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『隠れ里』への逃亡記録:意外な一面

 次の日。『隠れ里』を目指す逃避行を再開した。


 朝起きてからすぐに出発したので腹が減っている。歩きっぱなしで足も疲れた。とはいえ体力的には何の問題もない。このまま戦闘だって行えるだろう。『龍葬団』の団員はどんな状況だろうと戦闘することを求められる。そのための訓練も受けている。


 周囲の風景に代わり映えはない。草木が生い茂って視界が悪くて困った。道は荒れ果てている。地面からは太い木の根が飛び出ている。虹色の羽を持つ蝶が舞っていた。


 昨日と変わらず強い日差しが照り付けている。みんな汗をかいていた。口には出さないが喉だって乾いているだろう。なのに弱音一つ吐かない。あるいは言葉一つも話せないほどに疲労しているのか。どちらにせよ全員の想いは一致しているはずだ。


「……帰りたーい」


 ノアが言った。


「ねぇ。みんな帰ったら何する?」


「映画を見に行く」


「レストランで肉を食いまくる!」


「えぇと、お母さんの料理が食べたいです」


「師匠のミートパイが食べたいなぁ」


 タツの声に、数人がうっすらと笑った。ほんの少しだけ、重かった空気が和らぐ。


 だが、すぐに沈黙が戻る。足音と、草をかき分ける音だけが響いていた。


 ふと、ゼクスが歩きながらタツに近づいた。


「なあ、そろそろ休まないか?」


 唐突な提案だった。タツは目を細めてゼクスを見やる。


「……なんで?」


 ゼクスは鼻で笑った。皮肉気な笑みを浮かべる。


「見えねぇのかよ。ノア、足元ふらついてるぞ」


 タツは思わず後ろを振り返った。ノアはいつもどおり前を向いて歩いていた。けれどよく見れば、肩の揺れが大きい。左右の足運びも、やや乱れている。


「……あいつ、何も言ってない」


「言うわけねぇだろ、あいつが。ああいう奴なんだよ」


 ゼクスの声に、ほんの僅か苛立ちが混じっていた。


「気付かねえお前の鈍さには、マジで呆れるわ。龍には気配で反応するくせに、仲間の異変にはトコトン鈍感なんだな」


 タツの表情がわずかに揺れる。だが何も言い返さない。


 ゼクスは立ち止まり、背中の荷を地面に下ろした。


「強がるのもいいが、誰かが倒れてからじゃ遅ぇんだよ。……ったく、これだから“地龍斬りのマザコン”は使えねぇって言われんだよ」


 悪態をつきながらも、その手は手慣れた動きで水袋を取り出し、仲間たちに回し始めていた。


 悪態をつきながらも、その手は手慣れた動きで水袋を取り出し、仲間たちに回し始めていた。


 タツはその様子をしばらく見ていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……悪かった。ノアの異変に気づけなかった。僕、まだまだだな」


 その言葉に、ノアが振り返る。顔を上げ、無理にでも笑おうとしているのが見て取れた。


「ううん、気にしないで。……わたしが言わなかったのが悪いんだから」


「でも――」


「ほんとに。たっつーは前を見ててくれたし、わたしも、それが頼りになってた。だから、ありがと」


 その声は、かすれていたが、しっかりとタツの胸に届いた。


 しばしの沈黙のあと、ノアがゼクスの方へ目を向ける。


「ねえ、ゼクス。なんで、そんなすぐにわかったの? ……わたしが疲れてるって」


 問いかけに、ゼクスは一瞬だけ動きを止めた。


 水袋の口をきゅっと締めながら、低く、ぽつりと答える。


「……昔、俺も同じことがあったんだ」


 仲間たちが静かに耳を傾ける。


「新人の頃な。まだまだ半人前で、『火龍の領域』を探索してたときの話だ。暑くて、重くて、息も絶え絶えでよ――ぶっちゃけ、もう無理だって思ってた。でも、誰も何も言わねぇ。先輩たちは涼しい顔してるし、黙々と進んでく。むしろ、ちょっとピリピリしてたくらいだな」


 ゼクスはどこか遠くを見るように目を細めた。


「そんな空気の中で『ちょっと休みませんか?』なんて言えるわけないだろ。……言った瞬間、足手まとい扱いされるんじゃないかって、怖くてさ」


 仲間たちが黙って聞いている。


「でも、その時。先輩の一人が俺をちらっと見て、それだけで気付いたんだ。そんで、みんなに向かって言った。“休もう。ゼクスが疲れてる”ってな」


 小さく鼻を鳴らして、ゼクスは続けた。


「その時の安堵感ときたら、今でも忘れられねぇ。救われたんだよ、俺は――その一言で」


 少しうつむきながら、肩をすくめるように言った。


「だから俺様はな、決めたんだ。いつか、同じように疲れてる奴がいたら、必ず助けてやるってな。……あの時の先輩みたいに」


 そう言って、ゼクスは水袋を肩に担ぎ直し、そっぽを向いた。


 誰もすぐには言葉を返さなかった。タツも、ミレイも、ノアも、ライも。


 それぞれが、ぶっきらぼうで皮肉屋な男の過去に、ほんの少しだけ親しみを覚えていた。


 彼の背中が、少しだけ大きく見えた。

 

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