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【第14話】見上げる太陽は、熱を帯びているらしい。

 『見ていてほしい』と言った彼女の後ろ姿を、ただ漠然と見つめる日曜日の昼下がり。


 場所と日時を指定されるがまま、

 一時間掛けて来た、渋谷の街。


 そこにはジーパンに黒ニット。黒縁メガネに洒落気一つない素朴な装いの八社宮さんがいた。

 あるがまま着飾ることさえ自分を偽る行為だと言わんばかりに、彼女は日常のまま、そこに立っていた。数人のスタッフの中心で頷きが多く、遠目から見ても緊張しているように見える。それでいて、芯の通った真っ直ぐな姿勢を貫く彼女に、ふっと頬が緩んだ。


 時刻になるとライトが両端から彼女に当てられた。


 彼女は、外界との接続を遮断するように両耳にイヤホンをさした。

 

 この時、俺は彼女が著名な人間であることを改めて認識した。ライトに照らされる八社宮さんと、それを不特定多数の人間として端で見つめる自分の距離に――どこか居場所の違いを感じて胸に開いた穴に滴が落ちた。

 

 分かってる。自分で降りた道なのに、努力を続けてる人との差に背筋が冷えた。先頭を走っていい気になっていたあの頃とは、もう違う。


 告知も呼び込みもなく、唐突に始まった“ライブペイント”。縦横ともに、身の丈の2倍はある壁面に彼女は手を伸ばし、時に脚立に上り、食らいつくように筆を乗せる。


 駅中に用意された白壁に、何が描かれるのか知らない人々が足を止めては、繰り出して行く。

 もったいない、この瞬間を見過ごしてしまうのは。


 夢中になる。


 彼女の描く一本一本、

 その線と対峙する眼差しに

 ただの傍観者ではいられない。


 喉を鳴らし、何度も呼吸がぶれる。

 鼓動が、耳元で音を打つ。


 もう、芸術家であるつもりはない。

 それでも、知っている。


 人間から生み出る創造の色を。


 形容し難い、目に見えないもの。


 百花繚乱


 間違いなく感じる。

 彼女が紡ぐその世界。


 もし、彼女の言葉が本当なら――

 彼女は取り憑かれているのかもしれない。


 彼女が筆で描くその絵は、僕の紡いだ音の延長線上で音を打ち鳴らし続けている。


 ふと、御岳との会話を思い出した。


 ここに来る数日前、学校で八社宮さんとのことをかいつまんで御岳に話した。すると御岳が目を合わさずに両手を頭の上に組んで、訊いてきた。


「んで、話したのかよ。お前の抱えてんの」


 平然と、何事もない独り言。

 そんな口振りでも、俺は目を見張って思わず御岳の顔を見た。その横顔は俺を透明人間のように扱って、視線を合わせようとしない。


「どうせ、言ってねぇんだろ?」


「言ってもいいんじゃね?」


「まぁさ、俺みたいな凡人から言わせると――才能あるくせにいつまで経っても逃げ続けてるお前は気に食わん」


「才能ある人が、手を差し伸べてくれてんだからさ。いいんじゃないの? もうそろそろ、信じてみても」


 そんなことを言っていた御岳。

 あとで今日のことを嗅ぎつければ、うるさいだろうな。


 絵が完成する頃には辺りは人で溢れ返り、警備まで配置される状況となった。完成した絵を見つめ、彼女はやり切ったように肩を落とした。


 イヤホンを外し観衆の方へ振り返る彼女は、その人だかりの多さに面食らっていた。


 それから真っ先に誰かを探しているように見えた。

 最前列の隅、柱の手前に俺の姿がまだそこにあることを安堵したように、彼女の顔が明るくなった。


 八社宮さんにマイクが手渡される。

 覚悟を決めるように俺に目で頷くと、彼女はマイクを手に取った。


「皆さん、はじめまして。『打ち鳴らし、候。』作者のハサミです。あの、先日はお騒がせいたしました。


今日はこの場をお借りして、皆さまにお伝えしたいことがあります。


先日、SNSで触れられていた通り、私は文字が読めません。生まれつき脳で文字の識別ができない“ディスレクシア”という障がいです。障がいには、個人差がありますが、私は読み書きが困難なレベルです。


それでも、幼い頃から母が読んでくれる絵本が好きで、いつしか本棚にある漫画を自分の言葉で紡いでいました。


学校では苦労しました。勉強も上手くいかず、人との距離を掴むのも苦手で、年齢が上がっていくにつれ、折り合いが合わなくなり、学校に通えなくなりました。


家に引きこもる私に、家族が漫画コンクールを勧めてくれました。漫画の文字は家族に協力してもらいながら、初めて完成させた漫画は、読み切りなのに、制作期間に一年近く掛かりました。


はじめはダメでも、次を目指して、何度もチャレンジしていくうちに今の出版社さんからお声をかけていただき、デビューの機会をいただきました。


そして、ありがたいことに本作は、SNSを中心に話題となり、こうして沢山の方に読んでいただけるものとなりました。


ここで、宣言させていただきたいことがあります。

私は、漫画サイトや紙を通した媒体では、文字という壁を越えられません。だから、直接ではなくそれは、家族や編集さんや、音声入力などに頼るしかありません。


できることなら、直接届けたい。

そう思って、立ち上がってみましたが、上手くいきませんでした。今回のことで、ショックや何かしらの先入観を与えてしまった読者の方、申し訳ありません。


私は、絵を、この漫画を描くことをやめることはできません。


実は、私はある音楽に救われました。


その音が絶望の淵に立たされていた自分を何度も、何度も救ってくれました。

暗闇を照らす光のような、ピアノの音色です。

それが、主人公の奏のモデルです」


 彼女はそこまで告げると息を吐いた。

 足元に置かれた水を補給することなく、彼女は上がった息を整えることなく続けようとする。


「えっと……宣言でしたね」


 額の汗を手のひらで拭う。

 彼女が言葉に詰まったその瞬間、一際増えた観衆から声が上がった。


「頑張れ」


 その声が、増殖するように層を厚くしていく。


「ハサミ先生!」

「大好きー!」


「ありがとうございます……」


 語尾が震え、あからさまに耳まで紅潮した八社宮さんをくすりと笑いながらも、俺の心は眠い身体を起こしたときのように震えていた。

 眠っていたのか。

 穴が空いて、落として失ったはずの心が、熱を帯びて脈打っている。


「――今度は、私が誰かの光になりたい。

そう思っています。

これからも、ぜひ応援、よろしくお願いいたします」


 拍手で包まれた狭い通路は、規制線の向こうまで人でごった返していた。


 マイクをスタッフに丁寧に返す八社宮さんが、ライトに照らされ全身に光を纏っていた。


――やられた気がする。


 俺は込み上げる熱を冷ますように、額に手を当て天を見上げた。


 見ていてほしいものが、眩し過ぎるよ。

 八社宮さん。


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