前編
主人公、ちらっとしか名前が出てきません。
その日も、茹だる様な暑さだった。
「いやっもー!あっついんじゃー!!」
「うっさいばか」
「っい、いだぁああ!!!」
うぎゃああぁ、と姦しい喚き声をあげている友人を、冷めた目で見つめる。
しばらくは殊勝にも我慢をしていたようだが、それがつい数分前に限界が来たようだった。
突然叫び出したので、間髪入れずに叩き落してやったのだ。
この暑い中に騒げばもっと暑苦しくなるではないか。
叫んだところで気温が変わってくれるわけでもなし。
周りのことを考えて黙ってろとばかりに、ふんと鼻を鳴らした。
「うぅ・・・りぃちゃんひどい・・」
ぐずぐずと床に懐きながら、そんなことを呟く。
なんとも鬱陶しいので無視することにした。
そうすることにより余計嘆きが酷くなることは重々承知の上だったが、構えば助長する。
こういう場合は放置するに限ると、長年の付き合いで嫌という程知っていた。
「そんなに暑いなら冷凍庫にでもずっと入ってろよ」
「それ死ぬから!せめて冷蔵庫にしてっ」
冷蔵庫であろうと冷凍庫であろうと、いつまでも入っていれば死の危険がある。
そこの所はきっと深く考えていないんだろうなと思いつつ、紙パックの牛乳を啜った。
先程買ったばかりのそれも、これだけ暑い日であるので、既に温い。
友人の弁ではないのだが、流石にこちらもこの暑さは堪えていた。
じわじわくる熱気に、日の光がぎらぎらと照っていて、容赦なく肌を刺してくる。
脳内で寒い所へ行きたいな、などと思ったのは仕方のないことだと思う。
むしろそれは誰にも責められるべきではないことだというのは、最早明確な事実であった。
そう、それは無理からぬことであり、通常であるなら何も問題ないことである。
しかし、強いていうなれば、このときは非常に運が悪かった。
(あー・・涼しいところに行きたい・・・)
ぽつり、脳内に浮かび上がる願望。
それはただの夢や希望として、儚くも潰えるはずだった。
あの、誰ともわからぬ声が聞こえなければ。
『それ、叶えてあげる』
「・・は?」
気付けば、吹雪が吹き荒ぶ氷の上に立ちつくしていた。
「・・・・・・・は?」
灼熱の大地から、極寒の地にご到着。
頭ががんがんと痛むくらいの暑さの中から、寒いと言うより痛いと言ったほうが正しいくらいの寒気に包まれていた。
思わず思考も停止するだろう。
「・・は?・・・っぶえくしゅ」
間抜けにも単調な言葉しか出なかった所へ、くしゃみが飛び出る。
そうしてようやく、それが現実であることを知った。
理解出来ないせいで感じにくかった寒さが、ここに来て身に突き刺さる。
寒いというレベルではない。痛い。
手足が瞬く間に感覚を喪った。
「・・・ちょ、ど、ゆ、こと」
声を出そうとしたが、擦れて上手く出てくれなかった。
そもそも、呼吸すら困難な状況で、喋れるわけがない。
そうこうしている間にも、寒さの余りか、歯ががちがちと鳴り始める。
独り言をいうために口を開いたが、すぐに後悔する破目になった。
勝手に出てくる涙や鼻水が凍り始めたのが分かるくらい、極寒の地に来てしまったらしい。
舌がドライアイスにくっついたようになるのを防ぐ為、必死で歯を食いしばる。
そんなことが気休めにもならないことは、頭の片隅では理解していた。
けれども、夏用の制服姿のまま飛ばされてきた身としては、それ以外に出来ることもない。
両腕で痛いくらいに身体を抱きしめて、その場に蹲る。
ここを離れ建物や岩陰に隠れるということすら思い浮かばなかった。
今まで生きてきた中では自身の死を危惧するという事態に陥った例はないが、今がそうなのかもしれないと現実逃避のように考える。
痛みを感じていたのも次第に良く分からなくなり、酷い眠気が襲ってきた。
死亡フラグ死亡フラグ眠ったら即あの世行きとぶつぶつ呟きながら無理やり意識を繋げる努力をしてみたが、それももう無理な気がしてきて焦燥感が募る。
まだ17歳なのに何それ、と非常に泣きたい気分になった。
しかし実際に涙は出てくることなく。
抵抗虚しく、やがて意識はふつりとなくなってしまったのである。
「・・・こんどはどこ」
起き抜けの第一声がそれだった。
