ザ・ストロング・ヘッド(拝啓、石頭)
2年ぶりに書いた。
その日、僕は遺跡調査ツアーに動員されていた。
大学の歴史学部は考古学専攻のゼミを選択している僕は、その界隈ではそこそこ名の知られた教授に言われるまま、ホイホイと群馬の山奥まで足を運んだわけである。
「凄いよ君ィ。類を見ないよこれ君ィ。研究者たるもの拙速な判断は誉められたものではないが、これはさすがの私も期待してしまうよ君ィ。」
そろそろ還暦を越えたはずの教授は、年甲斐もなく少年のように目を輝かせながら、せかせかと足を進めている。足元は良いとは言えないが、その足取りは淀みなく、むしろ弾んでいる。
悪い人ではない。博学だし、エスプリの利いた人間的な魅力もあるが、やはりこの手の人種の例に漏れず、熱中すると周りが見えなくなるタイプである。
とは言え、教授の気持ちもわからないではない。僕は目の前に広がる遺跡群に目をやりながら、そんなことを思う。
人の立ち入らぬ深い山奥、渓谷部のその更に底に、この遺跡はあった。
今まで発見されなかった理由も推して知れるほどに、ここは手付かずの場所だった。
偶々偶然奇跡的な確率で地元のやんちゃ少年(14歳、勇者志望)が遭難しなければ、この谷底に先史時代の未知の遺跡があることなど、後世知られることはなかったに違いない。
「教授、基礎調査はどうします?」
「うむ、今すぐにでも取り掛かりたいが、今日はもう無理だろう君ィ。資材も時間もない。ただ帰るのも悔しいので、本日は多少の資料採集に留めようか君ィ。」
この遺跡に辿り着いたのは、もう日も暮れる今しがた、つい先程のことだ。
何しろえらく面倒な立地である。
関東圏にまだこんな場所があったのかと疑いたくなるほどに入り組んだ山中を、更に谷底に下り、その絶壁の下から三分辺りに空いたひっそりとした横穴の奥底である。
我ながらよくもまぁここまでこれたものだと思い返す。日本のインディアナJr.と称される教授の機知あっての強行軍だった。
「私は入り口の紋様を少し調べたくてね君ィ。四方木君はその通路、ほら、右奥のだ。そこにある壁面を調べてくれたまえ君ィ。」
教授の指示に従い、僕は薄暗い通路を慎重に進んだ。とは言え大して距離はない。入り口から奥に向けて多層構造になっていると目されるこの手の遺跡においては、最も浅い部分が現在地だ。
少しばかり進んだとて、我が相棒のランタンの光は頼もしいくらいに眩しいままだ。腰のポーチから刷毛やルーペを取り出しつつ、僕は壁際に腰を下ろした。
「しかし、見れば見るほど見たこともない……」
思わず一人ごちる。
僕とて、教授に引っ付いてそれなりに場数は踏んできたのだか、今目にしている文面にはそんな僕の知識は一切通用しないようだ。
文面。そう言えるのは、それらが何らかの記号的なシンボルであり、文書めいて羅列されているからに過ぎない。
信憑性がの欠片もなかった14歳、勇者(仮)氏曰く「あの遺跡は旧時代の遺産であり、神話以前のオーパーツ」という発言に、思わぬ説得力が垣間見えてきたのかもしれない。
まぁ、そんな与太話は置いておこう。
実のところ、僕もそれなりにテンションは上がっていた。
生来の性格と、探検の疲労からそこまで浮かれてはいないが、心のどこかではこれらが世紀の大発見になりうるのではないかと仄かに期待しているのも事実。
僕は改めて壁面に目をやる。
遺跡は洞窟状で、カモフラージュされたような入り口には、何かのシンボルじみた紋様。
天井の低い半円形の通路の奥に、扉めいた壁面。そこにずらりと描かれたおびただしき文字らしきもの。
これらがまったくの未知の部族、民族における文化、あるいは既知に隠された未発見の産物であるならば……成る程、疲れた身体に力が満ちてくる。
僕だって考古学マニアの端くれだ。ここには確かにロマンがある。それを感じ取れないほどの不感症ではない。
高揚と緊張が入り交じり、乾いてきた唇をぺろりと一つ舐める。
集中が必要だ。
「どれどれ……?」
ゆっくりと、微に入り細を穿つ手付きで、そうっと、刷毛を動かし、土埃や汚れを払う。間違って傷一つ付けようものなら顰蹙ものだ。
僕は慎重に作業を続ける。
やがてはっきりと、文字の形が浮き上がってきた。やはり見たこともなければ、類似型にも思い当たるものはない。
まるで産まれて初めてペンを持った赤ん坊が、適当に書きなぐった落書きのような、それでいて秘められた文明の薫りを感じさせる、神秘的な書体。
こいつは、今日中にはどうこうできないような大物だ。
「……ふェー」
顔を上げ、ここで一つ息を吐く。どうやら思った以上に力んでいたのか、口から漏れたのは珍妙な音になった。
この旅に際しあらかじめ切ってきたはずだが、それでも、汗ばんだ髪が額に張り付いてくる。
無造作に袖で拭い、気を取り直す。
身動ぎが伝わったのか、壁面からパラリと砂埃がこぼれ落ちた。
取り敢えず、浮かんできた文字の形ををスケッチしよう。
僕は背負っていたバックパックのサイドポケットから筆記具を取りだし、もう一度壁面に向かい合う。
と。
「ん?」
妙だ。
目を離したのはほんの一瞬だが、先程と何かがかが違う気がした。
何だ。
何が変わった。
何が違う?
「……ナニだ…!」
なんということでしょう。
先程までは平らだった壁面に、突如として意味深な棒状の物体が生えているではありませんか。
雄大なる岩の質感を感じさせる太古の壁面に、違和感ありまくりの黒々とした棒状の物体。その黒々としたてかり具合は、あらゆる人の目を釘付けにしてやみません。 20センチほどの御立派な棒は、ある種の神々しさを放っています……。
「なんだこれ…黒曜石かな?」
先程の落ちた砂埃がこれを隠していたのか? しかし、いくら僕の意識が文字列に向いていたとは言え、こんなものを見逃すものか?
釈然としないまま、僕は嵌めていた軍手を外し、薄絹の白手袋に変えた。
黒曜石だとして、形状からしてもこれは完全な加工品だ。それも、高度な技術力を感じさせる、人の知恵の産物だ。
ドクドクと心臓が高鳴る。柄にもなく、やはり高揚感。
僕を照らす古代以前の文明の残照が、より大きくなってゆく。
大発見か? 教授を呼ぶのが先か……?
いや。何故だ。
これから目が離せない。
僕はある衝動に駆られた。
迂闊かもしれないが、僕は、それに手を伸ばした。
手袋におおわれた指先が、艶やかな棒の表面を 撫でる……。
予想以上に滑らかだ。
やはり、これは凄く高度な。
その時。
《触れたな》
「え?」
声だ。
《触れおったな》
「何?」
声? 誰の? どこから?
《餓鬼かよ。それも……好都合なり!》
「何を……!?」
その時、僕は言葉にし難い、口舌を尽くしてなお余りある衝撃を指先から感じ……それは一直線に僕の心臓を襲った。
痛み。尋常ではない。
経験したことのない。未知の。
実体すらあるような<衝撃>。
<それ>が何なのか、理由はわからないが、或いは理由なんて無かったのかもしれないが、僕はその一瞬で理解した。
理解して、耐え兼ねて声に出して、絶叫した。
「ぐわーっ!? 呪い!! ぐわーっ!? 」
少なくともあと3話は続く。