第7話 「10月のある日」
この文章を読んでくださる方に感謝を届けます。
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骨髄バンクから再び橙色の封筒が届いた時、僕は妻の実家に住まわせてもらっていた。
妻は僕の中学の同級生で、実家同士が近く、お互いの仕事の為にも非常に良い立地であったし、 体があまり強くない義母と、年老いた大型犬を一戸建てに残して家を出るのは忍びないという妻の想いを尊重し、貸しスペースとして設計されていた妻の実家の一室をお借りし、僕達はそこで新婚生活を送っていた。
妻は僕が一度骨髄を提供する機会を失し、無念に打ちひしがれた事を知っていたので、心配しながらも、賛成してくれた。義母は他人に尽くすことに素直な喜びを感じられる性格の方で、僕の行いに快く賛同してくれた。
実家の両親は僕の喘息を幼い頃から見ているので、やはり強い心配を抱いていたが、僕の気持ちを伝えると、奥さんが賛同してくれているなら、お前の望むようにしなさい、と言ってくれた。
アンケート用紙に、連絡先や検査の為の通院が可能な日時、入院の為の病院はどの地域まで可能か(通常骨髄提供の際には3泊4日程入院すると説明書にはあった)、最近の健康状態、通院・入院・服薬歴等を記入し、祈る気持ちで投函した。
数日後、前回のようにコーディネーターさんから僕の携帯電話に連絡が来た。
骨髄移植手術の前には8回ほど通院し、健康診断や自分への輸血の為の採血を行うので、それらが可能な設備やお医者さんがいて、かつ僕にとって通い易い病院を選ぶ必要があった。
僕は予めアンケートに希望の地域を記入しており、その中からある都内の病院が提案された。
僕は妻に相談し、協力を願い、コーディネーターさんに、その都内の病院で都合が合う事、何曜日であれば伺えるかと言う事を連絡し、僕とコーディネーターさんとの最初の顔合わせの日が決まった。
やっと、第一歩を歩み出す事が出来た安堵と興奮で、僕の胸は高鳴った。
コーディネーターさんとの電話から2週間後、僕はこれから何度か足を運ぶだろう病院に向かった。
ようやく涼しくなり始めた10月のある日の事だった。