中編 そのいち
中編を分けるという暴挙
天女と見紛う青年は、稀にみる変態だった。
最初から既に良い印象はなかったけれども、実際に悪夢が始まったのは、次の日から。
そしてそれは、半年が経過した今も続いていた。
「リンカ、何処へ行くのですか?」
「う、うっさいこっち来るな変態!・・・・・・ぃいいやだぁああサイラスー!助けてーっ」
「・・・またやってるのかお前ら・・・」
美青年2人組に保護されて後。
現在は最初に会った美青年の館に住まわせてもらっている。
保護されるにあたって、どちらが引き取るのかというところで一悶着あったが、おおむね平和な日々を過ごしている・・・はずだった。
だった、というのは、衣食住を与えられて何不自由ない生活を送っているのに、今は心労ばかりが日々募って、そのうち爆発してしまうのではないかと思ったりもするのだ。
それの最大で唯一の原因は、初日に出会った変態が、何をとち狂ったか毎日会いに来ることである。
会いに来るだけならまだしも、その際に非常に構ってくるのが問題なのだ。
初対面から良い印象を持たなかったこともあり、彼に会うと恐怖心ばかりが前面に出てしまうようになり、今では変態として認識してしまう始末である。
後から考えても、彼の言動は美人が台無しというか、もはや残念すぎて観賞用にもなりはしない。
そしてこちらとしては遭う度に虚勢を張るのだが、如何せん、追われると本能的にこのド変態に対して恐怖心が湧く。
それはもう理性など木端微塵となるくらいの勢いで。
そうして数秒も持たずに、今の庇護者であるサイラスに泣きつくのが常となった。
今日も与えられた部屋で大人しくしていた所に変態が現れ、慌てて逃げ出してきたのだ。
仕事部屋である執務室に飛び込んできた2人の人間を見て、精悍な顔立ちの青年が嘆く様に溜息を吐く。
立ち上った己の腰に張り付くようにしがみ付いた少女の頭を撫でてやりながら、どうにも仕事が手に着かないと密かに嘆息した。
「サイラス、リンカをこちらへ寄こしてください。
あなたばかりずるいでしょう、毎日毎日一緒に居る癖に今もそんなにひっついて」
「・・き、気持ち悪い・・!言ってることが気持ち悪いよっ」
「ダメに決まってんだろ、いい加減にしろカナン」
「リンカ、こちらへおいでなさい、たまにはいいでしょう」
「良いわけあるかっ!帰ればかっ変態!」
「・・・やれやれ」
サイラスを間に挟んで、おいで・嫌だ・おいで・無理の応酬が続く。
ちなみにリンカが当初拙いながらも使っていた敬語は、カナンを前に初日でかなぐり捨てる破目となり、ついでとばかりにサイラスからは敬語そのものを禁じられている。
背の高いサイラスの陰に完全に隠れながら、リンカは目に涙を浮かべつつも必死にカナンの魔の手から逃げていた。
しかし、実はそういう姿を見せるからこの変態が調子づくということを、本人だけが知らない。
サイラスは棒立ちになったまま、ぐるぐると自分の周りを回る2人を暫し眺めた。
毎日毎日、飽きないことだと嘆息を零す。
本来サイラスもカナンもそう暇な立場に居るわけではないのだが、カナンはそのようなことちらりとも窺わせることもなく、毎日リンカを訪ねて来ていた。
その度に仕事中であるサイラスまで巻き込まれるのは、最早恒例のこととなりつつある。
仕事を滞りなく終わらせて、たまにはリンカを町へ連れて行ってやりたいなどと、カナンの前では口が裂けても言えないことであるが。
「いやぁあああああっさ、サイラスーーーー!!」
ついにカナンに捕まってしまったリンカが、泣き叫ぶようにサイラスを求めて手を伸ばす。
カナンに後ろから抱き上げられた形のままなので、いつものことながら、それはまるで子が親と引き離されたかのような光景に見えた。
サイラスは内心で頭を抱えながら、リンカが必死に伸ばす手をきゅっと握ってやる。
そうするだけで安堵するように肩の力が抜けるのだから、サイラスとしても最近拾ったこの少女が可愛くてたまらない。
例えその背後で親友と思っていた男が悪鬼羅刹のような形相でこちらを睨み据えていても、その価値はあると思う。
「サイラス、その手を放しなさい」
「放していいのか?リンカがこれ以上ないってくらい泣くぞ」
「やっやだやだやだ!サイラス放しちゃやだー!カナンは放せ変態っ!!」
サイラスの言葉を聞いて本気で嫌がるリンカを切なげに見つめると、カナンは名残惜しげに解放した。
