友人スピーチ
スタッフが忙しく立ち働く場内には、一流シェフによる最高級のフランス料理が振舞われている。
中央のシャンパンタワーからは一本五万のシャンパンが惜しげもなく溢れ、しかし今時珍しいその豪華な風景も真理子の目には届かなかった。
「ちょ、そこ!ナイフに肉突き刺してそのまま口に入れてる!」
『すぐ止めます!あ、本宮さん、叔父上が目を開けてますっ』
「口にボトルを突っ込んで!あとそこ、なんかテーブルに彫ろうとしてない?」
『…連合参上、って書こうとしてます…止めます』
次々と指示を飛ばして場内を歩き回る。主に新婦側を巡る足は、しかしその直後に硬直した。
『も、本宮さん…!』
男の悲鳴を掻き消し、最後列の丸テーブルがゆらりと持ち上がった。
「う…う……うおおおおっ」
叔父だ。
顔をドス黒くした泥酔の叔父が、口に挟まったボトルを外し、なぜかテーブルごと抱え上げようとしている。
重量挙げの選手のように唸りを上げ、袴姿の叔父は肩のあたりまでテーブルを浮かせた。
「押さえろっ」
柔道部員達が半身をテーブルに乗り上げた。
「……危ない!」
あまりの重さに叔父は、テーブルクロスを握ったまま後ろへと倒れた。
「ああっ!」
真理子の目の前で、コマ送りのように巨漢とクロスが沈んで行く。
ずるりと引かれたクロスに釣られ、テーブルの上の食器や料理が一瞬宙に舞った。
「……」
思わず目を閉じすぐに開けると、テーブルの上には幾人ものスタッフが折り重なり、ワインやウオッカを身に浴びつつ銀製食器をたくさんの腕が押さえていた。
「……よくやったわ」
一瞬の騒ぎに新郎側がざわめく。
酔っ払いはクロスに全身を巻かれてテーブルの下に横たわっていた。真理子は咄嗟にマイクのスイッチを入れ、声を張った。
「み、皆様!!か、隠し芸…新婦の叔父上の隠し芸が今!成功しました!て、テーブルクロス引き、完璧なまでの美しさで今驚きとともにお目見えです!」
濡れそぼったスタッフ達を体で隠し、大げさな身振りでがなり立てる。
その必死さに押されたのか、疑うことを知らない高貴な人々は戸惑いながらも「お、おお」と遠慮がちな拍手をしてくれた。太鼓腹の触角もぶらぶら揺れている。
「さ、さあ。素晴らしいサプライズが出たところで、早速スピーチに参りましょうか!」
小走りで壇上へと向かい、肩で息をしてライトを浴びる。
あまりにも急展開な進行に人々は顔を見合わせるが、もう構ってはいられなかった。
「それではまず新郎のご学友である…」
が、結婚式の神様はそんなに甘くない。
テーブルの下からクロスを腰に巻いた巨漢がふらりと立ち上がる。
真理子の背筋が凍った。
「……」
叔父は目を真っ赤に濁らせ、只者ではない光りを放ちながら前へと歩いて来る。
まっすぐ、ゆっくりと、新郎新婦のひな壇へと。
その怒り肩の歩みに場内は静まり返り、叔父を掴み損ねたスタッフの腕が宙に浮いた。
「と、止めてくださいあの人っ。お願い!」
『駄目だよ姉さん。あの人は地元でも知らない奴はいない荒くれ者なんだ。あたしらでもとても止められねえ。しかもあんな状態だ、猛獣よりやべえ』
友人席に救いを求めたピンマイクのささやきは、ミヤの返事に代わった。