低血圧の為に起きたばかりでは頭が働かないのが常である。
それが、ぱちっとはいかずともすっと瞼が持ち上がり、ばっというような勢いはないがずるりと身体を起こす。
閉じそうになる目を根性で開け、状況把握に勤しんだ。
ぱっと見でわかったことは、現在は室内に居ること。
何故か天蓋付の大きなベッドのど真ん中で、着替えた覚えのない衣服を身に纏っていること。
手足や身体のそこかしこに、包帯が巻かれていること。
そして、今は朝らしい、ということ。
「・・・・・どこだ、まじで」
情報を一度自分の中で噛み砕いて、しかし結局さっぱりわからなかった。
あんな氷原ど真ん中の、吹雪で視界が最悪な中から、どうしたらこんなところに出るのか。
半ば呆然としながら無意識に手足をもぎもぎと動かすと、感覚は鈍くても一応動くことに酷く安堵した。
意識を喪う前は、このままでは凍傷で壊死するとしか思えなかったのだ。
最悪、生きられたとしても、両手両足の指がなくなっても可笑しくはなかった。
そこまで考えて、意識を喪った後に助け出された可能性が高いことに気付く。
では、ここはあの氷原にほど近い村か町かだろうか。
少しあるけば助けてもらえたかもしれないことに思い至ると、なんだか猛烈な勢いで力が抜ける。
どうしようもなかったとは言え、もうちょっと動け自分と思わざるを得ない。
友人たちに危機管理能力がないと言われるだけあるのかもしれない、と内心へこんだ。
「あぁ、起きてたのか」
「っ!」
項垂れて自己嫌悪に陥っていた所に、がちゃりとドアが開く音がして、誰かが入ってきた。
声からして男性、それも青年か。
ぱっと身体を起こしてシーツをひっかぶり、ずるずると壁側へ後ずさった。
助けてくれたのは間違いないのだろう。
手当もしてくれて、こんな部屋で1人寝かせてくれるくらいだ。
至れり尽くせりとまでは行かなくても、誰ともわからぬ者に対しては破格の待遇である。
感謝しこそすれ、怯える必要はない。
そこにまで考えが到っていても、未知との遭遇には恐怖心が募った。
ここには馴染みあるものは何もないのだ。人も、物も。
その点で言えば、警戒してしかるべきなのではないかとすら思う。
どくどくと煩い心臓を抑えつけながら、その人物がこちらへ近づいてくるのを黙って見守った。
「なんだ、元気そうだな」
現れたのは、金の髪を腰まで垂らした、まだ年若い青年だった。
少し切れ長の目は長いまつげに縁どられ、その瞳は綺麗な新緑である。
きめ細やかな肌に、精悍な顔立ち。
衣服を着ていてもわかるくらい、鍛えられた体。
どこからどう見ても、絶世の美青年と言えるくらいの人間がそこに居た。
「・・・・っ」
あまりの衝撃に言葉が出ずに居ると、青年はまじまじとこちらを見つめてきた。
何やら面白そうに口元が緩んでいるのを見て、じわりと内心で嫌な予感が広がる。
自身が平凡な容姿をしていることは良くわかっているし、こんな綺麗な人間とは住む世界が違うのだ。
見られていることにだんだん腹が立ってきた頃、青年はぷっと吹き出して、可笑しそうに笑いだした。
「・・なにが、可笑しいのですか」
「っい、いや・・悪い・・」
憮然とした面持ちになったのは致し方ないと思う。
思わず問いかければ、青年は必死で笑いを抑えながら謝ってきた。
しかし全くもって謝っているようには見えなくて、また非常に腹立たしくなり顔を背ける。
見てんじゃねーやちくしょうと言ってやりたいが、命を救ってくれた恩人にそこまで言う度胸はなかった。
悲しくも小市民である。
一頻笑った青年は、ようやく落ち着いたのかこちらに向き直ると、にこりと微笑んだ。
その笑みに、どうしても作り物めいた綺麗さが気にかかってマネキンのようだと思ってしまう。
怪訝そうな顔をしていたのだろう、青年は笑みを消すと、今度はマジメな顔を作った。
まるで百面相をされているような気がして、思わず眉根が緩みかける。
しかし、イケメンだからって絆されてどうする、とぎゅっと力を入れ直した。
「さて、身体の調子はもう大丈夫なんだな?」
「・・えぇ、手足も動きますし、大事ありません。
助けて頂いてありがとうございます」
「いや、いい。しかし何だってあんなところに居た?
