の光景の異形さにコウタロウの心音が跳ね上がる。
『なっ……なんだよ……なんなんだよ!! これは!?』
コウタロウを出迎えた光景は駐屯地で見せられた、子供達が閉じ込められた異質な空間では無かった。
蛍色の明かりに包まれた空間はどこにも無く、そこに在るのは果ての無い黄昏に染め上げられた町並み。一軒家の庭には、あの日潰されたトマトが赤々しく実を付けている。
忘れようの無い、15年前に失った自分の生まれ育った筈の故郷だった。
破壊し尽くされた筈の小奇麗な補填された道路の先には、夕陽の影に包まれた小さな影が待ち侘びた様にコウタロウの目の前に立っている。
『うそ、だろ……?』
「待ち侘びたよ、コウタロウ。聴きたい事、知りたい事、沢山あるんだ」
捕らわれていた筈の幼馴染――エミリが当時の姿のまま、困惑する『オーガ』を笑顔で出迎えた。




