【第10話】こんな奴でも自分ごとのように腹を立てることがあるらしい。
事が起きたのは、八社宮さんと言い争った日の翌日の夜だった。
バイト休みの俺は風呂上がりにソーダのアイスキャンディーを咥えながらベッドに横になった。
すると、耳元でメッセージを通知するバイブ音が激しくなった。通知画面を見ると御岳からだった。
俺は唯一気の休まる独りの時間を漫画オタクに邪魔されまいと枕元にスマホを置いた。
しかし、バイブ音は鳴り止まない。
どうせいつもの一方通行で行われる“この漫画がヤバいトーク”だろうと、うんざりしながらメッセージを開く。
開くとそこには、『ハサミ先生が晒されてる』と書かれていた。どうしてか俺は血の気が引いた。
自分のことのように、焦燥に駆られ息が荒くなった。
床の上にアイスが落ちた。
普段なら、発狂しながらタオルで絨毯を叩くところが気にもならなかった。
御岳の情報によると、八社宮さんことハサミ先生はファンとのコミュニケーションを取らないことで有名なのだという。
SNSで気軽にやり取りできるようになった昨今、それは著名人ならよくある話だ。何の違和感も感じない。
だが、ハサミによるファンへのコメ返しは昨晩突如始まった。文章表現として正確なものもある中で、目立ったのが誤字と、ずれた返答。
話題になったそれらに便乗するように上がったのは、ハサミ先生の素性を知る人物からの投稿だった。
『ハサミは文字の読めない障害者だ』
憤りを感じていた。
どうして漫画好きでもない俺が、胃の中に無理やり手を突っ込まれてかき混ぜられているような感覚に陥らなければならないのか全く解せない。
だけど、居ても立っても居られなかった。
俺はスマホの写真をスクロールし、バイトのシフト表を探した。
現時刻は20時。指で写真を拡大させ今日の日付を追った。夜バイト。八社宮の名前がそこにあった。
俺は上下スウェットのまま、リビングに駆け下りた。
無駄に広いリビングのソファで母さんがテレビを観ていた。
「――太陽? こんな時間にどこいくの」
「バイト!」
「……バイトって、あんた今日シフト入ってなかったじゃない」
母さんがぶつくさ言いながら、ボードに貼られた本店のシフト表を確認しに立ち上がった。
しまった。
「……忘れ物取りにだよ!」
俺はダウンジャケットを羽織りながら、取り繕い叫んだ。こういう時、親が管理者だと簡単に足がつく。この親への適当な嘘は火に油を注ぐことを俺は身を持って知っている。
靴を履き外へ出ると冬の乾いた風が冷たく吹き抜けた。
「――兄様……?」
玄関の扉が閉まる隙間から、家では肌身離さないぬいぐるみを片手に晴日がこちらを窺う様子が見えた。
それを気に留めることなく、俺の足は鉄格子のような門の外へ向かって走り出していた。




