『隠れ里』への逃亡記録:撤退
偵察兵を倒した五人に、休む間はなかった。
「……来る!」
真っ先に声を上げたのはノアだった。
息を呑み、耳を澄ませる。地面の奥底から、不気味な震動が伝わってくる。
「数は少ないけど……地龍の群れが、こっちに向かってきてる!」
ライの顔色がみるみる青ざめた。ミレイも小さく息を呑む。
タツは即座に周囲を見渡した。森の向こう、木々の合間に黒い影が蠢いている。
(……マズい。完全に先手を取られた)
さっきの偵察兵を倒した安堵が、油断となっていた。
五人の思考に、隙が生まれていたのだ。
「タツ!」
ゼクスが呼びかけるよりも早く、タツは動いた。
先頭を駆ける――黒い地龍。
その異様な存在感に、タツは直感した。
(……こいつは普通じゃない)
黒い地龍は、通常の地龍よりもわずかに大きく、全身を覆う鱗が黒曜石のように鈍く光っている。
鋭い爪、赤く光る瞳。知性を帯びたような気配すら感じる。
(率いているのは、こいつか――!)
タツは剣を抜いた。呼吸を一つ整え、全身に力を込める。
黒い地龍もタツに気づき、唸り声を上げて突っ込んできた。
「迎え撃つぞ!!」
咆哮するように叫び、タツは剣を振りかぶった。
その瞬間、乱戦が始まった。
☆
敵は十二体。
こちらは五人。単純な数だけ見れば、劣勢だ。
しかし五人はそれぞれが精鋭だった。
ノアは素早い動きで敵を翻弄し、ミレイが回復と支援を織り交ぜ、ゼクスが冷静に的確な射撃を繰り返す。
ライも支援に回り、索敵と指示で味方を援護してくれていた。
タツは黒い地龍を相手に、一歩も引かず剣を振るった。
だが、数の差はじわじわと効いてくる。
敵の群れは個別では脆い。だが群れることで、互いにカバーしあい、五人を押し込もうとしてくる。
ミレイが小さく叫ぶ。
「囲まれかけてる! タツ!」
「持ちこたえろ! すぐ、打開する!」
タツは叫び返す。剣を大きく振るい、目の前の地龍を薙ぎ払う。
同時に視界の端、森の奥に見えたものに、タツの心臓が冷たくなる。
(……増援)
新たな影が、森を押し分けるようにして現れ始めていた。
また地龍だ。数は分からない。だが、間違いなくこちらを目指している。
タツは一瞬だけ考えた。
ここで踏みとどまるか? 否。
敵の勢いに飲まれれば、全滅する。
「――撤退!」
タツは声を張り上げた。
「みんな、撤退だ! 森の北側に向かえ!」
ゼクスが即座に応じる。
「了解!」
「わかった!」
「はいっ!」
次々と仲間たちの返事が返る。
タツは黒い地龍の一撃を身をかわし、剣を振り抜いた。
浅い傷を与えたが、黒い地龍はまだ立っている。
……だが、ここで仕留める時間はない。
「――くそっ」
悔しさを飲み込んで、タツは跳び退った。
全員が森の北側へ向かって走り出す。
追撃してくる黒い地龍たちの咆哮を背に浴びながら、五人は必死に森を駆けた。
タツは歯を食いしばり、仲間たちの背を守るように、最後尾で走った。
☆
森を駆ける。
ただひたすら、前へ。
背後では、地を割るような咆哮と足音が追いすがってくる。
「くそ、速い……!」
ゼクスが苦い声を漏らす。
地龍たちは重い体躯にもかかわらず、獲物を逃すまいと、異様な速さで追ってきていた。
「こっちだ、こっちへ!」
ライが叫ぶ。
彼女は森の地形に詳しかった。小さな沢を越え、岩場を抜け、わずかな隙間を縫って進む。
しかしその時だった。
「――あっ!」
ミレイの小さな悲鳴が響いた。
振り向いたタツの目に飛び込んできたのは、
足を滑らせ、転倒するミレイの姿だった。
ズザァ、と地面を滑る音。
岩肌で膝を打ったのか、ミレイの脚から血が滲み始める。
「ミレイ!」
タツは瞬時に駆け戻った。
ミレイを抱き起こし、その腕を肩に回させる。
「立てるか!?」
「……っ、大丈夫、少しだけ……!」
震える声で答えるミレイ。
だが、すぐには走れる様子ではない。
(マズい、時間がない)
地龍たちの影が、すぐそこまで迫っていた。
ゼクスが後ろを振り返り、叫んだ。
「タツ! 早く!」
「わかってる!」
タツはミレイを支えながら、再び走り出す。
速度は当然、落ちる。
だが、ミレイを置いていく選択肢など、初めから頭になかった。
(誰一人、死なせねぇ)
それがタツの、戦う理由だった。
「ノア、ライ! 援護頼む!」
「了解ッ!」
「行くよ!」
二人が即座に応じ、後方へ飛び出す。
ノアは手持ちの爆薬を地面に設置し、ライは弓で牽制射撃を加える。
爆音と閃光が森に轟き、追手の一部が動きを鈍らせた。
「今のうちに!」
ゼクスが叫ぶ。
タツは必死にミレイを支えながら、森の北側――生存への道を目指して走り続けた。
(持ってくれ、ミレイ……!)
ミレイの血に濡れた手が、タツの肩にしがみついていた。
小さく震えながらも、彼女は必死に前を向いていた。
絶対に、諦めないという意志だけを、滲ませながら。