その囲う手が離れた瞬間にサイラスへと飛び込んでいく姿を見つめつつ、心底悔しげに唇を噛む。
己が親友ながら、どこをどう間違ったのかと、サイラスはリンカを難なく受け止めながら思った。
サイラスの男性的な美しさとはまた違って、カナンは女性のような美しさを持つ。
それに今まで国中の老若男女が籠絡されて来たのだが、今のカナンの姿を彼らが見たらどう思うことだろう。
1人の少女に執着するだけならまだしも、すげなく袖にされているこの様を。
むしろ盛大に拒絶されているこの情けない有様は、誰にも見せられないとさえ思う。
「カナン、毎日来てるが仕事はどうしてるんだ?」
しがみ付いたあとにめそめそ泣き出したリンカをあやしながら、サイラスがカナンへと問いかける。
その光景を歯噛みしながら見つめていたカナンは、けろっとした顔で返答した。
「勿論、本日の分は終わらせてきましたよ。
流石に仕事を放棄してきたら、リンカは顔も合わせてくれなくなりますからね」
「当たり前だっつの!てゆーか来なくていい!ほんとに来なくていいからっ」
「・・・流石というべきか、その理由に悲しむべきか・・・」
仕事をせずに来たら、リンカに嫌われる。
そんなくだらない理由でも、きちんと仕事を終わらせてくる辺り、この男は非常に有能なのだ。
卓上の業務が主である彼は自身の仕事の早さは勿論、人の使い方も心得ている。
サイラスは基本的に武官としての面が強い為、その業務内容はカナンとは異なる。
警備の統括も一手に引き受けているので、書類整理以外にも仕事があり、あまり身体が空かなかったりするのだ。
しかし、カナンとてその有能さ故に、任されている仕事は常人よりも格段に多いはずである。
それを半日でこなしてしまうところが、得体の知れなさを醸し出しているのかもしれない。
ちなみに明日の分に手を伸ばさないのは、単にやることがなくなるとそれはそれで周りが迷惑を被ることが多々ある為、カナンの部下達が制限を設けている為である。
自己防衛でもあるその牽制が涙を誘った。
「サイラスはまだ仕事があるのでしょう?
邪魔してはいけませんから、リンカはこちらへおいでなさい。
私と一緒に遊びましょう」
「・・うっ・・い、・・」
こんな言い方をされて断れる人間はカナンぐらいかもしれない。
サイラスの腰にへばりついたリンカが、それでも明確に否とは言えずに、せめてもと首を横に振る。
仕事の邪魔をしたくはないが、それでもカナンと共に行くのは嫌らしい。
これは相当嫌われてるな、とサイラスは苦笑を零した。
「リンカ、今日はティラが来ると言っていた。
カナンとティラと街へ行ってきたらどうだ?
こちらへ来て以来、まだ外に出たことがなかっただろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・行く」
相当な沈黙を経て、リンカがこくりと頷いた。
内心で様々な葛藤があっただろうことを思うと、彼女は随分我慢する性質らしい。
もう少し我儘を言ってくれると嬉しいのだがなどと思いつつも、自分から言ってくれるようになるのを待つつもりでいるので、口には出さなかった。
一度、腰に縋る腕にきゅっと力を入れたあと、すごすごと手を放した少女に、思わず庇護欲をそそられて頭を撫でる。
なんだこの可愛いいきものは、とは思っても口には出さない。
そうしてしまえば、カナンと同類になってしまう危険性があるからだ。
今ここで周り全てが敵となってしまえばこの少女の精神が危うくなることも有り得る。
虚勢を張れるくらいには勝気なようだが、それも吹けば飛ぶような脆さしかないことは既に知っている。
これ以上の負荷は避けるべきだ。
「・・ごめんなさい、サイラス。お仕事頑張ってね」
見るからにしょんぼりしながらの言葉に、ぎゅうっと心臓が締め付けられるような心地になる。
込み上げる衝動のままに頭を撫でると、リンカは頬を薄く朱に染め小さく微笑んだ。
非常に愛らしい笑みであるが、背後から絶対零度の寒気に襲われて、渋々ながら手を放す。
友人のこの溺愛ぶりには負けるが、サイラスとてリンカを猫可愛がりしているのは自覚していた。
正直に言えば今回のことだって自分が行けないことがものすごく残念なのである。
しかしそこは大人の余裕か、サイラスはぐっと堪えてリンカの頭をぽんと撫で、表向きは快く送り出したのであった。
なんだこれと思わないでもない。