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開式宣言

 そのカップルに対面した最初の日、真理子はやった、と小さく拳を握った。

 やった、とうとうチャンスが巡ってきたのだ、と。

 

 五ヶ月前、まだ秋のことだ。

 真理子の事務所を訪れた二人は、「すべてをお任せしたい、とにかくいい式をしたい」と言った。

 若い二人の言葉に、真理子は満面の笑みで頷いた。

 ひょろりと細長い体型の新郎はにこにこと穏やかな表情で、新婦を見つめては「君が全部いいように決めてね」と繰り返し告げる。つまり、金に糸目はつけないということだ。

 新郎貴一、国内にいくつものレジャー施設を持つ有数の資産家、前川グループの御曹司。

 新婦奈津、両親はすでに他界、町の片隅の小さな建設会社社長の叔父を持つシンデレラガール。

 現代のサクセスストーリーを目の前の小柄な女性に垣間見て、真理子は心から幸運を喜んだ。

 ウエディングプロデューサーなんていう職業は、所詮はコネと宣伝力がモノを言う。

若くして独立した真理子にとって同業他社の風当たりは強く、なかなか飛躍の糸口を見つけられなかった。

 しかし、ふらっと訪れた客が、天下一品の良筋だったこの縁に、真理子の欲は燃え上がる。

 そのお家柄で、自分で言うのも悲しいがこんな弱小事務所に結婚披露宴を依頼していいのか。グループ内の力関係もあるし、お付き合いもあるだろう。

 なんてことをさりげなく会話に混ぜてみれば、「彼女が、小規模でも親切な、イチから相談に乗ってくれるようなところに頼みたいと言うので」だそうだ。

 女神。

「そうなんです。彼女は僕の女神です。ね」

 ひたすらとろけた口調で横を見る貴一。恥ずかしげに下を向く奈津。

「まあ。なんて素敵なカップル!」

 なんておいしいカップル!

これを機に前川グループとつながりをつけ、芋づる式に集客を見込めば一気に業界をのし上がることができる。逆にこれを逃せば、事務所は近い将来立ち行かなくなる。

 脳内の計算機がフル回転する。いける。

 これはいける。

「前川様。奈津様。私に、すべてを一任下さい。特別な日、お二人の世界でたったひとつの結婚式をプロデュースいたします。最高の思い出、感動を紡ぎ出す極上の空間をお約束しますわ」

 両手を広げて真理子は奈津へと微笑みかけた。

 黒髪にすっきりと通った鼻筋の彼女は、一瞬だけ目を伏せ、そして遠慮がちに笑う。

 

 豪華シャンデリアと大理石の壁が売り物の最高級ホテル、ドレスはオートクチュール、披露宴でのナイフやフォークなどのカトラリー類はすべて純銀、さらには出張オーケストラまで配置することを決め、最後に招待客の検討を依頼してその日は終わった。

 そう、その翌日だ。幸運に浮き足立ったその翌日。

 新婦の奈津が、ひとりで、事務所を訪れたのだ。


「まあ、奈津様。もう招待客リストをお持ちで?」

 極限まで高くした声で迎えられ、事務所総出で接待を試みる様子を奈津はじっと見つめていた。

 小柄で線の細い女性だ。顔も小さく、しかし薄化粧でも際立つ大きな濡れた瞳。美女と言うより美少女という言葉が似合う儚さで、真っ黒な髪が白い首を隠し、高い鼻筋も物静かな態度も質の良いビスクドール連想させた。

