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三、合わせ鏡

 此処最近、空気が悪い。

「空気悪いっすねー」

「お前が言うか」

「あ、俺コーヒー下さい」

「あ、私コーヒー下さい」

 ユニゾンで響いたふたつの声に、げんなりした。

 準備室に置いている持参したコーヒーに目ざとく気付いたのか要求する瓜二つの生徒に苛立ちを覚えつつ、紙コップにコーヒーを出来るだけ少量ずつ注ぐ。

 どうしてこうなったのか。

 何処から運ばれてきたのか、所在なさげに置かれた鏡を新たな住人とした準備室で涎を垂らしながらだらしなく寝ていた男子生徒を捕まえた――正確には起こしてどかしたのだが――時が全て悪かった気がする。学校では、そういった素行には新しく赴任した学校であろうと厳しく指導する事にしていた。

『名前とクラスは?』

『名前は垂です』

『本当に名前だけ答えるな。苗字は?』

『苗字ですか。一応これしかないんですよー。由来は確か、…垂鏡私無し、だったかと。って言うか、ぶっちゃけ生徒じゃないんですよ反田先生』

『――は?』 

『いやあ、俺も[障/さわ]りの無い状態で見える方に出会ったのは初めてです。なんか霊的なものに関わっていた家系の方なんですかね』

 えへへ、と笑う生徒でない生徒の指摘は皮肉にも的を射ていた。

 反田の家系は古きを遡れば陰陽師の家系だったらしいが、そんなに力があるわけではなかった様だ。大した武勇伝もなく、さっさと廃業したと祖父は説明書でも読む浅さで語ってくれた。が、その家系の筋は今も残っている様で、それがたまたま反田に[顕現/けんげん]したらしい。

 見えると解った時、家族に意を決して告白したが、地方から取り寄せたという幻の[沢庵/たくあん]を食す音に掻き消されてしまった。

 そんな家族の反応と同じ様に、見えても何かがあることは無かった。見えても向こうは向こうで此方を意識していない様で何もしてこない。そんな感じで高校までを過ごし、少しだけ緊張しつつ田舎を出て大学へ行ったが、其処でも大して変わらなかった。

「何にも無いほうがいいですよー。怪奇に関わると本当[碌/ろく]な事が無いですから」

 女子生徒の方こと韻が反田の心情を読んだかの様に的確に告げる。

「今現在進行形で絡まれているがな」

「嫌だなぁ、私たちこの学校で作用できる怪奇じゃないんで」

「そうそう!おっきな鏡もありますけど使われてないですし、割られるのも勘弁ですし。あれ大変なんですよ。こっちの顔も滅茶苦茶になっちゃって」

「それでいいのか…」

 努めて軽薄な受け答えに、反田はしなくてもいい頭痛がしそうになった。反田が副担任としているクラスはまだ温和な方だが、それでも小さな問題はある。余計な悩みを抱えたくは無い。

(それに、嫌な事も聞いたしな)

 中学校部二年担任副担任を受け持つ付き合いで飲み行った時に、小学校部の方でややこしい問題が発生していると小耳に挟んだ。

 いわゆるちょっとした[小競/こぜ]り合いから[歪/ひず]んで発展したいじめだ。それもいくつかに飛び火している様で、じわじわと規模が広がっているらしい。一応いじめの対象の少女は保健室登校という形で無理矢理収束させている様だが、今はメールや掲示板もある。実際の収束とはまた違い、相当根は深く暗く、そして未だ広がっているだろう。

 ――怖いのは、成長途中で精神もまた不安定になりがちな中学生にそれの影響が障らないかという事だ。

「まあ、いいんです。…俺らも消えたくはないんで。転職なんて幾らでもしますよ。この噂屋も結構愉しいですよ。前みたいに鏡に篭ってなくっていいんで。制服もたくさん着れるし」

 その言葉は今まで聞いたことのない声音で真摯なものだったが、どうしても引っかかって仕方なかった。

「中学の制服で転職とか言うなよ。げんなりする」

「夢と希望の安定職なのに、何をおっしゃるんですかぁー」

 うらやましいです、と付け加える韻に、怪奇とか言ってる割にコーヒーなんて飲めるのかと突っ込みたかったが、『そういうものなので』とか適当な答えを返されそうで辞めた。

「あー空気悪いですねー」

「雨だから仕方無いだろ。窓も開けられない」

「いや、嵐がやってきそうで」

 窓の外を眺め、意味深に告げる言葉の意味は、解らなかった。


※※※


「反田先生、日誌持って来ました」

 篭った空気の漂う職員室で珍しく自分の名を呼ばれた。溶け入りそうな声音だが、鼓膜にするりと入りこみ、弾かれた様に顔を挙げる。そういえば担任が半休を取って、日誌の受け取りを任されたのを鈍った思考の端で見つける。

(…今日は普通だな)

 そう反田は日誌を受け取る時にちらりと見やった姿からそう結論した。衣替えで目にする事が多くなった半袖のシャツにベストという出で立ちをしている。

 この[翁長塞爾/おながさえじ]という生徒は実に珍妙だ。話を聞けば、小学校低学年からそうだったという。

 頻発して時季の反転した格好をしたり、亀の様に緩慢な動きをする。然し、ふざけているとか目立ちたがり屋故の行動でないのは、翁長を見てまだ日の浅い反田でも解る。

 だからこそ、件の飛び火が万が一訪れた場合、真っ先に獲物にされそうなのだと微かな不安の種を持っている。なんだかんだで学級委員長として馴染んではいるし、最近は同じクラスの土屋と良く一緒にいると担任がほっとした様に話していたので、杞憂に過ぎないと自身で浮かべた問題を片付けることにした。

「ああ、もう翁長か」

「いやあ、回ってくるの早いですね。ついこの前やったと思ったのに」

 まだ身体は成長期の最中であるにも関わらず、幼さを残しつつも妙に大人びた笑い方をする翁長に何か違和感を抱きはするが、踏み入る事でもないだろう。

「遅くまで悪かったな。帰り、気をつけろよ」

「先生、そういうの女子に言うべきじゃないですか。俺、男なんで大丈夫ですよ」

「最近、通り魔みたいなのがこの辺りでも出ているってホームルームで言われなかったか?」

「ああ、…そんな事もありましたね。あ、妹にはもっかい言っとかないと!先生有難う御座います」

 虚空に視線を彷徨わせた翁長に全く聞いていなかったんだろうなと反田はすぐさま憶測で結論付けた。まあ、このくらいの年齢の反田も至極真面目に教師の話を聞いていたわけでもないので、偉そうな事はいえないが。

 それにしても、妹に関連しそうな事になると突然水を得た魚の様になる。

(だけれど、だったらなんでだろうな…)

 確か翁長は両親とではなく、母方の祖父母と暮らしている筈だ。再婚関係だったと思うが、彼は彼なりに複雑な気持ちを整理出来ていないのだろう。

「最近空気悪いですねー」

 あの自称怪奇たちと同じ事を言い始めたのでぎょっとした。まるで見ていたのだろうかと疑う程のタイミングで、思わずいぶかしんだ視線を送ってしまう。

「雨だからな。改築されたとはいえ、空気は篭る。頭が重くなるな」

「ですね。早く晴れて欲しいです」

 鉛の様な分厚い雲が覆う窓の外に遠い視線を送り、翁長は誰ともなく呟いた。



 暫し、雨が止む気配は無い様だ。


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