死ぬために育てられた娘2
私はすっと立ち上がり、王太子殿下と妃殿下の前に立つ。
赤毛を撫でつけた凜々しい殿下と、たおやかな顔立ちの妃殿下が目を丸くするのが見えた。
彼らの視線は私ではなく、私の前に転がり出た貴族の子どもに向いていた。
興奮のあまり転んでしまったのだろう。
銀髪の男の子は、ベシャッと赤い毛氈の上に倒れる。
驚いた人々の顔が、和らぐのを感じる。
皆、私の事は彼を助けようとして出てきてしまった侍女だと思い込んでいるようだ。
男の子が私を見上げる。
あどけない、まっすぐな瞳が私を射貫く。
「あ……」
――その時、私は突然過去の記憶を思い出した。
別邸に閉じ込められていた頃。
私はたった一度だけ父と兄に逆らった行動をした。
人攫いから逃げて街道から一人歩いてきたぼろぼろの男の子、ビリー。
私は彼を別邸に匿って保護し、しかるべき機関に引き渡したのだ。
あの時助けたビリーは金髪だった。目の前の男の子とまったく違う。
それでも私は、あのビリーを思い出してしまった。
ぼろぼろでも生きるのを諦めない強い瞳の色と、小さな手のひら。そして私が、彼を助けたいと思った気持ちを。
「おねーたん、どちたの?」
呆然とした私に、男の子がきょとんと首をかしげる。足が震えた。
私は今、この子を殺そうとしているのだ。
この子だけじゃない。
この晴れがましい場に集まった、笑顔を全て破壊しようとしている。
――自分が粗末にされるのは慣れている……でも、罪のない人たちを、だまし討ちでなんて。
私は何をやっているのか。私は、あの時はビリーを守るために逆らえたのに。
ビリーは別れ際私に言った。私を助けてくれると。
あの時の私は確かに、感謝されるだけのことをできる存在だったのだ。
それが今はどうだ。人を殺そうとしているなんて。
今の私は――あのとき助けたビリーに、とても顔向けができない。
王太子夫妻の前に立ち尽くしたまま、私は動けなくなった。
爆死しなければ、魔力を暴走させなければ。だってそれが私の最後の役割だから。
私はもう何も考えられなかった。髪をまとめたメイドキャップを脱ぐ。
ふわっと長いお下げ髪が飛び出すのを感じた。目を閉じる。
周りに迷惑をかけずに死ぬ方法が、たった一つだけあった。
それは魔力を体の中で巡らせて、己の体の中だけで暴走を起こすこと。
見た目には心臓を悪くして死んだようにしか見えないはずだ。
私は子どもを死なせたくない。幸せな場を、悲しい惨劇に変えたくない。
これは人生で二度目の、父と兄への反発だった。
――これで、終わりね。
頭皮が熱くなっていくのを感じる。あとは魔力をはじけさせるだけだ。
「やらせませんよ」
掠れた声が聞こえたとたん、頭が急に軽くなる。頭皮の熱が引いた。
振り返ると、そこには金髪の貴族令息がいた。
私より5歳ほど年下の少年だった。
右手には剣を握り、左手には私のお下げ髪を握っている。
髪を――魔力をため込んだ源を、絶たれたのだ。
バレたのだ。私が、爆死しようとしていたのが。
「失礼します。あなたを、保護させていただきます」
「あ…………」
剣の切っ先が私に向く。殺されると思った瞬間、パキッという音と共に何かに閉じ込められる。視界が歪む。
魔法剣だ。
体が冷えていく。ぱきぱきとした音が聞こえる。私は氷に閉じ込められていた。
視界が暗転する。
子どもの泣く声も、人々の悲鳴も聞こえなかった。
私は氷で冷やされながら、自分の中の何か思い詰めた感情も冷えていくのを感じた。
――そうか。私は殺さずにすんだのだ。誰も、悲しませずに済んだのだ。
――よかった。私は死んでも誰も困らない。私一人で逝けるなら、それでよかったのだ……
「ごめんなさい」
氷に、温かな涙が落ちた気がした。
涙に濡れた掠れ声。変声期を迎える前の少年の声だった。
「あなたは僕の女神様です。……待っていてください。僕は、必ずあなたを……」