「あの。…ご相談が」

 そのわずかに青い顔を見止め、真理子は内心でははん、と頷く。

 若い女性にはよくあること。マリッジブルーだ。

 恋愛に浮かれて日々を過ごし、結婚が現実となって初めて我に返る。

 が、延期とか言われても困る。

 もう少し考えさせてくださいとか、もう聞かないし聞けない。

 逃すことはできないのよと、真理子は応接のソファに奈津を座らせ渾身の笑みを投げかけた。

「奈津様。お心が少し不安定なご様子ですか?ですが、結婚前の新婦様にはそれはよくあるこ」

「協力して欲しいんです」

 真理子の芝居がかった説得を遮り、奈津は前を見据えた。

 そのきっぱりとした口調に、前日までの物静かで遠慮がちな女性の影はない。

 真理子はふと嫌な予感を覚えて顎を引く。結婚に関する様々なトラブルが頭を過ぎる。

「……協力、とは」

「披露宴です。何事もなく無事に終わるように」

 それはもちろん、それが仕事ですから。

と言おうとして、言葉を飲む。伏せがちだったはずの瞳には言いようのない意志の光りが宿り、その眼光が室内の空気を圧倒していた。

「わたし、貴一さんに隠していることがあるんです」

「ああ……」

 その静かな迫力に飲まれかけた真理子は、ほっと息をついた。

 昔の男か学歴か、職歴?大丈夫、よくあるよくある。

 そんなあたりを想像した真理子は、しかし次のセリフで固まった。

「わたし、元ヤンなんです」

「………は?」

 

 元ヤン。

 ……元ヤン?


「元ヤンキー。族。ゾク。レディースです」

 

 様々な呼称が真理子の頭を巡り、理解するのに時間がかかった。

 が、事情を飲み込んだ末に「なるほどね」と深く納得する。

 若気の至りか。奈津は今でもかなり若いが。

 目の前の人物のイメージがあまりにもかけ離れているために混乱するが、多少のことでは揺るがない貪欲さには自信があった。よくあるよくある。

「…よくあることでございますわ。大丈夫、昔のことです。昔のことですもの、水に流して…」

「天下統一女番連合の総長を一ヶ月前まで務めていました」

「……」

 直近じゃん。

 そうちょう、聞き慣れない単語に動揺してしまう。

「ぜ、絶滅したかと…」

 思わず出た失言に、しかし奈津は小さく笑った。

「一ヶ月前に貴一さんと出会って、足抜けしたんです。この人に命かけようと」

「命ですか」

「命張って走ってましたから。わたし、金とか関係ないんです、これからは愛にタマ張ろうとガチで」

 段々と口調が巻き舌になって行く奈津を見つめ、真理子は落ち着かせるために手の平を掲げた。

「よ、よくもまあ、今までばれずに」

 一ヶ月交際のスピード結婚に、他人事ながら不安が過ぎる。しかし奈津は胸を逸らせて笑った。慎ましいとばかり思っていた小さな口がくしゃりと大きく開く。

「根性入ってますから。自分を変えるくらい、何でもないですよ」

 そしてわずかに眉を下げて付け加えた。

「貴一さんも、ああなんで」

「……なるほど」

 今度は大きく頷いて、真理子は絶妙なバランスの橋を渡ってきただろう奈津の顔を改めて見つめた。

「聞かれれば答えるつもりでした。正直に。でも彼は、何も聞かない。そのうち結婚の話が進んで、後戻りできなくなって、わたし、気づいたらどうしても彼と結婚したくなって」

 真性のボンボンである前川貴一は、育ちの良さゆえ人を疑うことを知らないという美点があるのだろう。さらにはレディースという存在自体も知らないかもしれない。

 その弱点、じゃなくて欠点、ではなく美点と、奈津の自分を変えようとする努力と根性がうまく合致し、嘘のような綱渡りでここまで辿り着いたのだ。

 奈津は静かに続けた。

「わたしは、生涯、変えたままで行こうと思ったんです。このままで。一ヶ月前までのわたしは、もういない。このままで、苦しくても辛くても、変えたままの自分で行く、と」

 真理子の喉が鳴る。

「向こうのご両親は」

「貴一さんの親だから。おっとりと」

 真のお金持ちは相手の身辺調査すらしないらしい。浮世離れもはなはだしい。


 が。


「……わかりました。あなたがそこまで人生を懸けて覚悟を決めたなら、私も全力を尽くしましょう」

 真理子は重々しく告げて、両腕を広げた。

 本心では様々な計算が働いているのだが、にっこりと笑う。

「私に、どうぞお任せを」

 披露宴さえ終われば万一ばれても知らなかったで通せる。ばれないまま奈津の人生が過ぎて行けば、事務所は栄華を極める。

 いける。

 …いけるか?

