『隠れ里』への逃亡記録:対話
夜が明けるまで全員が寝ているわけにはいかない。
タツたちは交代で見張りを立てることにした。
今はタツが見張りをしている。誰よりも初めにこの役目を務めると言ったのはタツだった。
『特にノア。きみは今日一番頑張っていたよね。いち早く地龍の痕跡を見つけて、進んではいけない方向を教えてくれた……ずっと気を張っていて疲れているだろ? 今晩は休んで、明日に備えないと』
なんて説得をしたりもした。
(ん? ……いや、気のせいか)
タツは焚火の前で腰を浮かしかけた。
けれどすぐに座りなおす。
何かが動いているような気がしたのだが。どうやら気のせいだったらしい。不思議なこともあるものだ。
タツは首をひねったあとに焚火を凝視した。
パチ、パチ。
火花が散る。
ぼぅっとその様子を眺めていると眠くなってくる。
(そろそろ僕も限界かな。さっさとミレイを起こすか)
次はミレイが見張りをする番だ。事前の話し合いで順番は決められていた。
タツはふらりと立ち上がってミレイが寝ている場所へと向かう。
「…………」
「そろそろ時間でしょう? その顔を見るに、ちょっと早かったかもしれないけれど」
彼女はなぜか起きていた。
その青い髪の毛を指先でいじくっている。ミレイの癖らしい。今日何気なく様子を見ているとそういった仕草を何度もしていた。いやそんなことはどうでもいいのだ。
「まさか寝てないのかい?」
「寝た。さすがにね。ただどうにも眠りが浅くて」
「ふぅん。まあ今日は大変だったからね。いまだに身体が緊張しているのかもしれない。よかったらまだ僕が見張りをしていようか? きみはもっと休息をとるべきだ」
「それ、こっちのセリフだから。タツくん。あなたは一番休むべきなのに。こんな時間まで頑張って、疲れてるでしょ。今日はもう休んで」
ミレイはジトっとした視線をタツに向けた。
――激動の一日を乗り越えたからか。タツたちの間には奇妙な絆が築かれつつあった。
初対面だったのにもう態度が砕けてきている。
そう感じたのはミレイだけではない。他の三人にもだ。
(不思議だ。まあ、悪くはないな。いい感じだ。うまく言えないけど)
タツは笑った。
ミレイは訝しんだ。
「なにがおかしいの」
「いや。なんでもない。うん、ミレイの言う通りだね。もう休まないと明日に差し障るだろう」
「そうそう。休まないと。このチームの命運はあなたに賭かってるんだから」
「そんなことは――」
「あるの。大事な場面で、タツくんは指示を出し続けていてくれていた。誰よりも前に出て、戦って、傷ついて。つらいはずなのに笑顔でいて。あなたのその優しさに、たぶん、皆救われてると思う」
「ふ、ふぅん。そうなんだ」
タツは目をそらして照れ笑いをした。
「そうなの」
ミレイは念を押すように言う。
「だから、ちゃんと寝て。お願い」
ミレイはそっとタツの背中を押す。強くもなく、優しすぎるわけでもない、でも拒めない温度だった。
タツは一瞬だけその手のぬくもりに目を閉じる。思考の隙間に、ヴァネッサの姿が差し込んだ。けれど、それもすぐに打ち消す。
「……わかった。じゃあ、ちょっとだけ甘えるよ」
「ちょっとじゃなくて、しっかり休んで」
ミレイは頷くと、焚火の前に腰を下ろす。その指先はまた髪をいじっていた。彼女の癖が、どこか不安の裏返しに見えて、タツは立ち止まる。
「ミレイ」
「なに?」
「……ありがとう」
タツはそう言って、少しだけはにかむ。
ミレイは一瞬きょとんとしてから、ふっと微笑んだ。
「どういたしまして」
タツは寝床に戻った。空を見上げると、雲間から星がいくつか顔を覗かせていた。
心地よい疲れが、ようやく彼の身体に染みこんでくる。目を閉じる直前、彼は思った。
(……いい夜だ)
その思いは、不思議と心を軽くした。
静かに、焚火がはぜる音が夜に溶けていく。
見張りの交代は済んだ。仲間は眠っている。ミレイは起きている。
そして、夜はまだ静かだった。
――だが。
森の奥、誰にも気づかれぬ場所で。
一瞬、何かが動いた。音もなく、気配も薄く。
その“何か”は、焚火の赤を遠目に見つめる。
沈黙の中で、ゆっくりと首を傾けた。
まるで、「観察」するように。
夜は静かで、優しくて――けれど完全には、無害ではなかった。