【第4話】自分の知らないところで誰かの救いになれたら、それはそれで悪い気はしないらしい。
休日、八社宮さんに指定された住所に訪れた俺と御岳。
大型マンションの10階が、八社宮さんの住む自宅で仕事場だという。
オートロックのチャイムを押してからふと俺は思った。八社宮さんが快諾してくれたとはいえ、男二人で女性宅へ押し掛けて良かったものか。実家だか一人暮らしなんだか知らないが。まあ、『俺一人で』より御岳と一緒である方が100倍マシではあるが。いや、そもそも御岳が居なければここに来ることもなかった。
「はい、上がってください」
八社宮さんの透き通った声がエントランスに響き、御岳は彼女みたいに、はしゃいだ顔で俺の肩を引っ張った。
「いらっしゃい。雨宮くん――それと?」
「御岳です! 御岳 拓人です」
八社宮さんの姿を目認した御岳は目を見張り輝かせ、俺を押し退けた。
「――御岳くんですね! どうぞ」
玄関には家族の物と思われる靴があった。
「父と母は今出掛けています。家には、担当さんもよくいらっしゃるので気にしないでくださいね」
「そうなんですか」
御岳がでれっとした声で返事を返す。
八社宮さんは店で見る時よりなんだかずっと大人びて見える。ハイネックのニットに、タイトなパンツスタイルでラフだが、ラフだからこそ彼女のスタイルの良さが強調される。
俺は感情が溢れ出しそうな御岳をよそに、揺れる彼女のポニーテールを見つめていた。
感情が読み取れない。
彼女が今何を感じ、何を思っているのか。
そして、彼女が一部屋のドアを開く。
「どうぞ、この部屋でしたら自由に見学してください」
漫画家の作業部屋というより、少し広めの書斎だ。
一台のデスクの上にはパソコンと大型の液タブやイラストペン、デッサン人形などが置かれており、そのデスク周りだけが漫画家という職業と結びつく。
「こ、ここが『打ち鳴らし、候。』が誕生した現場なんですね!」
御岳の爆上がりしたテンションに八社宮さんは目を瞬いたが、「読んでくださってるんですか?」と返す。
その一言がきっかけで御岳は、八社宮さんの漫画の良さを取り留めなく語り出す。
その間に俺は、壁に並んだ本棚に目を向けた。
棚には今まで八社宮さんが出した漫画の1巻から10巻までが揃い、その他は違う作家の漫画……それから、クラシックなどのCDが並んでいた。
そして、その中に並んだ一枚のCDを見て呼吸を忘れた。
部屋を見渡すと趣味にしては大掛かりなスピーカーが隅に2台並んでいる。
身体が拒否反応を起こすかのように、ひりつき出す。
その事実に気づいた時、俺はこの部屋に来たことを後悔した。彼女の描く漫画は、音楽とバトルの融合。
間違いなく、彼女は――
「それ、私の趣味なんです」
気づけば横に八社宮さんが立ち、俺の視線の先に興味を示している。御岳はというと、漫画の生原稿を捲り心を躍らせいるようだった。
「――雨宮くんも、クラシック好きなんですか?」
「いや、俺は……」
「実は私、お店にあるピアノを見てこのお店で働きたいと思ったんです」
彼女は屈託のない笑みで、悪気なくバイト先の一角に置かれたアップライトピアノを珍しいと言った。
「って、私は、楽器できないんですけど」
「――八社宮さん、この曲……」
俺は、棚に並んだCDの中で一枚だけ目に見えるように飾られたそれを指さす。
「ああ、これは私に勇気をくれる音なんです」
身体が軋むような感覚がした。
「このピアノの音がなければ、私は今ここにはいない。この音がなければ、この漫画は生まれませんでした」
彼女は、わかっているのだろうか。
このCDが僕のものであることを。
「八社宮さん、この『ASAHI』って知ってるの?」
「へぇ、アサヒってCDなんですね」
「知らない?」
「ほら、私あれなので……昔から好きな音には音だけで触れるようにしているんです」
「ここだけは、私だけの特権みたいな」
「このピアノ奏者の方と音で繋がれている気がして」
「なんて、恥ずかしいこと言ってますね、私。すみません」
言いながら彼女は火照った顔を両手で仰ぐ。
思いがけず、ロマンチストであった八社宮さんのことをそれ以上考えることができず、俺は口を閉じる。
「あ、あの! ハサミ先生、サインとかいただけたりしたりしませんかね」
御岳のめちゃくちゃな敬語で、八社宮さんが離れていく。安堵する。
バレていないことに。
このCDのピアノ奏者が俺であることを、八社宮さんは知らない。
「あの、ここに名前も書いてくれますか? 『拓人へ』って!」
その言葉に八社宮さんが動揺していた。
「御岳、名前なら俺が書いてやるよ」
俺は、八社宮さんから色紙とペンをもらうと繊細な絵の余白に『御岳へ』とハートまで付けて書いてやった。
「は!? なんでお前が描くんだよ!? ……いや、いいか。これある意味超レアなんじゃね!?」
御岳は、急にサインを掲げ抱きしめ出した。
「きしょいぞ」
それを笑う俺の服の裾を横に立つ八社宮さんが引いた。
「ありがとうございます。また助けられてしまいました」
八社宮さんは、小声で俺にそう言った。
「いや」
今の俺は、自分を否定することしか出来ずにいる。
ただ、八社宮さんが俺に助けられたというのなら、それはそれで悪い気はしない。