慌てて見ると、ずっと無表情か口端だけの余裕の笑みだったミヤに、はっきりと脅えが浮かんでいる。
「最初にお酒飲ましたでしょう!」
『その後あそこまでにしたのはあんたらだろ』
「いいから止めて!今でこその根性でしょ!」
『あの人だけは無理だ。あの年齢で最強のモンスターなんだ。今でも仕事道具の工具入れに何でか爆竹をぎっしり入れてんだ。信じられるか?ウザ絡みしてきた地元の名の知れた悪ガキを小指一本で吊るし上げて、河原で一晩中ツチノコ探しさせてんだ。結構なワル達が泣きながら茂みに這いつくばってんのを見てみろ、生きてる次元の違いを知るだけだ』
「ごめんなさい、もう一度」
『あ?どこを?』
「確かにどこと言われればどこなのか…じゃなくて!とにかく、誰か!抑え役!」
いつやられたのか、柔道部員達は床に仰向けになって呆然としている。
「そんな…!」
終わった。脳裏に浮かんだ言葉に気が遠くなる。
両肩を不自然に揺らしてひな壇へと進んだ叔父は、バン、と二人の前に手をついた。
「…おい。若造」
色を失った奈津の横で、笑顔を絶やさない貴一が「はい」と場違いな答えを返す。叔父はテーブル隅のビール瓶を手に取り、貴一の目の前に掲げた。
「俺の酒を飲め」
すごい迫力と強面だ。浅黒い顔も肩も何もかもが分厚い。
ごくりと唾を飲んだ真理子のすぐ横で、しかし解き放たれたように動いたのは奈津だった。
「お、叔父さん。…貴一さんは、お酒、飲めないの」
中腰になり、前のめりの叔父の肩にそっと手を置く。
「おい。俺の酒が飲めねえってのか」
肩を押さえるレース地の手袋に構わず、叔父は巻き舌のだみ声で貴一に迫った。
酔っていてろれつが回っていないためか、もごもごと不明瞭な発音で、背後の招待客には聞き取り辛いらしい。
「何ておっしゃってるのかしら」とざわめきが新郎側出席者に満ち、一方新婦側は封印の解かれた怪物の動静を固唾を飲んで見守っていた。
「…では、一杯だけ頂きましょうか」
にっこりと言った貴一に、叔父は斜めにした顔を近付けた。
「何をくだらねえこと言ってやがる。その辺のゴロつきでも俺の酒は樽ごと飲むことになってんだ。その昔、奈津が中坊の頃原チャリで国道を……」
「!貴一さんっ!」
それは一瞬の判断だった。
奈津の目の動きを読み、真理子はとっさに貴一を呼ぶ。
ふと振り向いた貴一の背後で、奈津のレース手袋が目にも止まらない早さで叔父の腹に沈んだ。
「ごふっ」
声を失った巨漢は、ずるずると床に沈む。
「お、叔父様っ!?」
何事かと立ち上がった貴一の後ろに滑り込み、真理子は大声を上げた。
「おやおや、叔父上は少々酔ってしまわれたようですね!」
マイクを唇にくっつけて早口で言う。その耳には、「出た、幻の右!」「おいおい、伝説の拳がもう一度見れるなんてなあ!」と友人席からの歓声が飛び込んで来た。
「まぼ、ええ、ええっと、そう、あの、叔父上はこの良き日をしかし若干の寂しさを抱え迎えたわけでして!ええ、そうなんです、だから苦手なお酒も少々弾みまして。…そもそも叔父上は、新婦奈津さんの親代わりとして、若くに逝ったご両親の思いを受け手塩にかけて彼女を育て」
感情を込めて語りつつ凍っていたスタッフを手招きする。すぐに柔道部員達が走ってきて、燃え尽きたボクサーのような姿の叔父を引きずって行った。
