『隠れ里』への逃亡記録:次のステージへ
戦いは終わった。
水場にこだまする悲鳴も、剣戟の音も、すべて過去のものになった。
今は、着替えを終えた三人の女性陣が岩陰に並び、やや距離を取って座っている。
ミレイは濡れた髪を布で拭きながら、タツの姿を見つめていた。
少年は、どこか気まずそうな表情をしていた。
いつも通り、無駄口を叩かず、黙ったまま立っている。
そして——意を決したように一歩前へ出た。
「……悪かった」
それだけ言って、頭を下げた。
ノアが唖然と口を開け、ライは気まずそうに視線を逸らす。
ミレイは黙ってその様子を見守った。
「……言い訳になるんだけど」
タツは顔を上げ、まっすぐに言葉を紡ぐ。
「黄土色の地龍が突然現れて襲ってきた。一対一で戦ってたら、思いっきり吹き飛ばされて……気づいたら、そっちに落ちてた」
ノアが咳払いをした。
「……それで、見たわけね。いろいろと」
タツは沈黙する。
ライが頬を赤らめながら、ぼそりと呟いた。
「……ほんと、殺してやろうと思った」
ミレイは微笑を浮かべながら、それでもタツの目は嘘をついていないと感じていた。
彼はただ戦っていただけ。無自覚なままに。
「もういいわ、タツくん。あなたのせいじゃない」
ミレイがそう言うと、ようやく場に柔らかい空気が戻り始めた。
ゼクスが後方からのそのそとやって来て、手をひらひらと振りながらぼやいた。
「はいはい、タツの目は処刑対象ってことで。そろそろ出発すんぞー」
「だから誤解だって言ってんだろ」
とタツ。
ノアとライがぷっと吹き出す。
ようやく、日常が戻ってきた。
ミレイは小さく息をつき、濡れた布をたたんだ。
彼らは、こうして何度でも立ち上がる。
笑って、また歩き出す。
その強さが、ほんの少しだけ、眩しく見えた。
〇
タツは焚き火の端に腰を下ろしていた。
地龍の首を刎ねてからしばらく経ち、ようやく皆が落ち着きを取り戻した頃だ。
服を乾かしながら、ミレイとノアは静かに談笑していた。
ゼクスは荷の点検をしている。
その中で、ライは少し離れた岩に腰掛け、髪を絞っていた。
タツは立ち上がり、ゆっくりと彼女の元へ歩いていった。
「……ライ」
声をかけると、ライは小さく肩を揺らした。
どこか居心地の悪そうな表情でこちらを見上げる。
「さっきの、黄土色の地龍のことで聞きたいことがあるんだ」
タツは本題を切り出す。
「きみは『隠れ里』出身だったね。なら、このあたりの地龍についても知ってるはずだ。何か知らないか? あんな姿の地龍、見たことあるかい」
ライは一瞬、黙った。
湿った風が、彼女の髪をゆらす。
やがて、唇が動いた。
「……知りません。あんな地龍、始めてみました」
タツの眉が僅かに動く。
「本当に?」
「本当です」
ライは強く言い切った。目をそらさずに。
その声音には、嘘の影はなかった。
タツは彼女の視線を見つめながら、短くうなずく。
「……わかった」
と返事をして静かに背を向ける。
知らない、という事実。
それはつまり——この領域に、想定外の何かが潜んでいるということだった。
それがただの変異体か、それとも意図的な“送り込み”なのか。
タツは何も言わず、焚き火の前へと戻った。
風の音が、少しだけ冷たく感じられた。
焚き火のはぜる音だけが辺りに響く中、ライは一歩前に出た。静かに皆を見渡し、口を開く。
「皆さんに、お伝えしておかなければならないことがあります」
その言葉に、ゼクスがわずかに眉を上げる。タツも黙って視線を向けた。ノアとミレイも、神妙な面持ちで耳を傾ける。
「このまま進みますと、『隠れ里』に至る前に……必ず通ることになる場所がございます。『ウィスパーボイス』と呼ばれる、霧に満ちた森です」
焚き火の光に照らされたライの瞳が、どこか遠くを見つめていた。
「その森では、霧の中から“声”が聞こえてまいります。誰かの、親しい方の声です。亡くなった方や、離れてしまった方……人によって異なりますが、非常に現実的で、そして……心を傷つける言葉を投げかけてくるのです」
タツがわずかに表情を強張らせる。
「……たとえば、タツさんの場合。かつてお世話になった師匠の声が聞こえるかもしれません。“お前のような弱者など育てなければ良かった”、“そのまま地龍の領域で息絶えてしまいなさい”——そういった、心の隙を突く言葉が」
ノアが息を呑み、ミレイが小さく肩を震わせた。
「……私たち『隠れ里』の者は、繰り返しそこを通過してまいりましたので、ある程度の耐性がございます。“あの声は偽物だ”と、頭では理解できるようになるのです。でも……」
ライは目を伏せたまま、言葉を続ける。
「初めて通る方には、非常に厄介な場所になるかと思います」
タツが短く息を吐きながら問う。
「じゃあ……そこを抜ければ、もうすぐ隠れ里か?」
ライは静かに首を横に振った。
「いえ、実は“ウィスパーボイス”だけではないのです。『隠れ里』には、もう一つ……別の防衛機構がございます」
ゼクスが目を細める。
「もう一つ? どういうことだ」
「詳細は、まだお話できません。……というより、私自身も、その全貌は知らされておりません。ただ、間違いなく“何か”があるとだけ、お伝えしておきます。そこを越えられなければ、隠れ里には辿り着けません」
しばし沈黙が落ちた。
霧の森に囁く声。そして未知の防衛。
それでも、進まなければならない。
焚き火の炎が、風に揺れてぱちりと音を立てた。ライの言葉は静かにその場に重く沈み、仲間たちの胸に刻まれていった。




