『隠れ里』への逃亡記録:偵察兵
異変が起きた。
五人は森の奥、獣道の陰に身を潜めながら、ライの説明に耳を傾けていた。
「偵察兵……?」
ミレイが声を潜める。
ライは頷いた。蒼白い顔で、必死に言葉を紡ぐ。
「普通の地龍とは違うんです。あいつは体に“特殊な器官”を持ってる。空気の匂いをかぎ分けたり、地面の振動を敏感に拾ったりできる。……あれに補足されたら、隠れ里まで情報が筒抜けになる」
森の向こう、風に乗って重い足音が響く。近づいてくる。大きさはそれほどではないが、警戒心と狡猾さをまとった、異質な気配。
「……どうする?」
ノアが問うた。
選択肢は二つしかない。
一つ、息を潜め、発見されるのを回避する。
二つ、この場から静かに離脱し、敵の索敵圏から逃げる。
どちらも容易ではなかった。すでに足音は近い。猶予はほとんどない。
誰もが固唾を呑んで考えた。だが、その沈黙を破ったのはタツだった。
「……三つ目がある」
全員が一斉にタツを見た。
彼は低く、しかし迷いのない声で言った。
「――ここで奴を倒す」
ライが顔色を変える。
「無茶です……偵察兵は逃げ足が速いんですよ!? 一度気付かれたら、すぐに走って帰っちゃいます! それを止めるなんて――」
「わかってる」
タツは短く答えた。
「だからこそ、先手を取る」
タツの脳裏に、かつて師匠が語った言葉がよみがえる。
『これは戦闘に限りらない話なのですが――何事も、先手をとった方が優位に立てます。商売でもそう。ボードゲームでもそう。後手に回ると不利になる。今あげた二つの例では、負けても生存できますよね? しかし龍との戦闘では別です。その勝負には『生死』がかかっている。先手。先手。とにかく先手を取りなさい。戦闘前、少しでも有利な状況を作るのです。そうすれば生存率は上がる。勝率も上がる』
生き延びるために、勝つために――最初の一撃を制するのだ。
「奴がこの辺りを本格的に調べる前に、仕留める。逃げられるリスクを減らすため、万全の態勢で臨む」
タツは周囲を見渡す。仲間たちの顔を、ひとりずつ見た。
ゼクスは小さく肩をすくめ、ミレイは苦しげに唇を噛んだ。ノアは……震える手を必死に押さえていたが、頷いた。
ライは迷った。しかし、短く息を吐き、意を決したように言った。
「……わかりました。やりましょう」
「時間がない」
タツが言う。
「作戦を立てる。分担して奴を仕留める。考えよう。どうすれば、最も速く、確実に偵察兵を倒せるか」
夜の帳が、じわじわと明ける。
森の中、五人の思考が、緊迫した空気の中で交錯する。
敵は、すぐそこまで来ている。
短い沈黙のあと、タツが指示を出した。
「まず僕とノアが前に出る。ノア、奇襲に専念してくれ。きみのスピードなら、奴に近付けるはずだ」
「うん」
ノアは小さく拳を握った。
「ゼクスは後衛から援護。逃げようとする動きを見せたら、足を撃て」
「了解だ」
ゼクスが短く答える。
「ミレイはノアの補助。もし奴に反応されても、動きを鈍らせるようなサポートを頼む」
「わかった。……絶対、止める」
「ライは、索敵。周囲に他の個体がいないか警戒してほしい。もし増援が来たらすぐ教えてくれ」
「任せてください!」
それぞれが頷き合ったその瞬間――。
ゴオオ、と風を切るような音が、森の向こうから聞こえた。
偵察兵の姿が見えた。
小型の地龍だった。ずんぐりとした体型、鋭い爪、地を這うような低い姿勢。額にはひときわ目立つ突起物があり、そこから常に微かな振動を放っている。探知用の器官だろう。
(……あれが、ライの言ってた“特殊な器官”か)
タツは無言で地面を蹴った。ノアもそれに続く。森の影を縫うようにして、接近する。
だが――。
偵察兵は敏感だった。すぐに気配を察知し、鋭く首を振った。
「気付かれた……!」
ライの悲鳴にも似た声が上がる。
偵察兵は、走った。地を削るような勢いで、森の奥へ逃げようとする。
タツは迷わない。即座に叫んだ。
「ノア、左から回り込め! ゼクス、撃て!!」
ノアが素早く横に跳び、逃げ道を塞ぐ。
同時に、ゼクスの放った弾が、偵察兵の左足に命中した。
ぎぃ、と甲高い悲鳴が上がる。
だが、それでも偵察兵は止まらない。足を引きずりながら、なおも必死に森の奥へ向かう。
ミレイが手をかざした。緑色の光が迸る。
偵察兵の足元の地面がぬかるみ、動きを鈍らせた。
「今だ!」
タツは大地を蹴った。全力で加速する。
距離が詰まる。偵察兵の背中が目前に迫る。
剣を引き抜く。呼吸を整える。――一撃で仕留める。
「はあああああっ!」
叫びと共に剣を振り下ろした。
刃が偵察兵の首に深く食い込む。骨を断ち、肉を裂く。
一瞬の静寂。
偵察兵はぐらりとよろめき、そのまま地面に崩れ落ちた。
タツは剣を引き抜き、深く息を吐いた。
勝った。
逃げられなかった。情報も持ち帰らせなかった。
五人はそれぞれに緊張を解き、顔を見合わせた。
ノアはへたり込み、ミレイは胸を押さえて肩で息をしている。
ゼクスは無言で銃を肩にかけ、ライは涙目でタツを見上げた。
「……すごいです、タツさん。ほんとに、やり遂げた……!」
タツは首を振った。
「みんなのおかげだ。僕一人じゃ無理だった」
小さな、しかし確かな連帯感が、五人の間に生まれていた。
けれど――。
タツは空を仰いだ。
偵察兵は確かに倒した。だが、ここはまだ“地龍の領域”だ。
これから先、もっと大きな危機が待ち受けているかもしれない。
(油断するな……ここからが、本番だ)
タツは心の中でそう自分に言い聞かせた。