「ええ、愛ゆえの寂しさ。可愛さゆえの一抹の悲しみ!皆様、どうぞ幸せを願いつつ心で泣く叔父上の親心を存分に慮って頂き」
わざとらしい調子にも関わらず、新郎席側からはすすり泣きが漏れてきた。
ハンカチで目を押さえる前川夫人の横で、前川氏がなぜか「わかるぞ」といった風体で頷いている。
「た、助かった……」
貴一までもが目を赤くしているのを見、真理子は全身の力を抜いた。
高貴なお方は簡単に感動するのだ。
中腰のまま拳を擦っていた奈津が着席するのを確認し、真理子は何度目かの深呼吸をした。
もう、何も起こらないで欲しい。
血を吐くような叫びを口に出さずに上げ、咳払いで自分の動悸を静めた。
「それでは、改めまして。スピーチに移らせて頂きます」
予定に無かった感動演出に場内は温まり、この雰囲気を逃すかと間髪入れずに進行する。
新郎貴一の親友である大学の同期は、手馴れた感じでスタンドマイクの前に立ち、「ラクロスの名手」だとか「スカッシュで汗を流し」など、明らかに新婦側との温度差を感じさせるスピーチを始めた。
「……怪物が次に目を覚ましたら。もうやるしかない、最終作戦Cよ」
小声で柔道部員達にささやくと、先ほどの失態を取り戻したいのか決意の漲る顔で頷きが返った。
「よし」
汗で濡れた背中のシャツを剥がし、真理子は奈津へと顔を向ける。
幸せ一杯のはずの花嫁の額には、同じく汗が浮かんでいた。
「ええ、僕達は本当に貴一くんの幸せを願っておりまして。……やはり結婚相手に選んだのは、結局は奈津さんのような、キャリアなどと浮ついたことの言わない一歩下がって夫に尽くすタイプの……」
酒の入ったご学友の舌は、滑らかに回る。貴一が困ったように眉を下げ奈津を見るが、奈津は「大丈夫よ、いいスピーチね」と小さく微笑んだ。
「奈津さん、あなたはとても幸運な方だ。これからは頑張って学ぶ日々ですが、セレブ教育はいつ始めても遅くないことですので」
「……」
言葉の裏に潜む、新妻への見下した気持ちに真理子は少しだけ息を吐く。隠しても隠してもやはりそれは滲み出て来るもので、しかし奈津はにこにこと微笑むだけなのでほっと肩を下ろした。
「……ありがとうございました。それでは続きまして、新婦のご友人代表の」
落ち着きを取り戻した美声でミヤを紹介すると、ライトの中に、直立不動の姿が浮かんだ。
紫の口紅で特攻服がどうだと言っていた朝とは別人のような華やかな出で立ちだ。
綺麗に結いあがった髪にバイクで鍛えたのであろう綺麗な筋肉の背筋が映え、我がスタッフの優秀さに満足する。
バランスの良い長身はライト効果で発光し、新郎ご学友達がうっとりと見とれているのがわかった。
よし、となぜか真理子が胸を張る。
「……っす。奈津さんは、……さい、いろ、かね…?」
ところが、流れ出したのは不可解な上擦ったスピーチだった。
耳を疑い、慌ててミヤを観察する。
その長い指にはきちんと真理子の書いた代筆文が握られており、それを読み上げるだけで問題はないはずだ。
奈津さんは、才色兼備で。
滑り出しの文句を思い起こす。
そして次の瞬間に、はっと真理子の全身が仰け反った。
「漢字だ……!」
漢字だ。
そう、読み仮名を振るところまでは気が回らなかった…!
