【第7話】奏でた音は思ったよりも反響が大きいらしい。
少し、粗い。けれど、なによりピアノが好きだと伝わってくるその演奏に、八社宮 唯子は音の先を辿った。
出版社のパーティで担当に手を引かれ訪れたこの場所で、無条件に聴きたいと思うピアノの音色がする。
理由を付けて向かったお手洗いを出てみると、聞こえてきたその音色。
音の先は向かいの会場からだった。
扉が閉ざされ中の様子は分からない。
この演奏がどんな人によるものなのか興味があった。音に耳を傾けながら、扉を見つめていると、背後から声がした。
「好きですか!? ピアノ」
その溌剌とした声に振り返ると、栗色の髪をハーフアップにし白黒のタータンチェックのワンピースを着た美少女がくりくりした瞳を唯子に向けていた。
「――兄様のピアノ!」
小学生くらいの少女の問いかけに驚きながらも、唯子は言葉を返す。
「お兄さんのピアノなの?」
「そうです。兄様の弾くピアノは世界一なのです」
少女は両手を広げながら兄のピアノの音を讃える。
不思議と唯子にはその気持ちが理解できた。
唯子は中腰になり少女と目線を合わせる。
「素敵な音ですね。ピアノが好きだ。弾きたい、弾きたいと伝わってきます」
唯子の言葉に少女の笑顔がさらに明るくなった。
「そうなのです!」
「中で聴かなくていいの? お兄さんの演奏」
微笑みながら首を傾げた唯子に、少女の表情が微かに曇った。
「……晴日はここでいいのです。兄様は晴日を見ると――」
少女が言い掛けた途端、演奏が終わった。
中から拍手が聞こえてくる。
「行かなきゃ」
近くのベンチに駆け出すと少女はバイオリンケースを背負った。
「――次は、晴日の番なのです!」
曇ったはずの少女の顔が、その名のように輝いていた。
その背後で祖父らしき人物が唯子に会釈をする。
「お姉さん、よかったら聞いていてくださいです」
そう言いながら、少女は祖父と共に中へ入って行った。
扉が閉まる。
「あっ……」
呆気に取られ中の様子を窺うことを忘れていた。
すぐに中から、バイオリンの音が聞こえてくる。
ピアノの音はしない。
明るく、どこまでも駆けて行ってしまいそう。
先程の“晴日”という少女の音だとすぐに分かる。
唯子の顔に思わず笑みが浮かんだ。
「さ、戻らないと……」
人との交流を避けてきた唯子にとって、出版社のパーティは気が重たかった。だが、思わぬ音との出会いに気分が少し前向きになった。
*
「兄様、『かわちいぐらし』です」
ホテルの出口に向かっている途中で晴日は俺の腕を引いた。そのまま売店に連行される。
人気キャラクターのキーホルダーの陳列に釘付けになっているのを後ろから眺める。
「前にも買っただろ」
「違うのです、これは色が違うのです」
俺にはみんな同じに見える。
それより、10歳にもなってなんだ。
どこぞの姫君か何かか。
「お前、その喋り方して学校でいじめられねえの?」
「られないのです。むしろ、ご好評なのですよ」
晴日は俺の言葉など気にせず商品の列を掻き分けている。
「そうかよ」
まだ時間が掛かりそうだと俺がベンチを探しに振り返ると、一人の美女と目が合った。
「え……?」
その美女が声を漏らし、呆然と立ち止まる。
それは八社宮さんだった。
青いドレスに白いボアのボレロを羽織り、いつもと違うその姿。ポニーテールでなければ、きっと気づくこともなかった。
「……八社宮さん?」
思考が停止し気の抜けた声が落ちた。
そんな俺の戸惑いを掻き消すように、
次の瞬間――晴日が八社宮さんの元に駆け出した。
「お姉さん――!」
状況が分からない。
晴日と八社宮さんの共通点が一切掴めず、俺はただ目をぱちくりすることしかできなかった。