しかも薄い服しか着てなくて、手足も出したまま。死にたいのかと思ったぞ」
くり、と小首を傾げられて、思わずつられて同じ動作をしてしまった。
どうしてあんなところにと言われても、それを一番知りたいのは自分だ。
「わかりません」
「わからない?それは一体・・」
「あなたは、突然、こちらへ連れてこられたのでしょう。」
訝しげに目の前の青年が言葉を紡いでる途中で、第三者の声が割って入った。
いつの間に部屋に入っていたのか、さっぱり気がつかなかった。
しかし目の前の青年が一切驚いた様子がないところを見ると、彼は気付いていたらしい。
何その動物的反応、と思わず胡乱げな視線を送ってしまい、慌てて頭を振った。
そんなことは今どうでもいいのだ。
問題なのは、先程の発言の真意は一体どういうことか。
「その通りです。
あなたは何か知っていますか」
図らずも見つめる視線に力が入ってしまうのも仕方のないことであろう。
しかし現れた第三者は、ふっと軽く微笑んだかと思うと、不意にこちらへと手を差し伸べてきた。
反射的にその手から逃れようと後ろに下がるも、あえなく手を掴まれてしまって、尚逃げ腰になった。
「逃げなくて良いのですよ。
我らはあなたを庇護する者ですからね」
にこりと微笑んだ、その顔が酷く恐ろしい。
掴まれた腕は痛くないのに、どうしてか外れてはくれなかった。
良く考えなくても、異性は若干苦手だったのだ。
しかも、対して知りもしない相手と接触するなど考えられないことだった。
そう、割り込んできた第三者もまた、男だった。
それも最初の青年とはまた違ったタイプの美しい男。
その顔を見て、猛烈に逃げ出したくなったのは何故なのだろう。
ぞわぞわと怖気のようなものが背筋を這いあがり、今にも手を振り払ってしまいそうになった。
「おい、怯えてるじゃないか。
放してやれ」
「嫌ですよ。こんなさわり心地の良い手です、ずっと触っていたくなりますね」
瞬間、今までになく鳥肌が立って、血の気が引いた。
初対面の女性に対して吐いていい言葉ではない気がする。
虚勢は瞬く間に崩れて、恐怖心に支配された頭は、ひたすら逃走することしか考えられなくなった。
いくらなんでもこんな展開に順応しろというのは無理があると思うのだ。
「はっ放して・・!」
ほとんど半泣き状態でずりずりと後ろへ下がろうとするのに、目の前の綺麗な男は逆に嗜虐的な笑みを浮かべてにじり寄ってきた。
掴まれた手を手繰りながらじりじりと近づく顔に、本能的に恐怖する。
綺麗な顔なのに、見ようによってはきっと女神か天女と言っても可笑しくない顔なのに、それが酷く恐ろしいのだ。
「っう、うえぇえやだやだやだ放してばか変態しねっ!!」
恐怖が臨界点を突破し、泣き声を上げた次の瞬間。
唐突に、迫りくる天女はベッドへと沈んだ。
掴んだ腕はそのままに。
「・・・へ・・」
呆気に取られながらも見やった前方では、青年が青筋を立てつつ椅子を抱えて仁王立ちしていた。
泣いていても暴言を吐くのは忘れないという。