 いや。いくのだ。

「よかった。姉さん、頼みます」

「姉さんは止めて下さい。…では、レディースなるものの実態を私に教えて頂けますか」

 どちらにしろ、勝てば官軍だ。

 胸に手を当て感謝する奈津を見遣り、真理子は未知なる人種の生態解明へと身を乗り出した。

 澄んだ大きな瞳が、真理子への信頼だろうか、キラキラと輝いている。

 レディースだろうが何だろうがやるしかない。問題ない問題ない。

 

 こんな獲物逃せるか、と心に誓った。




 誓った日から約五ヶ月、晴れのこの日を迎えた真理子は、早くも後悔しそうになる自分を叱咤しつつ大広間の壇上にいた。

 何度も繰り返される奈津との秘密の協議で、真理子は「そもそも、ご友人たちは招待しない方がいいのでは」と尋ねていた。それこそ何度も、最終的には祈るような思いで。

 しかし奈津の意思は揺るがなかった。

 おかげで真理子の心が揺らぎっぱなしだ。

『ぎゃはは。姉さん、このマイクおもしれー。ところでこんな布切れみたいな服、足がスカスカするっすよ。なあユカ』

「姉さんは止めて下さい。カミソ、いえ、ハルさんですね?ピンマイクはスタッフ連絡用です。ハルさん、隣のスタッフに返して。あと、ドレスとはそういうもんです。ユカさんにも、膝を閉じてと伝えて」

『ユカ、ガム食いたいんだって。ヤニ駄目なんだろ?口がさみしいって言ってんよ』

「ヤニ言わない。ガム無し。我慢してください。我慢。ステイ」

 耳から漏れてくる声に抑え気味で答え、そろそろ時間だと腕時計を示す。

 会場に散らばったスタッフが一斉に応答の合図を送ってきた。

「何が何でも無事に終わってやるわよ……」

 

 つつがなく過ぎた挙式の後、とうとう正念場を迎えた。

 光度を絞ったシャンデリアに銀製トーチのキャンドル。

 絹を織り込んだテーブルクロスに生花のブーケが彩りを添える。

 披露宴の会場は贅を尽くした空間で、しかし派手過ぎず豪華過ぎず、若い二人の爽やかなイメージを前面に押し出した心配りの様式だ。

 新郎側の出席者は約百人、新婦側はその半分。新郎貴一は最後までこのことに悩んでいたが、やはり前川グループの関係で断れないぎりぎりの人数なのだろう。奈津の「気にしないで」という後押しも手伝って、新郎側には見ただけで格の違いがわかる上質なスーツがひしめいている。

 新婦奈津の出席者は五十人ほどだが、実はそのうちの三十人は真理子の手配した人間だ。

 新婦友人席には少々顔の強張ったスタッフが紛れ込んでおり、家族席の「お酒が入ると誰も止められない」、別名怪物という親代わりの叔父の両隣には、現役大学生の屈強な柔道部員達を配備した。

 何があっても慌てず騒がず迅速に、と口をすっぱくして訓練した手の者達には、口止め料込みの法外な報酬が支払われる。もちろん前川財布からの捻出だ。

「…新婦側の友人席にはお酒と偽ってウーロン茶を。新婦の叔父上の飲酒は体を張ってでも止めなさい。さあ、始まるわよ」

 ラジャ、と精鋭達の返事を聞いて、真理子は大きく深呼吸をする。手のマイクのスイッチを入れた。

 事務所の未来と、自分の成功を目指して。さあ、行け。

「……ただ今よりめでたく愛を実らせ、喜びと幸せに包まれた新郎新婦が入場いたします」

 入場を高らかに宣言する。

 会場入り口の重厚な扉がスポットライトを浴び、そこに二人の姿が浮かぶと、わあっと歓声が上がった。

「うむ、綺麗な花嫁ですな」

「まあ、貴一くんも立派なこと」

 拍手に紛れて別の方向からも震える声がする。

「そ、総長…やっぱ白い長服が似合うっす」

「ひらひらして…まるで夜の高速を転がしてる時みたいに…」

 丸テーブルに新郎新婦が差しかかると、無理矢理ドレス姿になった友人達は一斉に挨拶をしようとした。同じく着飾ったスタッフ達が必死に止めている。

「雲ひとつない青空の中、愛の誓いをしたばかりのお若い二人が今…」

 カミソリのハルが感極まって最敬礼をしようと手を背中で組むのが見え、真理子は早口で叫んだ。

「それでは!前川家次男貴一さんと橋爪家長女奈津さんの!結婚披露宴を始めさせて頂きます!」

 もう止まることはできない。恐怖の二時間が、今始まりを告げた。



夢のある結婚式

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