『隠れ里』への逃亡記録:平穏――
「ふっ……ふっ……」
早朝。『龍葬団』のキャンプから、少し離れた場所にて。
対龍装備を身に着けたタツは一心不乱に金属棒を振るっていた。一振り。また一振り。空を裂く。
「ッ!」
朝早くに目を覚まして剣の型を確認する。初めたての頃は慣れなかった。けれど今ではすっかり習慣化していた。初めに師から剣を教わってから、一日も欠かしたことはない。
師、曰く。
『これをするのとしないとでは、実戦で雲泥の差が出る。だから、毎日やりなさい。いいですね?』
と。
(ああ。師匠。ヴァネッサ・ロウ。あなたは今何をしているのでしょうか。寝ていますか? 起きていますか? 僕はあなたの顔が見たいです。あなたのミートパイが食べたいです。早く、帰りたい)
タツの胸中では日に日に彼女への想いが膨らんでいた。
目を閉じるだけでも思い浮かぶ。
長い黒髪を一つにまとめ、左目に眼帯をつけた女傑。いつも聖母のような笑みを浮かべ、タツに苛烈な指導をする。
そうして疲れ果てたタツに「お疲れさまでした。休憩にしましょうか」と声をかけてくれる。
彼女は、剣を教える時だけは容赦がなかった。
何度倒れても起き上がれと言ったし、甘えを見せれば即座に見抜かれた。
それでも、彼女の言葉には棘よりも、炎のような温かさがあった。
近づけば熱い。でも、離れれば凍える。
ヴァネッサ・ロウ。
幼少期。親を亡くしたタツを拾い、育ててくれた女性。彼女はこれまでに出会った誰よりも、厳しく、そして優しい人だった。
それは、切りつけるような指導の中に、寄り添うようなまなざしがあったから。
痛みを伴わせながら、誰よりも“守ろう”としてくれていた。
そして、タツは思う。
(あなたがいたから、僕はここまで来られたんだと思います)
朝焼けが、ゆっくりと森を染め始める。
湿った空気の中で、金属棒を振るたびに汗が飛ぶ。
疲れても、止まらない。止まりたくない。
(今の僕は、あなたに胸を張れるでしょうか)
答えは分からない。
でも、だからこそ――振るう。
刃のない剣でもいい。誰かに見られていなくてもいい。
タツは今日も剣を振る。
それが、“教わった優しさ”に報いる唯一の方法だから。
「ふッ!!」
最後の一振り。タツはゆっくりと金属棒を下した。
息を荒げる。肩を上下させる。
「ふー」
額の汗を拭う。
(『地龍の領域』に侵攻し始めてから一か月。長いな。早く終わらないかな?)
タツは金属棒を収めながら、重く息をついた。ヴァネッサ・ロウに会いたい。話をしたい。そんなことばかりを考える。
〇
五百年前。かつてこの星には、今のような戦争も、魔力もなかった。
争いの無い平和な時代。
そう、教えられたことがある。
だがその平穏は崩れ去った。きっかけは、とある異常な出来事だった。
――南極大陸に『大穴』が開いた。なぜ開いたのか? 原因は今も不明なまま。
その『大穴』から現れたのが、龍たちだった。
彼らはあっという間に世界を滅ぼし、この地を奪った。
そして、五つの領域に分かれて覇権を争い始めた。まるで、世界を手に入れるためのゲームでもしているみたいに。
一方。追い詰められ、生存した数少ない人類は北極に逃げ延び、巨大建造物を建築する。
巨大シェルター『ドーム』。
そこで長い時間をかけて反撃の準備を進め。
二百年前。『龍葬団』が創設された。
魔力を扱い、龍を殺す力を持った戦士たち。
彼らは魔力によって攻撃力、防御力を強化できる特殊な装備『対龍装備』を身に纏う、強力な戦士たちだった。
最初期には大量の死人が出たらしい。
龍側の巨大勢力の一つ、『火龍の領域』を攻略できないほど、彼らは貧弱な勢力だった。
だが、数年前。ついに『火龍の領域』を支配する龍の長が討伐された。それをきっかけに、『龍葬団』は破竹の勢いで『火龍の領域』を制圧。人類は彼らに希望を見出した。
現在。その勢いに乗って、『龍葬団』は新たに『地龍の領域』を攻略している。
龍葬団は、ひとまず『ドーム』外で生存している人類勢力の一つ、『隠れ里』を目指して進軍していた。
『隠れ里』出身だという少女の、案内の下で。進軍は順調に進んでいた。このままいけば、あと数日以内にはたどり着ける。そう、思われていた。
〇
地面が揺れる。その揺れで我に返る。
思考が明後日の方向に飛んでいた。柄にもなく呆けていた。故にタツは少し遅れた。異常事態が起きている。と気づくのに。
(地龍の襲撃でもあったのかな? ……まあ、なんとかなるでしょ。今頃見張りの先輩たちが対処しているはずだ)
とは思いつつ、一応戦闘準備をする。
対龍装備に自身の魔力を通し、起動する。すると変化が起きた。タツが持つ金属棒が蒼い輝きを放ち、魔力の刃が現れる。
ついで、身体が軽くなった、ような気がした。対龍装備には身体能力を向上させる機能が備わっている。膂力。敏捷性。何もかもが引き上げられているのだ。
さあ。準備は完了した。
早速現場に駆け付けるとしよう。まあ到着したころには、地龍の死体が転がっているだけだろうが――なんて考えていた。タツはキャンプがある方向に目を向けた。
「はっ」
視界内に、途方もない大きさの地龍が入り込んだ。
奴は今まさに、キャンプへ襲撃をかけていた。