「だ、だって、チェックしたスピーチ原稿に、愛羅武勇で走死走愛、とか書かれてたから…」
漢字が得意な人達だと思っていた。
その自分の甘さに、歯噛みする。
「かね、……かね?あ?」
ミヤは出だしの漢字でつまづいたまま、心底困った様子で立ち竦んでいる。
真理子は混乱する頭できょろきょろと無意味に周りを見回し、しん、と見守っている招待客の困惑ぶりから目を逸らした。
「……」
やけに長い沈黙の中で、奈津の顔が徐々に血の気を失って行く。すがる思いで友人席へと顔を巡らせた真理子は、ふいに胸のピンマイクに指を添えた。
「そうか」
友人席ではハルやユカ、そしてスタッフが必死に耳と胸を交互に指している。その意味を汲み取って、真理子はピンマイクへとそっと語りかけた。
「……ミヤさん。私のあとに続いて下さい」
ミヤはスタッフから奪ったイヤホンをつけたままだ。
真理子の指示が届いたのか、ミヤの唇がかすかに横へと伸びた。
「……才色兼備で。芯のしっかりした。心優しき」
「さ、才色兼備で。芯、のしっかりした」
頭に叩き込まれた模範祝辞集のかき集め言葉が、すらすらと口をつく。それをなぞっただけのミヤの口調は、不自然なまでに途切れている。
「わ、わたしたちは。そんな、奈津、さんの懐、の広さ、にひかれ」
だが、それは思わぬ効果を醸し出していた。
たどたどしいスピーチは、聞くものによっては「涙を堪えて、途切れ途切れに、それでもひたすらに話す姿」と捉えられたらしい。
再び漏れ聞こえてきた新郎家族席からのすすり泣きに、真理子は脱力しそうになる膝を支えた。
「だからお二人、末永く幸せに。……よし、良かったです、ミヤさん。素晴らしい」
「だから、お、二人、末永くよし、ミヤ。素晴らしい」
最後の締めくくりが多少おかしくても構わない。
真理子は「ありがとうございました!」と大声を放ち、力尽くで客から引き出した拍手で大仕事を終えた特攻隊長を心から労った。
見ると、安心と緊張が交互に続くこの宴にとうとう参ったのか、奈津は両手で顔を覆って俯いている。
しかしそれすら感動に泣いている新婦の姿に映り、どうにもこうにも歯車のずれた会場からは大きな拍手が湧いた。
「ええ、それでは。ここでお二人のなれ初めなどを少し」
奈津を落ち着かせるために、あえて進行のインターバルを取ることにする。
ドレスの肩を愛しそうに抱く貴一を横目に、真理子は高々とマイクを掲げた。声が多少掠れているのも大目に見てもらおう。
「去る半年前のある夜のこと。突発的なトラブルに見舞われた不運な貴一さんを救ったのは、たまたま通りがかった奈津さんでありました…」
真実はこうだ。
ある夜、バイクでひとり公道を流していた奈津は、歩道から飛び出してきた男を危うく轢きそうになった。「死にてえのか!」と叫んで神業とまで言われたハンドルさばきで難を逃れた奈津は、そのまま道路に倒れ込んだ男を不審に思い近寄る。
それが、酩酊状態で前後不覚になった貴一だった。
酔っ払い、転んだ際に吐きかかったものが喉に詰まり、貴一は目を白黒させてのた打ち回る。そういう光景を見慣れていた奈津は、舌打ちし、そして貴一の襟首を掴んで引きずり上げると。
回し蹴りで背中を打った。
意識を取り戻した貴一が唯一覚えていたのが、肩にかけられた鮮やかなピンクの上着。そして美しい女性の後ろ姿と、何故か骨まで響く背中の痛み。
例えそれが――独特なセンスの、ピンクのジャージ上下を着ていた奈津の上着だったとしても……貴一にとっては、女神の賜り物に思えたらしい。
その後貴一は奈津に追いすがり、背中の痛みの張本人であることにも気付かず、必死でくどいたのだと言う。
「その、貴一さんの誠実さに心打たれた奈津さんは、彼について行くことを決め……」
嘘ではない。かなり脚色したのだとしても、根本は間違ってない。
が。
「貴一さんみたいな奴は私が守ってやらなきゃ」と語った奈津の笑顔を思い出し、真理子は無意識に襟を擦った。
「……それでは。これより新婦はお色直しのためしばらくの間、中座させて頂きます」
上滑りの口調で新郎新婦を促し、さらに拍手も促す。
「……そうよ。もう少しなんだから。……ここまで来たら、もう突っ走るだけよ……」
心の内で呟いた声は聞こえないはずなのに、何故か記憶の中の奈津の強い視線に気圧され、真理子は目を逸らした。
あと三話で完結




