【第2話】鏡を前にしなくても自分を見ることができるらしい。
怪我をしたのも客を煽ったのも俺のミスだというのに、八社宮さんはあたかも自分のミスのように俺に頭を下げ続けた。
「八社宮さん、大丈夫だって。俺、左手にそんな未練ないよ」
「もう、使い物にならないくらいの痛みなんですか!?」
生真面目な彼女の眉に皺が寄った。
「ちょっと捻ったくらいだって、全然平気」
俺は氷を当てた左手首をぐわんぐわん振ったところで、激痛が走った。
「……あの、何かお礼をさせて下さい」
そう言ってから、八社宮さんはキョロキョロと周囲を見回し、自分のロッカーを開きスマホを取り出した。
同じ高校生、同じ学年といえ、学校も違うため、今まで挨拶程度の会話しかしたことがなかった。
先のように冷静で落ち着きのあるクールな女子に見えていたが、話してみるとむしろ落ち着きがない身振りが多い。
「これ、私のインスタ」
彼女が表示した画面に、思考が止まった。
「八社宮さん、それ漫画家のインスタだよ?」
どうやら、八社宮さんはおっちょこちょいでもあるらしい。
「はい。実は私、漫画家のハサミなんです」
数回瞬いた気がする。
漫画家のハサミ先生といえば、今話題の音楽とバトルを融合したヒーロー漫画『打ち鳴らし、候。』の作者だ。
「え……えっと……」
言葉を失ったというより、何と返せばいいのか分からない。
「どうして、そんな人気漫画家がこんなとこでアルバイトをされているんですか?」
スマホを出し連絡先を交換しながら、カタコトに尋ねると、八社宮さんは息を吐くように答える。
「――必要なのはお金じゃないんです」
高校生がバイトする理由に金目当て以外の何があるというのだ。
「恋?」
「違います」
俺が考えを張り巡らせたどり着いた答えは速攻で否定される。次に八社宮さんは、紙とペンを俺に向けた。
「書いてください」
「書く?」
「文字を、何か」
何か文字を書けと言われても……俺はとりあえず《手が痛い》と書いた。
「すみません、読めないんです」
そりゃそうだ、何せ俺は字の汚さに定評がある。
「あはは。八社宮さんそんなハッキリ言わなくても。ちゃんと汚いって言っていいんだよ?」
「違うんです! 読めないんです、文字が」
おう、言うじゃないかハッキリと。
今度こそ、言葉を失った。
「読めないの? 文字が?」
「はい」
こくりと頷く彼女。
そんな秘密を易々と何の関係もない俺にバラしてしまっていいのだろうか。
「八社宮さん、俺どうしたらいいのかわかんないんだけど……」
言葉に困る俺に八社宮さんは顔に落ちた髪を耳に掛けながらやや言いづらそうに口を開く。
「雨宮さんのご両親には、お伝えしているんです」
彼女は、文字の読み取りが正常に行えないため、メニューは全て丸暗記しているそうだ。
「数字は読めるので、注文は全てメニュー番号で通しています」
小さい頃からこの店に通ってる俺もメニューは丸暗記しているが、八社宮さんがバイトに入ってからまだ一ヶ月程度だ。メニュー数も少なくない中で漫画家をしながらバイトを続けるための努力は相当なものなのだろう。
「高校は通信制なので、社会に馴染むための唯一の場所がこのバイトなんです」
そう語る彼女の右手の指先にペンだこがあった。
天才漫画家である一方で、自分の負っているハンデを赤の他人に惜しげもなく話してしまう。
その姿に不協和音でも聞いたかのように胸がざわついた。
俺は多分、心のどこかで彼女と距離を置いた。
何故なら、俺自身、彼女と重なる部分が多かった。
それはもう鏡でも見ているかのように。




