『隠れ里』への逃亡記録:――崩壊
地龍王。
遠目で見かけた時。奴は数多の地龍を従えていたという。
『龍葬団』が『火龍の領域』を攻略した時にも王のような個体がいた。きっと各領域ごとに群れの頭のような存在がいるのだ。団の間ではそう推測されていた。
そんな奴が。
今まさに襲撃を仕掛けてきていた。
周辺に転がる無数の死体。
百戦錬磨の『龍葬団』の団員たちが軒並み殺害されていた。
その中には。
タツが今まで世話になった先輩たちが大勢いた。
彼らの顔が浮かんでは消え。
浮かんでは。
消えた。
タツは絶叫した。地面に膝をつく。両の拳を地に叩きつける。憤怒。哀。感情がごちゃ混ぜになっている。苦しい。苦しい。胸が苦しい。
駆けつけた時には既にこうなっていた。
なんということだ。
どうして?
一体どうして?
「…………そんな」
頭が真っ白になる。
顔を上げて大きく目を見開く。
眼前の現実を直視する。
キャンプは無造作に破壊されていた。
地龍王が引き連れてきた地龍の軍勢。奴らがやったのだ。岩のような身体を持つ個体。地面を潜航する巨大土竜。そういった地龍たちが突進すればひとたまりもない。中にいた人間はもちろん即死だろう。
ぐるぐる。ぐるぐる。
めまいがする。
立ち上がって戦わなければならない。殺害された先輩方の敵討ちをしなければならない。
だというのに立ち上がれなかった。
頭の中にはみんなと過ごした思い出が流れている。
今までも。
これからも。
ずっと共に肩を並べるはずだった。
だというのに死んでしまった。
死は永遠の別離だ。
死んでしまった人間とは二度と会えない。
声も聴けない。
「……僕は、どうすれば」
かすれた声が口から漏れる。
うまく考えがまとまらなかった。
思考は完全に停止していた。
――背後の地面から巨大土竜が現れ、タツを襲おうとしている。
とっくにわかっていた。対龍装備によって研ぎ澄まされた五感。積み重ねられてきた戦闘経験。思考をせずとも勝手に動く。
ひゅん。
軽い音が響く。
同時に。
土竜の首が地に落ちた。
ブレードを振りぬいた姿勢のままタツは固まっていた。
(僕は今何をした?)
腕が。
身体が。
生きようとしているのか?
思わずそう錯覚してしまう。
タツは呆けた顔で腕を下した。
手に持つ魔力剣を無言で眺める。
(師匠。あなたが助けてくれたのですか?)
遠く離れた『ドーム』の下層にいるヴァネッサ・ロウを想う。
彼女の存在を認知する。
(あの人の元に帰る。それまではまだ死ねない)
タツは立ち上がった。
(ひとまずここから脱出しよう。それから――)
甲高い悲鳴が聞こえた。
〇
キャンプから離れた場所に『案内役』の少女がいた。彼女は岩のような身体を持つ巨大蜥蜴に追い詰められていた。目には涙を浮かべている。
少女の背後にはもう逃げ場がなかった。巨大蜥蜴の一歩ごとに地面が揺れ、岩が砕ける。喉の奥で唸るような音を響かせながら、奴はじりじりと間合いを詰めていく。
「や……やだ……来ないで……!」
少女は懸命に後退しながら、小石を手に取り、必死に投げつけた。しかしそれが通じる相手ではない。岩のような鱗は傷一つつかず、むしろ刺激したことで怒りを買ったのか、巨大蜥蜴は口を大きく開け、牙をむき出しにして突進体勢に入る。
「誰か、助けて」
その瞬間。
空気が裂けるような音とともに、地を蹴った何かが飛び込んできた。
それは一人の少年だった。
疾風のごとく少女と蜥蜴の間に割って入ると、持っていた魔力剣を真横に薙ぎ払った。
刃が閃き、空を裂く。
魔力を帯びた刃は巨大蜥蜴の首元を貫き、鱗の隙間を狙った一撃が深々と突き刺さった。蜥蜴は絶叫をあげ、のたうち回る。だがタツは止まらない。二撃目、三撃目と連撃を叩き込み、ついには蜥蜴の巨体を地に伏せさせた。
(すごい。あんな怪物を、あっという間に)
少女の前に仁王立ちする少年。その姿はまるで英雄のようで。涙と泥でぐちゃぐちゃになった顔を見られるのが恥ずかしくて、少女は顔を拭った。
振り返った彼の顔は同じく汚れていた。泥と血で汚れている。しかし少女の目にはとても格好よく見えた。少年の目はしっかりと少女を見据えていた。
「大丈夫かい」
少女は呆然と少年を見つめた。やがて涙をぽろぽろと零しながら小さく頷いた。
情けない。自分が嫌になる。ただ泣いて怯えていたって何も変わらないというのに。少女は生きるのを諦めかけていた。だが少年、タツはまだ生きようとしている。
「……他の人たちが、私を、逃がしてくれたんです。『きみは最後の希望だから』って。『生き残った人を『隠れ里』に案内してあげてほしい』って。だから、逃げて逃げて逃げて逃げて――生き残っちゃった。私、だけが」
「そうか。なら生きないとね。生き残ったんだから。最後までさ、みっともなく、あがいてみようぜ」
こんな自分でも役に立てるだろうか。
「はい」
タツは短く息を吐くと、彼女の腕を掴み、立ち上がらせた。
「ここはもう危険だ。逃げ道を探す」
そう言って彼はもう一度、辺りを見回す。
タツは少女の手を握ったまま、荒廃したキャンプを背に、夜の地平を駆け出した。
〇
地龍王は一人、この場から逃走を図っている人間たちを見下ろしていた。
『しぶとい連中だ。まだ生き残りがいたのか』
『――奴らは同胞の敵。奴らを追え。この大森林から生かして返すな』
憎しみに彩られた、暗い瞳を地上に向けながら。
地龍王は咆哮した。