祝辞とケーキ入刀
極限まで明かりを絞った暗い会場の高い天井には、無数の星が散らばっている。
神聖な古代の夜明けをイメージしたと銘打ってはいるが、要は新郎側の出席者から新婦側を見えにくくする苦渋の選択だった。
そこかしこで戸惑ったようなささやきが上がる。
「大変素敵だけれども、これじゃあお料理も見えないわ」
「古代の食卓では、神聖な原始の灯りが人々を照らし神威を身近に感じたと言われていまして」
「フォークはどこだね」
「手探りで探すというのも、神々の思し召しをより享受し安寧への祈りへの」
スタッフを鍛えたかいがあった。客への受け答えが非常に曖昧かつ意味不明だがよどみない。
「……引き続きまして、来賓の方々よりご祝辞を頂戴したいと存じます」
ひと息ついて厳かに言う。祝辞はすべて新郎がらみの人間である。
「えー、私は新郎貴一くんの大学で教授をしております…」
某超有名私立大の教授から市議会議員、海外の要人まで出席している。
うやうやしくしゃべり出した太鼓腹を横目に、真理子はそっとひな壇の新婦奈津を盗み見た。
若干青ざめた表情で、大学教授の方をじっと見つめている。断固として自分の友人席を見まいとする決意が、ウェディングドレスの肩ににじみ出ていた。
そりゃそうだろうと真理子は同情する。
たぶん彼女は生きた心地がしないに違いない。
……自分もだけれど。
太鼓腹は大げさに、新郎がどれだけ優秀で育ちが良いかを長々と語った。時折おまけ程度に奈津のことを混ぜるが、すべて「貴一くんに尽くし、後ろに控え、つつましく」といった表現の羅列だ。
「仕方ないか。新婦のバックボーンは全部秘密だものね」
ため息で独りごちた真理子の耳に、突如発信が入った。
『本宮さん!彼女達が飽き始めてます』
「え、もう!?」
早過ぎる。まだ開始十分も経っていない。
面食らって友人席に顔を向けると、髪を綺麗に結い上げたハルとケツ持ちユカが、お互いの腕に蝋燭の火を近づけ合っていた。
『こ、根性?焼き?がどうとか』
「ちょ、止めさせなさ」
「うおーい。誰じゃトロい話をしとるシャバ僧はあ。シバくぞお」
突然上がった野太い声にはっと身をすくめる。見ると家族席の叔父がジョッキを高々と掲げていた。
袴姿に金刺しゅうの鼻緒のついた下駄、そして胸には金のネックレス。スキンヘッド。
ゴリラより怪力という巨漢の叔父は、意味なく万歳をしていた。
「ちょ、酒飲ますなってあれほど……っ」
『す、すいませんっ。いつのまにか目の前に酒が!』
一瞬ざわめいた場内に心臓が止まりそうになり、前屈みに耐える。
調子よく語り続ける太鼓腹に聞こえなかったのが幸いか、暗がりの中で叔父ともみ合う柔道部員が見えた。
『姉さん。悪いな、ありゃユカの仕業だ』
耳に割り込んできた掠れた声に、ふと姿勢を戻す。
目をすがめて声の主を探す。叔父に覆い被さる男達の横で、長身のミヤがこちらを見ていた。その口の端がわずかに上がる。
『ユカはさ、手が早えんだ。今こそ落ち着いて反省してケツ持ちに志願してっけどさ、中坊の頃はカツアゲの名じ』
「ストップ。スタッフにマイク戻して。あと姉さんは止めて下さい」
不穏な単語を咳払いで遮り、真理子は急いでピンマイクに口を近づけた。
「仕方ない、作戦Aは変更よ。フォーメーションB、取りかかって」
短い返事で、影に潜んでいたスタッフが家族席へと移動した。そして息つく暇も与えず、柔道男達とともに叔父のグラスにウオッカを注いだ。
「飲んで飲んで飲ませまくるのよ。口が開かないくらい。立ってられないくらい。酔い潰しなさい!」
静かにしててくれるなら、座ってようが寝ていようがこの際関係ない。
途端生き生きと飲み始めた叔父に胸を撫で下ろし、真理子はミヤのからかうような視線を真正面で受け止めた。
「……あなたがユカさんに指示を?」
『人聞き悪いな』
……負けないわよ、用意された成功の道を手に入れるまでは。
唇を噛んでにらみ返したら、「ガン飛ばしやがって」とミヤの口が動き、おかしそうに笑うのが見える。
そしてやっと太鼓腹の祝辞が終わった。
「ありがとうございました。えー、続きましては……うっ」
