穏やかな日々1
私が眠っていたあいだに、母国ハイゼン王国との多少の小競り合いはあったらしい。
詳しく聞こうと思っても、周りは「今はあまり難しい事は考えない方がいいですよ」とあいまいにぼかす。
私を匿ったことがばれて、レイナード殿下にご迷惑をおかけしないか。
それが心配だったけれど、みなは特に気にしていないようだった。
突然降って湧いたような『公爵令嬢』の存在が許されるのも、そういう社会情勢あってのことだった。敵国出身の私に、『王弟殿下の妃付き』として与えられた侍女やメイドといった人々はとても優しかった。
朝目を覚ますと、バルコニーからは美しく広がる空と、どこまでも続く平野が見渡せる。
「綺麗……」
庭を見下ろせる城の一望に、私は毎朝新鮮な感動を覚えていた。
母国ハイゼン王国は谷間にある小さな領地で、その上私は森と山に囲まれた別邸に閉じ込められていた。あるものと言えばゼーディス王国から国境を超えて続く細い街道だけで、私という魔力しか取り柄のない末娘が外に見つからないようにするにはぴったりの場所だった。
朝から気持ちよく目覚め、美味しい食事をして、魔導医師に毎日の健康チェックをされ、結婚に向けた準備を無理のない範囲で進める。
こんなに甘やかされていいのだろうかと、不安になるような穏やかな日々だった。
朝食を終えて、今日はウエディングドレスの仮縫いの試着をすることになっていた。
鏡の前で着替えさせられ、化粧を施される。
私が纏ったのは、絹に繊細なガラスビーズがふんだんに縫い付けられ、胸や肩を覆うように繊細な刺繍が施されたAラインのドレス。
長い瑠璃色の髪はまとめ上げられ、こてを使って後れ毛を巻き、白百合の銀細工を冠のように飾られる。
露出した肩や背には淡く光るパウダーがはたかれ、肌が内側から輝いているようだ。
真っ白く飾り付けられた中で、黒々とした瞳が目立つような気がする。
「私には……不相応ではないのかしら」
侍女たちに尋ねると、彼女たちは首を大きく振る。
「殿下のお妃様と思えば、もっと派手でもいいくらいですよ」
二人は「ねー」と顔を見合わせほほえみ合う。私はどんな返事もできなかった。
私は不相応なほどに飾られた自分を見つめながら、思い至る。
そうだ、隣国の罪人である私にはあまりにも不相応すぎる。
既にドレスが準備されているという時点で、もしかしたら彼は他の女性との結婚が決まっていたのかもしれない。
――そうか。
罪人である私を王家で監視するために、彼は誰かとの婚約を取りやめ、私と結婚する事にしたのでは?
首をもたげた疑念は正しいもののように思えた。
王族の結婚とは思えないほど、既に決まっていたかのように急ピッチで事が進んでいるのだ。もうドレスは準備されていて、選べないと言われた。
こんなに簡単に準備できるとは思えない。
けれど、既に決まっていた結婚を取りやめて、花嫁だけすげ替えるようにしているのなら説明がつく。そもそも私は正妻ではないはずだ。妾の結婚にここまで準備をするとは思えない。
彼や周りの人は結婚だと大げさに言っているけれど、式も身内だけに紹介する食事会のようなものだろう。
「アスリア様、お顔色が悪いですが……」
鏡越しに侍女が心配をしてくる。
私は急いで首を横に振る。
「大丈夫よ。少し考え事をしていただけ」
言いながらも不安と罪悪感に苛まれた気分でいると、部屋にレイナード殿下がやってきた。
私を見て、彼は空色の目をぱっと見開いて笑顔になる。
どこか、大きな犬を思わせる笑顔だった。
「素敵だね! よく似合うよ、よかった」
反射的にどんな顔をすればいいのかわからない。
褒められているのはわかる。けれど、褒め言葉にどう返せばいいのか。
困った顔を見せてしまったからか、彼は少し申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ごめんなさい。せっかくの花嫁衣装を僕が勝手に選んでしまっていて。あなたに似合うデザインを用意したいと、ずっと前から一方的に作ってしまっていたんですが、気に入りませんでした?」
「そ、そんな……!」
私は慌てて首を横に振る。
「もったいないドレスです。それに」
「それに?」
「……私相手にそんなお言葉遣い、お辞めください」
「どうして? 奥さんになる人だからって、丁寧に話してはいけない決まりなんてありませんよ」
「でも……」
私は困惑しながら説明する。
「恐れながら申し上げます」
「はい、なんでしょう」
「あなた様は王弟殿下であらせられ、私はあくまで……公爵家の娘です。それに年齢だって、あなたの方が上でいらっしゃいますし」
レイナード殿下の年齢はまだ聞いていないけれど、二十代半ばのように見える。
私はまだ十八歳だから、明らかにレイナード殿下の方が数歳は年上だ。
そもそも身分差だってある。だいいち、私は罪人だ。
「実はずっと、あなたが眠っている間、僕はあなたに話しかけていたんです。そこでずっと敬語だったので……敬語で話しかけるのに慣れてしまっているんですよね」
私は驚いた。
目覚めたとき私は一人だったし、目覚めて最初に出会ったのは侍女の人だった。
けれど普段から、レイナード殿下があそこに来てくださっていたのだ。
「敬語が本当はいいんですが……あなたに気を遣わせてしまうのは申し訳ないですし、少しずつ僕も敬語を使わない練習をしてみます」
「そうしていただけると嬉しいです」
「そのかわり」
レイナード殿下はいたずらっぽく、私の顔を覗き込んで言う。
「アスリア様も僕に敬語を使わないでくれるなら、の話です」
「え……っ!」
「どうですか? アスリア様が僕をレイナードって呼んで、微笑んでくれるなら僕も敬語をやめます」
「そんな……恐れ、多いです」
「どうして? 僕がそうしてほしいのに。それに僕だってそう大していい出自でもいないんですよ?」
そして彼は私に婚外子であったこと、認知されるまでしばらく時間がかかったことを明かす。
私は意外で、思わず上から下までしげしげと見てしまう。
どう見ても生まれながらの王子様、といった風貌にしかみえないからだ。
「だから僕としては、生まれながらにご令嬢だったあなたのほうにこそ、敬意を払わなくっちゃって思うのです」
「そう……ですか……」
敬語を使うなと言われるのなら、かえって敬語に固執するほうが失礼なのかもしれない。
私は口の中で練習してみる。けれど、どうしても難しかった。
そもそも男性に対して敬語以外で接した事なんて、一度も経験がないのだから。
「申し訳ありません」
私は頭を下げた。
「もう少し、慣れてからで……練習してからでよろしいでしょうか」
「はい、もちろんそれでいいですよ。それまでは僕も、あなたに敬語を使うことを許してください」
「許すも何も……」
「だめ、ですか?」
甘えるように、そして甘やかすように。
彼は私に小首をかしげてみせる。そうされると弱くて、私は従うほか無かった。
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