『隠れ里』への逃亡記録:逃亡開始
(事態は最悪に近い。もうすぐ地龍の軍勢が襲撃を仕掛けてくる。そんな状況になったら僕たちは終わりだ。けど最悪じゃあないな)
タツの感覚は極限まで研ぎ澄まされていた。
(指揮官クラスの個体を潰せるのは大きな戦果だ。『隠れ里』に向かうまでは何度も地龍に襲われるだろう。こいつをこの場で殺すことで逃亡劇の難易度は下がる。今動いてよかったな。戦わずに逃げ出していたらこうはならなかった)
敵の一挙手一投足に指先が自然に反応するようになる。
満身創痍とはいえ奴は生存しているのだ。
なんという執念。
敵ながら尊敬に値する。
タツが同じような状況になっていたとしたら。
殺されていただろう。
(こいつはここで始末する)
深呼吸をする。
ゆっくりと確実に敵の元へと接近していく。
(確実に)
ノアとゼクスが奴の周りを囲った。
正面。
左。
右。
三方向から一斉に攻め立てる狙い。
会話を交わさずとも――。
敵を殺害するのに最適な陣形が形成された。
(期待通り。二人とも優秀だな)
ほんの少し空気が凍ったように感じた。
――次の瞬間。
ノアが仕掛ける。
そのムーブメントにタツとゼクスが連動した。
三方向から挟み込む。
同時に。
地面が振動する。
タツ、ゼクス、ノアは咄嗟に踏みとどまった。
指揮官クラスの周囲が爆発した。
そういう風に見えた。
実際には槍のような岩が奴を囲うように飛び出していた。
地龍は『地』を操る力を持つ。
だがこれほど強力なものは初めて見た。
「ガアアアアッ!!」
指揮官クラスが咆哮する。
ただでは死なぬ。
やつの執念が肌を刺す。
「囲んで潰せッ!」
「わかっとるわタツゥ!!」
「ここで仕留めちゃうんだから!」
三人で再び総攻撃を仕掛ける。
黒い地龍は全方位に殺意をばらまいている。
(向こうも必死だ。なりふり構ってられるかよッ!)
タツは跳躍する。
(手傷を負ってでも――)
手に持つ剣を振り下ろす。
指揮官クラスの周囲が再び揺れる。
(――仕留める!)
歯を食いしばり。
タツは石槍に襲われる覚悟をした。
だが。
どこからともなく放たれた雷光が黒い地龍に直撃した。
奴の動きが硬直する。
一瞬。
電撃が来た方向に目を向ける。
ミレイがいた。
メイスを杖のように構えている。
その先端からは白い煙が上がっている。
「今ッ!」
彼女は叫んだ。
「ひゅっ」
タツは素早く指揮官クラスの身体に斬撃を浴びせた。
ゼクス、ノアも続く。
絶え間ない連続攻撃を受けた黒い地龍はその場に倒れた。
赤黒い血を流しながら。
〇
黒い地龍の巨体が地に伏した。
赤黒い血が大地を染めていく。
勝った。
タツは剣を構えたまま、しばし動けずにいた。
身体は痛みを訴えていたが、それでもまだ――戦える。
そう思えるだけの“余力”が、わずかに残っていた。
ゼクスとノアも息を荒げながら、倒れ伏す龍の姿を警戒していた。
ミレイが小走りに駆け寄る。
「やった……のね?」
言葉には安堵が滲んでいた。
だがその瞬間。
「っ……!」
地面が、震えた。
全員の表情が一変する。
黒い地龍が、立ち上がろうとしていた。
信じがたいことに――まだ、生きていた。
「嘘だろ……動けるはずが……っ」
ゼクスが呻く。
その体は満身創痍。
おびただしい出血。
片目は潰れている。
それでもなお指揮官クラスの地龍は立ち上がった。
タツは。
構え直そうとした。
その刹那。
――音もなく、それは起こった。
何かが風を裂いた。
そして、
黒い地龍の頭部が、爆ぜた。
鈍い破裂音とともに、脳天から血飛沫が舞う。
遅れて、空気が震えるような雷鳴の余韻が耳を打った。
「え……?」
誰よりも早くタツが振り返る。
ライがいた。
栗色の髪を風に靡かせ、装飾の少ない狩人の装いに身を包んでいる。
細身の長銃を肩に下ろし、鋭い眼差しでこちらを見下ろしていた。
「……あっぶな」
ノアが呟いた。
風が吹いた。
血と硝煙の匂いが戦場を包む。
黒い地龍は今度こそ完全に動かなくなった。
タツは深く息を吐いた。
指揮官クラス――撃破。
地龍の軍勢にとっても大きな損失のはずだ。
この機を逃す手はない。
「逃げるぞ……! 今のうちに、『隠れ里』へ!」
「了解ッ!」
「うん、行こう!」
重い足を引きずるようにして四人はその場を離れる。
勝利の実感よりも先に次の試練への焦燥が胸を占める。
背後ではライが静かに銃を構え直していた。
〇
すべてが終わった戦場跡。
一体の地龍が同胞の死体を見下ろしていた。
「……………………■■■■」
彼は何事かを呟いた後。
嗤った。
ぐがが。
と。