安心した直後、蛙の潰れたような悲鳴が喉から漏れる。
拍手に深くお辞儀をした太鼓腹の頭、見事に円形にはげたその頭頂部に、ぴょーんと飛んできたガムがくっついたのだ。
「つ、つ…続きまして、あの、新郎の上司にあたります…」
気付かなかったのか、太鼓腹は頭にガムを乗せたままライトの中心から外れる。やはり気付かなかったらしい新郎貴一が拍手をする横で、奈津は真っ青な顔で中腰になっていた。
『すいません本宮さんっ!ガムの飛ばし合いを始めてっ、どちらが遠くまで飛ばせるかって』
耳を通して響くスタッフの焦り声に、真理子は喉をさする。
前川グループの専務がライトを浴び話し出した隙に、友人席へとゲキを飛ばした。
「ガム禁止!あと根性焼きだか鉄板焼きだか知らないけど禁止!どうしても聞かないようなら、それがしきたりなんですと言うのよ。それでも抵抗するようなら、ちなみに自分は三十路です、と言うの!」
『う、嘘の年齢ですか?』
「そう!偽りでも上下関係をはっきり示すのよっ」
そして控えていたスタッフにアイコンタクトを投げる。
上機嫌で着席した太鼓腹にスタッフが歩み寄り、グラスを替える振りをしてその頭を袖口でそっと拭った。
「失礼いたしまし、ひいっ」
嫌な叫びにぞっとして真理子は目を凝らす。
袖口についたガムは、しかし頭からはがれなかった。いいよと手を振るハゲ頭から長く伸び、途中で切れて背中のあたりでぶらぶらと揺れていた。
『も、本宮さん……!触角みたいになってしまいました……!』
泣き声でこちらを見るスタッフに、真理子は額を押さえた。
「もう……いいわ……そのままぶらぶらしててもらいましょう……。頭からガムが生え伸びてるなんて、斬新過ぎて誰も気付かないわよ」
場内を暗くしておいて本当に良かった。いつ周りが気付くかは神のみぞ知る、それまで太鼓腹には触角に甘んじてもらうことにする。
「まだ…乾杯もしてないのに……」
この十分で十歳は老けたような気がする。すがるように視線を投げてくる青い顔の花嫁に、座れと優しく手を振って、真理子は目眩を堪えた。
「……んん、それでは。ケーキ入刀を行います」
ぐったりとした気分でわずかに投げやりに進行すると、ひたすら純粋な笑顔の新郎貴一が奈津を支えて立ち上がった。
「緊張しているのかい?奈津は気が小さいなあ」
「……ええ。ごめんなさい」
初々しい二人の小声に、真理子の目眩がひどくなる。
気付いたら手の平に大量の汗をかいており、それをぎゅっと握り締めた。
「ええと。…それでは、本日永遠の愛を誓いましたお二人の、初の共同作業であります」
新郎新婦がナイフに手を添えた途端、「ドスだ」「長ドスかよ」と新婦側のみから感心したため息が漏れた。世界で一番美しいはずの新婦の顔が曇る。
「それではっ。ケーキ、ドス…じゃなくて入刀っ」
見ていられなくて叫ぶと、一斉にフラッシュが焚かれた。
引き攣った笑顔の奈津が写真に収まるのと同時に、真理子は改めて場内をしっかりと見渡す。
見上げるほど高いウェディングケーキを口を開けたまま見入っている新婦友人達、ややテーブルに突っ伏し気味の叔父。そして何を考えているのかわからない無表情のミヤ。
片や新郎側は、家族席にゆったりと座り優雅に見守っている前川夫妻。
貴一の父親の前川氏は紋付袴で腕を組み、息子と「無口で素朴な」嫁に目を細めている。その横の前川夫人は何とも見事な慶事着物で、おっとりと微笑んでいた。
「なるほど、あれがあの貴一さんを産み育てた奇跡の貴人か」
真理子の呟きは拍手に消され、別世界の住人同士の邂逅はつまづきながらも進んで行く。
まだまだ半分も進んでいない。
汗の止まらない手を裾で拭い、真理子は乾杯の音頭を取る市議会議員を読み上げた。
再び長い新郎褒めの後、やっと乾杯の宣言が場内に溢れる。
「えー、それでは。これより、祝宴に入りたいと存じます。…皆様、お料理をご賞味頂き、また大いにお飲み、そう、とにかく大いに飲んで頂き!……ご歓談、あくまでご歓談を!……して下さい……ませ……」
ゴールは遠い。
うつろになる自分の脳を引っ叩き、真理子はマイクを掲げた。
無理な飲酒はダメ絶対
次夜20時頃更新です