氷解2
「……あ、あの……」
「深呼吸しましょう。いいですか? 僕の深呼吸に合わせて。はい。息を吸って……吐いて……」
彼の呼吸に合わせて息を吸ったり吐いたりしていると、混乱した気持ちが収まってきた。腕の中で子どものように、身を委ね、息を整える。
彼は私の頭を撫でる。いつの間に用意したのか、侍女の女性がお茶を入れてくれていた。
花の甘い匂いが漂う。
「薬湯です。体を温めて、全てを穏やかに整える作用があります。……ゆっくり、少しずつ飲んでください」
「はい……」
お茶を全部飲み終わったところで、彼は私に「まずは黙って聞いてください」と言った。
「ご心配だと思うので、まず先にお伝えしましょう。結婚式は一滴の血も流されることなく、無事に終わりました。あなたの事は誰も覚えていません。あなたがしようとした事も、僕の身内以外は誰も知りません。この王宮で誰に挨拶をしても、あなたがあの日の侍女とは誰も思いません。髪も僕の魔術で瑠璃色に染めさせていただきました。……黒髪も綺麗だったのに、申し訳ありません」
「……誰も犠牲者は出なかったのですね……」
私は泣きたい気持ちになった。
幸せいっぱいだった王太子夫妻も、可愛らしいあの子どもも、優しい人たちも傷つかなかった。そしてはっとする。すぐに実家と母国の思惑を伝えなければ危険だ。
私が口を開こうとすると、彼は唇に指を立てて黙らせた。
「ハイゼン王国の策謀の事でしょう? 存じています。こちらも、あなたが眠っているうちに解決いたしました」
「解決……ですか?」
「ええ。解決しました」
彼はにこりと微笑む。
私が混乱するからだろう、細かい話は今はするつもりはない、という様子だった。
「あなたには長い眠りについていただいておりましたが、体に刻まれていた術を解術するために必要な時間でした。あなたの魂まで損なうほどの激しく刻みつけられた術だったので、あなたを傷つけずに開放するのに時間がかかりましたが……もう二度と爆発はしませんよ」
私をいたわるように撫でながら、彼ははっきりと断言する。
落ち着いてくると、先ほどまでの自分の錯乱が恥ずかしくなる。いたたまれなくなりながら目を落とし、私は自分が纏っているドレスを思い出した。
この扱いは何だろう。罪人に対する扱いとしてはおかしくないだろうか。
「私は……これから、どう処分されるのですか?」
「処分などされません。勝手ながら我がゼーディス王国の公爵令嬢としての籍をご用意いたしました」
「えっ」
「あなたは罪を犯していない。それどころかあなたは被害者です。……僕も魔術師なので、あなたがあの時何をしようとしたのか、全部分かっているつもりです」
私はそのとき、奇妙な気分になった。
目の前にいる王弟殿下が、どこかで会っているような気がしたのだ。
――私がかつて、人攫いから助けた小さな男の子とも重なった。
もしかして、と思いかけて、すぐに首を横に振る。
年齢が合わない。私があの日助けた男の子は、ほんの幼いこどもだった。
「それで……なのですが」
彼はためらいがちに口を開く。
「現実問題、王家としてはあなたを王家の管理下に置く必要があります。あなたがハイゼン王国の令嬢であることを知るのは国王含めた一部の者だけですが、あなたの身柄を守るためにも、目覚めたのなら早急に身を固めていただく必要がある」
「……そうですね」
私は理解した。
彼は言葉を濁しているが、要は実質的な人質だったり、罪人であったりという立場になったのだ。私は許されない罪を犯したけれど、隣国出身の貴族の娘である私の扱いはデリケートだ。罪人として断罪すれば国際問題になりかねないし、経歴を洗って別人として生きさせるとしても、どこから情報が漏れるかわからない。身分を返させ、かつ、穏便に監視できる環境に置くという意味だろう。――おそらく、高位貴族の妾や下女、もしくは修道院に入ることになるだろうか。
「ごめんなさい、僕も目覚めたばかりのあなたに言いたくないのですが、……話は早く進めないと、僕が落ち着かないので」
「いえ。当然のことです」
私は深々と頭を下げる。
「ご命令ください。この身も命も、お世話になりました王弟殿下の命の下に」
王弟殿下は一瞬沈黙した。
その後、私の手は暖かさに包まれる。王弟殿下はいたわるように私の手を撫でていた。
彼は私の目を見て、彼ははっきりと告げた。
「僕と結婚してくれませんか」
真剣な眼差しだった。
虚を突かれて返答に困る。
彼は更に言い募った。
「契約夫婦でかまいません。僕に、あなたを守らせてください」
頭が真っ白だった。意図が分からない。しかし答えは決まっていた。
今このような重大な決断を迫ってくるというのは、すぐに決めなければならないことなのだろう。
「ご命令を」
「えっ」
「ご命令ください。言われたとおりに従います」
目を見開く彼に、私は続ける。
「恥ずかしながら、私はずっと親のいいなりでした。自分の意思で物事を決めたことがありません。王弟殿下は、私があの場で人を殺めずに済んだ恩人です。恩人のご命令とあらば、何でも従います」
深く頭を下げる。
結婚というのも当然正妃としての扱いではないのだろうが、何でもいい。
正妃を求めるなど、おこがましいにもほどがある。
私はあの日、人々を殺さずに済んだ――それだけで、よかったのだ。
彼はしばらくじっと視線を落としていたが、決意をしたように顔をあげた。
「わかりました。……今は、そのお返事を有り難くいただきます。あなたの人生を引き受ける代わりに、必ず幸せにします」
力強く彼は頷いてくれた。
「僕と結婚してください。これは――命令です」
「かしこまりました。王弟殿下の思うままに」
彼は唇を強く引き結び、感情のこもった眼差しで私を見つめていた。
私の顔を見つめ、こみ上げる感情を抑え込んでいるという顔をしていた。
私なんかの人生を引き受けてくれるというのが、まだ現実感がなかった。
「せめて強い魔力の子を産んで、あなたに貢献します。そのため早く回復して体力をつけます」
魔力が強い女として、役に立つにはそれしかない。
そう思って発言すると、彼は顔を真っ赤にさせていた。
違うのだろうか?と首をかしげる。
「妻として……当然の勤めですよね?」
「そ、そんなこと……いきなり言わないでください、みんなびっくりしますよ」
「申し訳ありません。あなたの子を欲しがるなど、厚かましかったですね」
「そういう問題ではありません」
彼は咳払いした。
「結婚はあなたに自由に、自分の人生を生きて貰うための後ろ盾として行うものです。もちろん王弟の妃なので、枷が全くないとは言いませんが……世界じゅうの他のどんな男より、僕はあなたを幸せにします。……だから、その……なんといえばいいのかな……」
彼は言葉を選んだすえ、目を見てまっすぐにいった。
「だから、どうか自分を道具のように言わないでください」
「わかりました」
私が頷くと、彼はほっとした顔になる。
その顔に――ふいに、あのビリーの顔が重なった。
『アスリア様。……いつか僕が、かならず助けてあげる』
彼は、今頃何をしているのだろうか。無事に大きくなったのだろうか。
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