私の大切な人
次回は12月6日の夜に更新です。
一応これで終わる予定です。
チェコから始まり、ベルリン、ルクセンブルグ、パリで演奏会を行って、最後はウィーンへと移動した。
休みの日はほとんど街中を回って、私は岬さんを探し回った。
けれど、岬さんを見つけることはできなかった。
「今どこにいるの?」
「ウィーンにいる。ツアーは明日で終わって、そのあとウィーンオケを見学してくる」
それは、姉からの国際電話だった。
「それで、岬さんは?」
「・・・・・・まだ、見つかってない」
どうやら姉は、岬さんのことがどうしても気になっているようだった。
「あ、ちょっと待って。ヒロが代わりたいって」
「え?」
そして受話器の向こうで、2人が話しているのが聞こえた。
「・・・・・・もしもし、ノンちゃん? 聞こえる?」
「聞こえるよ。陽路くん」
陽路くんと話をするのは久しぶりだった。私が日本で演奏会をやっていたとき、陽路くんはソロコンサートを行っていたのだ。
「どうしたの?」
「うん、岬くんのことなんだけど」
「なに?」
「家にも店にも、何の連絡も来ていないらしいよ」
「・・・・・・そっか」
すると、陽路くんは優しい声で、言った。
「ノンちゃん、大丈夫?」
「なにが?」
「いや、岬くんのこと」
「うん」
「ならいいけど。あんまり根詰めないようにね」
「わかってる。じゃあね。お姉ちゃんにあんまり心配しないように言っておいて」
涙なんか、絶対に流さない。
だって、岬さんはきっと、生きてる。
もはや、それを証明するものはなにもないけれど。
生きていてもらわなければ、困るから。
私は絶対に、泣かない。
* * *
ツアーを無事に終えたあと、私はウィーンのホテルにチェックインし、街へ出た。
世界コンクールが行われた歌劇場の辺りを歩くと、2年前の懐かしさが甦ってくる。
そのとき、私は緊張の頂点にいた。
夢を叶えるためだけに出場した2年前の世界コンクール。そのときは緊張なんてちっとも持っていなかったのに。
それが今はどうして、私はこんなにも震えているのだろう。
「ノンちゃん大丈夫? 緊張してる?」
舞台袖で出番を待つ私に、陽路くんは駆け寄って言った。
「こんなに舞台が広いなんて思わなかった。前来たときは全然見てなかった」
いや、“見えてなかった”。
あのときの私は、いよいよ夢を叶えられるのだという幸福感に浸っていたから。
「不安だなぁ。さっきの練習もミスが多かったし」
「あれは、私の前の演奏者が優勝候補の人だったから。そんな人のあとに私なんて・・・・・・」
「なに言ってるの。彼は本番でもノンちゃんの前なんだよ。ほら、今弾いてる彼が終わったら、ノンちゃんの番なんだ」
「無理よ。あの人、完璧な演奏じゃない」
私は彼の演奏を聞きながら、次第に自分への自信を失っていった。
「ノンさん」
陽路くんのうしろに、岬さんが映った。
「岬さん、どうしたの? 客席にいたんじゃ・・・・・・」
「天宮さん。僕がノンさんについてますから、客席で叶さんと一緒にいてください」
そう言って、陽路くんが客席に戻ったあと、私をぎゅっと抱きしめた。
「ノンさん、いつものあなたらしくない」
腕にこもった力が、さらに私を強く抱く。
「だって・・・・・・不安なの。今の私にはあのころのような夢がない。絶対優勝してやる、っていう思いが、あのころよりも強くないの」
私がそう言うと、岬さんは抱いた腕を離し、私の目を見つめて、言った。
「洸のために弾いて」
「え?」
「洸のところまで音色を届けて。きっと洸は聴いてくれてるから。あのとき叶わなかった洸の願いを、叶えてあげて」
私を応援する、と言って病院を飛び出した洸。
そして、それが叶わずに命を落としてしまった洸。
そんな洸の願いを叶えること。
それが、いま私がピアノを弾く理由になった。
歌劇場をあとにして、私は両親と洸の元へ向かった。
空港まではタクシーを使って、そこから10分ほどの距離を、私は歩いた。
――気づくのに、こんなにも時間がかかったなんて。
そう思いながら、ゆっくりと丘の上を目指す。
あのとき岬さんがいなかったら、私は優勝なんてできなかった。
優勝していなければ、もちろん今の私はどこにもいなくて。
今の私はきっと、岬さんのおかげで存在している。
そして、岬さんのために、存在しているのだろう。
* * *
小高い丘の上には、いつ訪れても、花が添えてある。被害者の遺族らが、花を絶やさないようにしているのだ。
私はまず、両親の元に花を添える。
「お父さん、お母さん。私の大切な人は、きっと無事だよね」
祈るように手を合わせたあと、私は洸の元へ向かった。
そこに、花があった。
洸の両親ではない。今は確かに日本にいるから。
では、この真新しいヒマワリを、洸に添えたのは?
私が不思議に思っていたとき、背後に誰かの気配を感じて、振り返った。
「なんでここに?!」
そこに立っていた彼に、私は思わず叫んだ。
――なんでここに、いるの。




